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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ボ・ティ・ソウ(Võ Thị Sáu)

本名はグエン・ティ・ソウ(Nguyễn thị Sáu)、南部ベト
ナムで革命家としてフランス植民地政府に抵抗した女性兵士。

Sau


1935年Long Dien, Ba Ria (現在はレッドランド地区、バリ
ア- ブンタオ)で生まれ、1948年から革命運動に参加し、

1949年からダット地区警察のボランティア活動家として、伝
令や物資の供給任務についていました。

1949年7月14日、フランスがナショナルデーの祝賀集会を
開いているところに手榴弾を投げつけられ、フランス兵士の
多くが死亡した事件が起こりました。

1950年5月 犯人としてボ・ティ・ソウがバリアで拘束され、
サイゴンのチーホア( Chi Hoa)刑務所に収容され拷問を
受けます。フランス政府とフランス軍事裁判所は15歳の彼
女に死刑判決を宣告したため、世論の猛反対とともに弁護
団も死刑宣告文は18歳にもなっていない彼女に対して十
分な理由が無いと反論し、裁判が続きましたが、1951年4月
死刑判決が最終確定します。

1952年1月21日コンダオ(Con Dao)刑務所に移送され、
翌日22日の夜にボ・ティ・ソウはベトナム共産党員であるこ
とを認め、翌1月23日午後7時に銃殺刑が執行されました。

銃殺時の目隠しを拒否し、最後の瞬間まで革命戦士として
の態度を崩しませんでした。

Sau (1)


1993年ベトナム政府は国軍の英雄として彼女を評価し、
1994年 9月2日、ベトナム人民の英雄として勲章
(State of Vietnam Hero of the People's Armed
Forces )を授与しました。

ボティサウの墓は殉教者の墓地ハングドゥオン、コンダオ
(Hang Duong, Con Dao)にあり、命日にはお線香の煙が
耐えません。

Sau (2)


ホーチミン市3区にある南部ベトナム婦人博物館の前の道
路はボ・ティ・ソウ通りと呼ばれています。

トン・ドゥック・タン(Tôn Đức Thắng)


Bac Ton
トン・ドゥック・タンは1888年8月20日, My Hoa Hung
village, Dinh Thanh district, Long Xuyen province
(現在ではLong Xuyen district,An Giang Province)で
生まれました。

1906年、サイゴンBa Son 造船所で働くためにサイゴンで
学校に通い,機械技術を学びます。

1912年からBa Son 造船所で働きますが、造船所の劣悪
な労働環境の改善を求めて、労働者によって引き起こされ
たストライキに参加します。彼が共産主義に目覚めたのもこ
の頃であるようです。

1916年、フランス軍艦の技術者として渡仏しToulon軍港で
働きます。

1919年4月20日、ロシア10月革命を支援するため黒海に
出航したフランス軍艦の船員として軍艦にRed Flagを揚げ
る役割を担います。しかしロシア革命に反対する人の非難
を受けて、フランスを退去させられてしまいます。
Bac Ton (1)


1920年サイゴンに戻ったトン・ドゥック・タンはBinh Toy
Wine Enterprise (Saigon)で地下組織Trade Unionを組
織します。それは労働者の権利を守るベトナムで最初の大
衆組織でした。
Bac Ton (2)
Binh Toy Wine Enterprise

1925年8月 Trade Union の指導の下、Ba Son 造船所
で1000人の労働者が生活や労働条件の改善を求めてフラ
ンス人責任者を相手に労働闘争をします。
Bac Ton (3)

現在のベトナム労働総同盟の設立は1929年7月28日で
す。

1927年ベトナム革命青年同盟に加入し、サイゴンージョロ
ンの労働運動の責任者になります。

1928年12月 フランス官憲に逮捕されます。  

1929年7月26日、サイゴンの高等裁判所で20年の強制
労働の判決を受けます。

1930年7月2日、コンダオ刑務所に移送されます。
Bac Ton (4)

1945年9月23日、ベトナム8月革命が成功し、コンダオ
刑務所から開放されます。すぐにメコンデルタに戻り、フラ
ンス植民地政策への抵抗運動に参加します。

1951年2月、ベトナム労働党の中央委員に選出されます。

1955年9月、レーニン平和賞を送られます。
Bac Ton (6)
ホーチミンより祝福されるトンドゥックタン
1955年9月20日 – 1960年7月15日、ベトナム民主共
和国の国会常務委員会議長を務めます。

1960年7月15日、国家副主席に選出され、ホーチミン主
席の死去まで、ともに行動します。
Bac Ton (5)
任期: 1960年7月15日 – 1969年9月3日

1969年9月2日、ホーチミン国家主席の死去に伴い、
国家主席代行となりますが9月23日に国会の選挙により
正式に国家主席(大統領)に選出されます。

1976年7月2日、南北ベトナムが正式に統一してベトナ
ム社会主義共和国が建国され、トン・ドゥック・タンが
初代国家主席(大統領)に選出され、死去まで職につい
ています。

1980年3月30日、92歳で死去。


関連事項 
 トンドゥックタン記念館
 トンドゥックタン大学
  Bac Ton (7)
   Binh Thang 区にあるトンドゥックタン大学では労働
  関係の学科が充実しています。

グエン・ティ・ミン・カイ
 1910年8月25日ゲアン(Nghe An)省生まれのベトナ
ム女性革命家。

 1924年フエの国立アカデミー校に入学し、その後、タ
ンドン学校の歴史教師となります。

 1930年にインドシナ共産党のメンバーとなり、国際共
産党(コミンテルン)東方支部でホーチミン主席の秘書を
務めました。

グエンティミンカイ


 1934年にコミンテルン・モスクワ大会にホーチミン主席
とともに参加し、レーニン夫人と会談しています。大会中
にホーチミンの戦友、レ・ホン・フォン(Le Hong Phong)と
知り合い結婚。

グエンティミンカイ (1)


1936年サイゴンに戻ってから、ベトナム南部の革命
運動を指導していましたが、1940にフランス植民地政府
によって投獄されます。投獄されても刑務所の中から革
命運動の続けましたが南部の一斉蜂起(ナムキー=南
部 コイギア=蜂起)に失敗し、1941年8月26日、ホッ
クモン県で銃殺されます。31歳でした。

 後を追うように夫のレ・ホン・フォンも処刑されます。

ホーチミン市の旧南ベトナム大統領官邸に沿った横の
道路は「ソヴィエトゲティン」(ゲティン省の評議会の意味)
通りと呼ばれていましたが、サイゴン陥落後はグエン・テ
ィ・ミン・カイ通りと改称されました。

ちなみに官邸の正面の通りは南部蜂起を記念してナム・
キー・コイ・ギア通りといいます。


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