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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ぺテロリメックス 更新
ぺテロリメックス

植民地時代 Campagnie Franco-Asiatique des Pétroles
(フランコアジア石油会社)
現在 Việt Nam National Petroleum(Petrolimex)
          (ベトナム石油総公社)
場所 15 Lê Duẩn   

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現在のぺテロリメックス社

1920年代
レズアン通りとトンドゥックタン通りの交差点にあるフラン
スコロニアル建築の会社は1920年代に建設されたフラ
ンコアジア石油会社の本社です。

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1940年、フランコアジア石油会社

1954年以降
Shell oil companの本店をなります。会社の中には
「Shell Theatre」が造られ、イギリスの映画が上映され
ていて、一般人にも公開されていました。

1975年以降
ベトナム石油総公社(ぺテロリメックス)となり、国内最大
手の石油製品の供給会社の本社として機能しています。
現在では石油製品のほか、多角的な事業を推し進めて
います。

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上から ガソリン、銀行、保険、ガス、サービス
タクシー会社もあります

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PG銀行。私の感覚ではとても銀行には見えません。
1区の人民委員会(区役所)の隣にあります。

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ペトロリメックス社のタクシー

ベトナムで産出される原油は50%が国内消費、50%が
輸出されますが、石油精製能力が十分でないので、
石油製品は輸入されています。

この会社がベトナムの石油製品売上高の80%を占めて
いるのですが、ベトナムには石油の元売会社が11社も
林立していて、経営は苦しいのだそうです。べトナムの
WTO加盟までは、政府が補助金を与えていました

国営百貨店
国営百貨店

越語   Thương Sá Tax(チュオンサタックス)
英語    Saigon Tax Trade Center (SATRA)
日本語 サイゴン商業総公社
場所    135 Nguyễn Huệ

1880年
グエンフェ通りとレロイ通りの交差点にあるこの建物は最
初は農業会議所が置かれていました。

1914年頃~1922年
Établissements Claudius Perri(自動車のディーラー)
が自動車やミシュランタイヤの販売をしていました。

1922年
Union Commerciale indochinois et Africaineに取得
され、西洋と東洋の建築様式がミックスされた現在の建
物の原型が建築され、1924にデパートGrands
Magazins Charner (GMCとしてオープンします。屋上
にはシンボルとして時計台が取り付けられました。

GMCは外国製品、特にフランスとイギリスからの輸入製
品のバーゲンセールを行ない、サイゴンの上流階級やコ
ーチシナの地主が時計や蓄音機をよく買いに来ていまし
た。

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建築当初の写真

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鳥瞰図

1942年
オーナーはビルのトップにある時計台を取り壊し、増加す
る需要に答えて建物を3階建てから4階建てにしました。

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1960年
Saigon Tax Trade Center (SATRA)の所有となり、
GMCの看板が取り外され、スペースは小売人に対して
貸し出されます。

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1975年
サイゴン陥落後はホーチミン市人民委員会に寄付され,
工業製品や低価格の商品を展示していました。

1978年
サイゴンで初めて子供用品を販売したのもこの百貨店で
した。

1981年
ホーチミン市人民委員会は正式に百貨店として機能さ
せることを決定し、ドイモイ政策後は百貨店として営業が
再開されます。

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2014年現在の国営百貨店

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名盤

国営百貨店内には2階にスーパーマーケット、4階には
お土産店も入居していて、観光の外国人客も多く訪れ
ていました。

2014年9月25日
130年あまりの歴史を誇る国営百貨店はグエンフェ通り
の地下を通る地下鉄1号線工事のため、用地の一部引
渡しを余儀なくされ取り壊されることになりました。

跡地には地上43階、地下5階の高層ビルが米国ゲンス
ラー(Gensler)社の設計で建築され、2019年の完成を
目指しています。
完成後は地下鉄の市民劇場駅と地下で連結されます。

庶民の署名運動や外国機関の要請によって、この歴史
的建造物の一部が保存される計画ですが、具体的な構
想はまだ伝えられていません。

パレスホテル
パレスホテル

植民地時代 Hôtel Coq d’Or (コックドールホテル)
現在      Palace Hotel Saigon
場所      56-66, Nguyễn Huệ (グエンフェ通り)

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2014年

スンワタワーとパレスホテルに挟まれたグエンフェ通りは
埋立てが終わると処刑場としても使用されました。

1900年代
1890年サイゴン刑務所(カムロンサイゴン)が完成して
からは処刑も刑務所内で行われるようになり、跡地には
コックドールホテルという名のホテルが建設されていまし
た。

1968年
建築家Vũ Bá Đính 内装家Lê Quý Phongによって
アメリカンテイストのパレスホテルが建設されます。

1989年
南北統一後、一時Khách sạn Hữu Nghị(Frendship
Hotel)と名称が変更になりましたが、現在は改装され
て13階建ての4つ星ホテルになっています。

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パレスホテルのサービスの良さは欧米人や地元の人々
にも知れ渡っており、植民地時代からのベーカリー
「Brodard Café」やメインダイニングの「レモングラス」
はホテル外にも出店しています。

<Brodard Café>
60年以上に渡ってパイ、ケーキなどの菓子製品をヨーロ
ッパスタイルに特化して販売しています。


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1948年創業

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<レモングラス>

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現在のパレスホテル前のグエンフェ通りは改装され、この
モニュメントも取り壊され、噴水施設が造られています。

リエンタン魚醤会社
リエンタン魚醤会社

越語 Liên Thành Thương Quán
    又はCông ty Liên Thành
場所 243 Bến Vân Đồn、Q4

リエンタン魚醤会社はファンチュウチンが主唱する革新
運動に伴って当初ファンティットに設立された会社で、
グエンタッタン(後のホーチミン主席)の渡仏を支援した
会社として記念されています。

1906年
リエンタンは ①Phan Châu Trinh、②Trần Quý Cáp、
③Huỳnh Thúc Khángらの革新運動の著名な活動家
の主導によって愛国詩人Nguyễn Thôngの2人の息子
Nguyễn Trọng LợiとNguyễn Quý Anhによってタンド
ゥック村(現在のビントゥアン省ファンティエット市チャンフ
ンダオ通り306)に創設され,経営にはHồ Tá Bang、
Nguyễn Hiệt Chi、Trần Lệ Chất、Ngô Văn Nhượng
が加わり,6人で運営されました。

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リエンタン魚醤会社の創業者
Hồ Tá Bang,Nguyễn Trọng Lợi,Nguyễn Quý Anh
Nguyễn Hiệt Chi,Trần Lệ Chất,Ngô Văn Nhượng

1907年
彼らはまた「国家の独立のために若者に教育を与える」
為、ハノイに設立された東京義塾をモデルにしてファンテ
ィエットに有名なズックタン学校も創設します。

1909年
「リエンタン」はチョロン地区の Châu Văn Liêm通りに
支店(=南部の本店)を開設します。

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「リエンタン魚醤会社」の南部の本店。現在は記念館と
して保存されています。(1-3 quai Testard , Phố
Xếp Canal. 現在 6, Châu Văn Liêm )

1910年8月
グエンタッタンは父親の友人であるフエ宮廷の高級官僚
チュンヤモの紹介状を持ってファンティエットの「リエンタン
魚醤会社」を訪ね、ズックタン学校で教師をすることにな
ります。

1911年2月~6月
7カ月後、ホーチミンはファンティエットからチョロンの「リエ
ンタン」を訪ね、住み込みで働きながら渡仏するチャンス
を窺います。
そして6月5日、彼はフランスへと旅立ちます。

1922年
植民地政府がチョロンの小川や水路の埋立て工事を実
施する発表します。運送を水路に頼っていた当時の交
通事情からリエンタン魚醤会社の南部の本店事務所は
事務所として賃貸することとし、ベンゲ運河の南岸、カン
ホア(Khánh Hội)地区のベンヴァンドン通り(Bến Vân
Đồn)に新たな本店事務所の建設に取り掛かります。

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1922年 移転後のリエンタン魚醤会社

再開発の圧力にも関わらず、本店事務所は今日も保
存され続けています。

魚醤は小魚から作られる醤油ですが、ベトナム語では
nước mắm(ニュックマム)とが呼ばれています。ファン
ティットとフーコック島が2大産地ですが、巷には偽者が
多く出回っていますので産地確認が必須です。>
インドシナ連邦財務局 更新
インドシナ連邦財務局

INNDOCHINE TRÊSOR FÉDÉRAL
現在  KHO BẠC NHÀ NƯỚC TP HCM(ホーチミン市財務局)
場所  グエンフエ通り

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ホーチミン市財務局

サイゴンの中心街、グエン・フエ通りをサイゴン川に向か
って散歩していくとダクストンホテルの隣に、典型的なネ
オバロック形式のフランスコロニアル建築に出会います。

インドシナ連邦財務局は当初ドンコイ通りとグエンズ通り
の交差点、聖マリア教会の前(現HSBC銀行のビル)に
ありましたが、1925年現在の場所(旧ベンタン市場)に
新築移転してきました。
建設はグスタフ•エッフェル建設会社と並んで当時の2大建設会社
であったブロサールモピン建設会社によって建築されました。



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建設当初の写真

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1967年の写真

南北統一後はホーチミン市の財務局として機能していま
す。

2006年
財務局の裏側に新築の財務局別館ビルが建設され、
実質の業務は新築ビルに移管されています。


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ガラス張りのビルが財務局別館です

フランスがベトナム北部に植民地を拡大していったのに
伴って、フランス総督府もサイゴンからハノイに移りました。
そして1927年には財務省がハノイにも建設されます。
(現在のベトナムの外務省です)

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ハノイの旧財務省



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