べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
カテゴリ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宝くじ会社
宝くじ会社

植民地時代 SAMIPIC
場所      606 Trần Hưng Đạo

11 (400x267)

チョウクワン地域のチャンフンダオ通りにある歴史的な建
物が再開発の波に襲われています。

場所はその昔クメール人の寺院があったところですが、
1932年に取り壊された後は、タオダン公園内の小さな
建物で運営していた宝くじ会社「SAMIPICが1933年
2月16日エレガントな概観の建物を新築しました。

宝くじ会社はコーチシナ原住民の道徳、知性、体格の
改善の為に設立されたもので「SAMIPIC」(Société
pour l’amélioration morale, intellectuelle
et physique des indigènes de Cochinchine)
と呼ばれていました。運営は1926年に設立された
「アンナン社会エリート集団」の委員会によって行われます。

SAMIPICは2ピアストルの宝くじ券を大衆に販売し、
利益の大部分をコーチシナ人の健康、教育のために
寄付し、さらに毎年フランスに留学生を送り出しました。

1929年
SAMIPICの著しい業績として、サイゴンに「アンナム人
社会」の建物を建設したこととパリの私立大学「インドシ
ナ」の建設に資金を提供したことでした。

1930年3月22日
大学の創設記念式典にはフランス大統領Gaston
Doumergueとフランスで勉強を続けていた若きベトナム
の最後の皇帝バオダイ帝が出席しました。

1954年
フランスがベトナムから撤退すると建物はアメリカ政府
が取得し、アメリカ軍事顧問団(Military Assistance
Advisory Group 「MAAG」)が入居してきます。「MAAG」
はフランスに対する支援として南ベトナムに
武器、軍事訓練を提供します。

1957年10月22日
「MAAG」は知名度が高かったため常に国民解放戦線
(National Liberation Front)の攻撃標的にされたアメ
リカの軍事3施設のひとつでした。

1962年2月
最初のアメリカ軍の航空部隊の到着に伴って、「MAAG」
はベトナムにおける米国の軍事活動や軍事作戦の全責
任を負う統合司令部として機能を持った軍事支援部隊
「MACV」へと変身していきます。

12 (400x283)
MAAG 司令部 1962年

1962年5月
MACVのスタッフはMAAGの同僚と一緒にこの建物に
宿泊していましたが、パスター通り137番地に独立の宿
泊所を与えられ移転します。
チャンフンダオの建物はこの時から1966年まで
「MACV II」と呼ばれます。

13 (400x291)
MAAG 司令部「MACV II」1963年

1964年
「MAAG」の機能はすべて「MACV」に統合されます。

1966年
すべての「MACV」の活動は「Pentagon East」と呼ばれ
たタンソンニャット空港内に移されたので、代わりにベトナ
ム戦争中の韓国軍司令部となり、1973年のパリ和平
協定締結まで続きます。

14 (400x337)
韓国軍司令部 1969年 ①

15 (400x262)
韓国軍司令部 1969年 ②

パリ和平協定締結後、建物はいろいろな地元の企業に
よって使用されてきましたが、現在、建て替えが検討され
ています。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://vietkon.blog73.fc2.com/tb.php/516-7a819685
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。