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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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カティーナビル
カティーナビル

The Catinat Building
場所 158ドンコイ(ドンコイ通りとリトゥチョン通りの交差点)

11 (400x267)
現在のカティナビル

アールデコ調のランドマーク、カティナビルはドンコイ通りとリトゥチョン
通りの交差点にあり、フランス植民地時代はゴールドランド地域と呼ば
れていました。

それはサービス、文化、金融、ホテル、展示場などの施設を建設する
再開発が予定されていたからです。

20世紀初め
カティナビルの一部がカティーナ158番地に建設され、いろいろなフラ
ンスの企業が入居しました。


1902年~1905年
体育館、フェンシングルーム、小さな射撃場を有する「サイゴンスポー
ツクラブ」が入居します。

1925年
カティーナ158番地とリトゥチョン通りの角地を裕福なフランスの不動
産会社Société urbaine foncière Indochinoise (SUFIC)に取得され、
以前の建物は取り壊されます。

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リトゥチョン通り側に残るSUFIC のプレート

5階建てのビルを建設するため、基礎工事が地中深くされている矢先、
4月に魅力的な遺跡が発見がされます。

フランスがサイゴン侵略時に完全に放火して破壊したザーディン要塞
(サイゴン城)の遺跡が出現したのです。

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フランス植民地時代の建築現場

数週間は遺跡の石を取り除き、新しい基礎工事をする為の穴掘りが続
きました。しかし一定の深さまで掘ると予期せぬトラブルが発生します。
彼らは非常に特別な外観を持つ、巨大な石から作られた強力な壁を発
見しました。この深さでその存在は、エンジニアを驚かせました。
この件はコーチシナ政府の公文書係Jean Bouchotすぐに連絡されま
した。
彼は昔のサイゴンの地図と照らし合わせ、その石が1790年に建てら
れザーディン要塞の外壁の名残であることを確信しました。
その後、フランス極東学院(EFEO)の院長であったLouis Finotも
Jean Bouchotの説を支持しました。

1790年に建設されたザーロン要塞の存在が確証され、その範囲など
の概略が遺跡によって判明したのです。

14 (400x296)
ザーロン要塞の配置図

ザーロン要塞の南門、Càn Nguyên門はレタントン、リトゥチョン通りと
ドンコイ通りの交差点にあったのです。

その後、建設は急ピッチで進められ、アールデコ様式のカティナビル
は1927年初期に完成します。

ドンコイ通り側の建物には「信頼できるインドシナの建築家1927」
という名前の無いプレートが刻まれています。

15 (300x170)

1930年~1940年代
カティナビルにはいくつかのゴムプランテーション会社(下記を含む)
のサイゴン事務所が置かれました。
1.Société des Hévéas de Tây-Ninh
2.Société Indochinoise des plantations Réunis de Mimot
3.Plantation de Phuc-Ha.
その他、重要な会社としては雑誌社のRevue Indo-chinoise illustrée
and l’Impartial、1937年からはインドシナ観光局やサイゴンの主要
な観光案内所が入居します。

1940年
ビルの所有者であるSUFICとFrigorifique社(冷蔵に関する会社)
がここに居を構え、地上階はカフェショップやレストランで賑わいました。

しかし所有者であるSUFICにとって最も輝かしいことは1930年代初
めにカティナビルにアメリカ領事が入居したことでした。

サイゴンへのアメリカ外交団は最初はドンコイ通り4番地、そして
グエンズ通り25番地に滞在した後、カティナビルに滞在していました。

1941年11月23日
その為、カティナビルは日本軍憲兵隊の爆弾攻撃の対象となり、ビル
は甚大な被害を蒙りました。その2週間後、日本軍は真珠湾攻撃を行
い、アメリカの外交団をインドシナから追放したのです。

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1941年11月の カティナビル

1945年
アメリカがベトナムに戻ってきた時、1950年にハムギ通りに大使館が
完成するまでホートゥンマオ通り4番地に領事が滞在しました。

興味深いことにアメリカ人はカティナビルの隣のビル、リトゥチョン22番
地を買収しました。

1960年代
買収したビルはピットマンマンションとして知られ、アメリカCIA局の
チーフとスタッフが1975年まで居住しました。

1975年4月29日
サイゴン市内にはアメリカの戦艦に非難する難民を救助するための
発着所が3カ所指定されました。そのひとつがリトゥチョン22番地の
屋上でした。よくアメリカ大使館の屋上と間違えられました。
他の2箇所は192 Công Lý(現Nam Kỳ Khởi Nghĩa)と2 Phan Văn
Đạtでした。

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1975年4月29日
この象徴的な写真を撮ったのはヒューバート•ヴァン•エス( Hubert Van
Es)氏です。

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チラン公園から見たリトゥチョン通り22番地のビル屋上のヘリポート

南北統一後
カティナビルは平穏無事に過ごしています。
上層階はアパートとして貸し出され、1階は小売商店のスペースとして
バー、カフェ、レストラン等が営業しています。

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カティナビルのバルコニーの鉄製品

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カティナビル内部の階段、窓、手すり
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