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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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中央公安署
中央公安署

植民地時代 Bot Catinat(公安署)
現在 Bộ Văn hóa Thể thao và Du lịcht(文化・情報・スポーツ観光局)
場所 164 Đồng Khởi

11 (400x300)
現在の文化・情報・スポーツ観光局

“Gold land”の一等地に位置する現在の文化・情報・
スポーツ観光局は不吉な過去を持っています。

1860年代
サイゴン大聖堂前の広場は当時、時計広場(de
l’Horloge)と呼ばれていて植民地支配当初のフランス
政府の建物がありましたが、ほとんどが空き地でした。

1870年代
時計広場に最初に建設されたのは ドンコイ通り164
番地のサイゴン中央郵便局です。

12 (400x252)
1878年のマップ

1891年
中央郵便が現在の建物に建て替えられた後、時計広
場は3分割され開発されます。
164-166番地(現在のメトロポリタンビル)には植民地
の財務省が建設されましたが、その後このビルには
Recette やTrésorなどいろいろな金融機関の地方事
務所が置かれました

13 (300x179)
1900年代の財務省メトロポリタン局(右)と財務省
現地事務所(左)

1910年
162番地には中央警察署が設立され、1917年に建物
が拡張されて警察業務と公安業務を司ります。

1933年
時計広場はさらにt区画整理され166番地の財務省が
移動し、164番地の警察署は公安業務の建物「Bót
Catinat」として再建されます。

「Bót Catinat」は残酷で恐ろしい建物としてベトナム人
の評判になりました。この拘置所に拘束された者は
リトゥチョン通りにある中央刑務所(Maison centrale)
に送られる前に激しい拷問を受けていました。
164番地に大聖堂が控えていることから、
「Bót Catinat」は「天国に近い地獄」と揶揄されていま
す。

14 (300x217)
1950年の写真

グラハムグリーン(Graham Greene)の小説「The Quiet
American」の中にも「Its “dreary wall… seemed to
smell of urine and injustice.”
と描写されています。

1945年9月23日
ベトナム8月革命の後、べトミンの旗(現在の国旗)が
8月26日から9月23日までこの「Bót Catinat」に掲げら
れ、占拠されていましたが、イギリス軍に支援されたフラ
ンスがサイゴンに上陸すると、「Bót Catinat」はその機能
を回復します。

1950年代
「Bót Catinat」はフランスの秘密警察として機能します。

1955年
フランスがディエンビンフーの戦いでベトナム軍に大敗す
ると、「Bót Catinat」 は改装され、南ベトナム政府の
t内務省(Bộ Nội vụ)となります。

15 (300x205)
t1965年の内務省 

1977年
ベトナムの南北統一後、文化・情報局の本部として、
1990年には文化・情報・スポーツ観光局の本部となり
ます。
建物の中には、現在でも歴史的記念碑として一般には
t公開されていませんが、地下監獄が保存されています。

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正面玄関脇には、「Bót Catinat」 の歴史を記す記念碑があります。
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