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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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フランソワ キャナヴァジオの邸宅
フランソワ キャナヴァジオの邸宅

場所 128 Nguyễn Thị Minh Khai(旧サイゴン
     スポーツクラブの真向かい)

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現在のキャナヴァジオの邸宅

12 (400x215)

20世紀の初め、グエンティミンカイ通り128番地はサイ
ゴンで最も有名コルシカファミリーのひとつだったキャナ
ヴァジオの邸宅でした。

1859年
キャナヴァジオ一家はフランス軍を支援するためにサイゴ
ンに到着した最初の植民地入植者のメンバーで、最も
成功した一家がフランソワ キャナヴァジオでした。

1907年
ビジネスで成功した彼はトゥドゥック近くのXuân Vinhに
大きなプランテーションを購入します。
その後、彼はコーチシナ植民地評議会のメンバーとなり、 
コーチシナ農業会議所の副社長も勤めます。

そしてグエンティミンカイの邸宅を購入しました。

1901年~1924年
彼はベトナム人に農業や工業の知識を広めるために、
最初のクウォックグー(現在ベトナム語)によるビジネス
新聞、「Nông cổ mín đàm」(農業問題)を発行しまし
た。

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新聞の最初の編集長はベトナム人弁護士のGilbert
Trần Chánh Chiếuでしたが、彼はキャナヴァジオと
同様に自由進取な気持ちを持った独立志向の人物
でした。

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Gilbert Trần Chánh Chiếu

1907年~1908年
新聞社は民族主義者のファンチュウチンが中心となって
進めた「維新運動」共鳴し、支援団体として新聞記事に
は反仏記事が多くなりGilbert Trần Chánh Chiếuは
フランス当局に逮捕され、その後はフランス当局の厳格
な統制化に置かれます。

1922年
Canavaggioの死後、新聞社はベトナム人未亡人によっ
て引継がれましたが、2年後にはサイゴン港に関わる独
占スキャンダルを掲載したため、フランス当局によって新
聞社は閉鎖されます。

<子孫>
1920年~1930年
Canavaggioには数人の子供がいました。
Marie-Angeはカントウで法律家を、Julesはトゥドゥック
でカトリック神父となりましたが、彼の子孫で最も知られ
ているのはPaul-François Canavaggioで、Thủ Dầu
Một 近くのLong Chiêuで大きなゴムプランテーションを
所有し、プノンペンとサイゴンには男性用品を販売する
ショップを経営しました。

彼のサイゴンショップはドンコイ通り118-120番地
(後にドンコイ通り173-175番地)で当時の流行を
リードしました。

1935年
しかし残念なことに世界恐慌の影響を受けて彼の事業
は破産し、残った資産を売却してインドシナを離れます。

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旧キャナヴァジオの邸宅
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