べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
カテゴリ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

サイゴンスポーツクラブ
サイゴンスポーツクラブ

<当初>
仏語 Cercle Sportif Saïgonnais
場所 タオダン公園内
<現在>
越語 Cung Văn hoá Lao động(労働文化会館)

場所 55B Nguyễn Thị Minh Khai

11 (400x267)
(左)現在 (右)1975以前

サイゴンスポーツクラブはフランス植民地社会のエリート
達のスポーツ・レクリエイションクラブでした。

12 (324x160)

1870年代
この時代には公営スポーツ施設が無く、現在の統一会
堂の裏側、タオダン公園の北隅に陸上競技、競馬、射
撃を始めとする私設のスポーツクラブが出来ました。

1880年代
コーチシナのサイクリスト・クラブが競輪場を造りましたが
開催されることはありませんでした。

13 Untitled
1890年のザーディンの地図には総督府の北西にスポ
ーツクラブがあったことを示しています。

1902年5月10日
サイゴンスポーツクラブがアマチャーフェンシンググループ
によって設立されましたが、設立当初はドンコイ通りとリト
ゥチョン通りの交差点にある「カティーナビル]にはもっと
近代的な施設があったためタオダン公園内には根付き
ませんでした。

1904年
スポーツクラブはフェンシング、射撃、乗馬を始め、その
他いろいろなスポーツを提供するようになります。
スポーツは教育面からも奨励され、フランス植民地政府
は年間500ピアストルを支給して近くのシャスルー・ロー
バ高校(現在のレウィドン高校)からインストラクターの派
遣を要請しました。

1905年
室内だけのスポーツセンターであった「カティーナビル」の
スポーツクラブがもはや時代の要請に合わなくなり、タオ
ダン公園内に移動してきます。

しかし、クラブの財政は困難な状況に陥っており、サイク
リング施設が廃止され、施設はわずか30m2で、会員数
も40人に減少してしました。

1906年
幸運なことにサイゴン市は廃止されたサイクリングロード
を陸上トラックに変更する工事の資金調達に成功しま
す。

会員数が徐々に増え始め、テニスコート2面とサッカー場
とローラースケート場を兼ねたフィールドも完成します。

1909年以降
会員数は激増し、1913年、1920年と施設も拡大して
いきます

1925年
14 (400x259)
1925年 タオダン公園内のスポーツクラブ

手狭になったスポーツクラブはレウィドン通りに新たな施
設を建設します。開所式にはコーチシナ総督やサイゴン
の著名な名士が参列して盛大に行われました。

15 (400x255)
1925年 新設されたスポーツクラブ

クラブの施設は拡大され、テニスコートは10面、観客席
の付いたサッカー場、そして室内には心地よいフェンシン
グ場、ビリヤード場、ダンスホール、ゲーム室、読書室、
用途に応じて区分できる広い部屋が作られました。クラ
ブは上海、香港、シンガポールのスポーツクラブと引けを
取らない設備が整いました。

その後、クラブは「サイゴン社会のエリートのための施設」
という観点を強調し、役員会ではメンバーに政治家、
著名人、学者、事業主などを選択しクラブへの支援を求
めます。

1933年
サイゴンの金持ちや有名人の隠れ家として評判を背景
に9月には野外のスイミングプールがオープンします。

16 (400x237)
スイミングプール

プールの新設は1926年に計画されていましたが、きれ
いな水が確保できないために頓挫していたのです。

1934年
プールサイドでの飲食はフランスからクルーズ船で到着す
る観光客に大好評でした。

1930年代後半
スポーツクラブから少し西側に離れた、現在のグエンティ
ミンカイ高校の場所に新しい隠れ家(別館)がオープンし
ます。

別館の読書室には常にフランスから送られた最新の新
聞、雑誌が
5000冊以上の図書と共に用意されていました。

クラブでは活動プログラムを広報する為に隔月に広報誌
「クラブレヴュー」を発行します。

外国からのアスレチックチームのために宴会を用意したり、 
毎年春には「春の祭典」を開きサイゴンでの恒例行事と
して有名になっていきます。

17 (400x286)
スポーツクラブの「春の祭典」

1938年
この年の「春の祭典」はコンチネンタルホテルで開催され
ましたが、Le Nouvelliste d'Indochine新聞は皮肉たっ
ぷりに「今までの祭典で、かつて無いほどエレガントで見
栄えのするものであった」と評しています。

1954年
フランスがインドシナ戦争で敗北した後もベトナム人エリ
ートや外国人の飲食、水泳、テニスと高級スポーツクラ
ブとしての機能を果たします。

1960年代
アメリカ大使のロッジ(Henry Cabot Lodge)、グエンカオ
キ(Nguyễn Cao Kỳ)、ズオンヴァンミン(Dương Văn
Minh)ら政界の大物も利用していました。

1975年
サイゴン陥落後はスポーツクラブは労働総同盟の管理
下に置かれます。

1985年
ホーチミン市労働文化ハウスと名称変更、さらに1998
年労働文化会館(Cung Văn hoá Lao động Thành)
内の施設として現在に至ります。

18 (400x400)
労働文化会館
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://vietkon.blog73.fc2.com/tb.php/492-6af3d42c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。