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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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チャンダイギア学校
チャンダイギア学校

植民地時代 ① 最初のフランス植民地政府機関
         ② Institution Tabert
現在 チャンダイギア学校
    (Trần Đại Nghĩa Specialist High School)
場所 53 Nguyễn Du

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現在のチャンダイギア学校

建築当初、この地域はサイゴンの「ゴールドランド」と呼
ばれていて、最初のフランス植民地政府が置かれまし
た。

フランスがサイゴンを侵略、征服した後、政府の中心機
関を現在のドンコイ通りに設置したのは決して偶然では
なく、歴史上の背景が横たわっているのです。

ドンコイ通りを市民劇場に向かって歩くとリトゥチョン通り
に交差します。ここが1790年にグエン王朝の創始者ザ
ーロン帝の要請でフランス人技術者がサイゴンに建築し
た最初の都市建築物、ザーディン要塞(サイゴン城)の
南門入口だったのです。

1861年~1862年
最初のサイゴン知事ボナード提督(Louis Adolphe
Bonard)やスタッフの邸宅や事務所は旧ザーディン要
塞の南門の位置に木造作りで建設され、資材はすべて
シンガポールから運ばれました。

敷地内には600人を収容可能なイベントホール、馬小
屋や鶏、豚を飼育するための小さな農場を含んでいまし
た。

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ボナード提督の邸宅(描画)

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イベントホール(描画)

イベントホールは多彩な機能を果たしましたが1872年
にサイゴンに市民劇場ができるまでは劇団や音楽家が
訪れて公演していました。

1868年以降
サイゴンの最初の木造教会聖マリア教会(Église
Sainte-Marie-Immaculée)がシロアリ被害によって解
体された後、臨時の教会として毎週日曜日のサービスを
行いました。

1873年
ノロドム宮殿が完成すると知事とそのスタッフ達は宮殿
に移転しますが、政府機能はまだこの地に残されました。
しかしこの地の管理はパリ外国宣教会(Société des
Missions Étrangères de Paris)に委ねられます。

その後、 宣教師のHenri de Kerlan神父は知事の建
物などを混血孤児のための学校として改築します。

1874年8月31日
学校は10年に渡りコーチシナで宣教を続けている
Jean-Louis Taberdの業績をたたえて「タバー学院」
(Institution Taberd)と名付けられました。
ただ集会所はノートルダム教会(サイゴン大聖堂)が完
成しても、実際のミサが行われるようになる1880年まで
臨時の教会として機能します。

1890年
「タバー学院」の木造造りの建物は解体され、中庭を囲
む3階建ての建物に改築されます。

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「タバー学院」の概観
現在もこの建物が残っていますが、周囲は高い壁に囲ま
れていて最上階しか見えません。

1894年
生徒数344人の内、306人は寄宿生活をしていました。
生徒の増大に対応してヴンタオにも別館を開校させま
す。

1940年~1945年
他の学校と同じように「タバー学院」も日本軍の臨時の
宿泊所になったため、連合軍の爆撃の対象になっていま
した。

1954年
ジュネーブ協定の後、学校が再開されるまでの期間、
「タバー学院」は1200人の避難民を収容していました。

1975年
新政権によりミッションスクールはすべて解体され、「タバ
ー学院」 も1976年にはベトナム教育省に引き継がれ、
中等教育学校へと変わりました。

2000年
才能豊かな学生が集まるチャンダイギア学校として運営
されるようになりました。

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現在のチャンダイギア学校
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