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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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グエン王朝まとめ  各皇帝一覧
グエン王朝まとめ  各皇帝一覧

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グエン王朝は13代143年続いたベトナム最後の王朝で
した。
建国者のザーロン帝は逃亡生活に耐えて、タイ国やフラ
ンス宣教師の援助を受け、苦労してグエン朝を建国しま
した。


第2代ミンマン帝はザーロン帝とは悉く正反対の政策を
実行しました。中央集権体制を整え、鎖国政策を実施
し、キリスト教を禁止しました。しかしグエン朝に対する反
乱も治まり、王朝の最盛期を迎えます。


第3代ティウチ帝に新しい政策は無く、先例に則った政
治を行い官僚が台頭してきます。皇帝は詩を読んで楽し
んでいました。


第4代トゥドゥック帝はティウチ帝に劣らず、詩を好み、儒
教精神により国を治めようとしますが、鎖国政策によって
西欧世界の国力を把握できず、軍備の増強も怠ったが
ゆえに、キリスト教弾圧を大義名分にフランスの侵略を
受け、結局ベトナムはフランスの植民地になっていきま
す。
トゥドゥック帝には子供ができなかった為、直系による皇
位の継承はここで絶えてしまいます。さらに政治に実権
は権臣に握られます。


第5代ズクドゥク帝、第6代ヒエップホア帝、第7代キエン
フク帝の時代は宮廷権臣の専横の時代で1年に3人の
皇帝が即位するという世界史でもまれな事態が起こり、
宮廷は混乱に陥ります。
この混乱に乗じてフランスはベトナムの植民地化を完成
させてしまいます。


第8代ハムギ帝の時、ベトナムの封建制度を支えてきた
儒学者たちの最後の抵抗がフランスに対して行われます
が(勤皇運動)、フランスとの武器装備の差は大きく反
乱は悉く鎮圧されてしまい、皇帝が流刑になるという結
果に終わります。


第9代ドンカイン帝はハムギ帝は兄ですが、フランスへの
迎合一辺倒で夜な夜な宴会を開いて暴飲暴食をしてい
たので3年の在位で死去してしまいます。

第10代タインタイ帝の時代は、日本が日清、日露戦争
を戦った時代で、日本の勝利はベトナム人をはじめ、東
洋の黄色人種に大きな驚きと自信を与えた時代でした。
ベトナムでは独立のための新しい民族運動が起き、日本
に多くの留学生が派遣されます。(東遊運動)
タインタイ帝はこの新しい民族運動に加担したため、退
位させられてしまいます。


タインタイ帝の子供の第11代ズイタン帝は幼年で戴冠
しましたが、成人に達するにつれて父親にも増してフラン
スに対する反骨精神の持ち主に成長していきます。
ズイタン帝の治世に第1次世界大戦が勃発し、フランス
の植民地であったベトナムからも多くの兵士が徴用され、 
戦場に送られました。
ズイタン帝はこれらの兵士にフランスに反抗するよう仕組
みましたが計画は発覚して父親と共に流刑に処せられ
ます。


そしてまたフランス迎合の皇帝が即位します。
第12代カイディン帝はフランスに対する反抗心はまった
く無く、傀儡王朝に徹しました。フランスのマルセイユで開
かれた植民地博覧会に参加し、税金を30%増税して
自分の陵墓を建設しました。王朝の崩壊を決定付けた
皇帝と評価されています。

ラストエンペラー第13代バオダイ帝
バオダイ帝には本当にカイディン帝の子供なのかとの疑
惑が付いて回ります。9歳からずっとフランスで教育を受
けさせられたため、彼が即位してからはグエン王朝の伝
統的な風習は失われてしまいました。
第2次世界大戦の開始と共にベトナムに進駐した日本
軍によって傀儡政権を樹立しましたが、日本軍の降伏、
共産党勢力の台頭を背景に1945年8月30日、宮廷
の午門で退位式を挙行してグエン王朝は幕をとざしまし
た。と同時に938年から1000年近く続いたベトナムの
封建制度も終了し、南北分断国家を経て共和国制度
に進んでいきます。
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