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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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バオダイ宮殿
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バオダイ宮殿
バオダイ皇帝がフエ宮殿以外に避暑地の別荘として使用した宮殿は3カ所ありバオダイ皇帝の「ビエット・ディエン」(特別な宮殿)と呼ばれています。

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1.ダラット (パレスⅢ)
2.ニャチャン(パレスⅡ)
3.バンメトート(パレスⅠ)

バオダイが皇帝になった時には、フエ宮廷には徴税権を始めすべての政治権限がインドシナ総督に属していましたので、フエ宮廷はインドシナ総督から支払われる宮廷費で生活していました。

いずれの宮殿もフランスの力を借りて建設されたものです。現在ではバオダイが実際に使用したヴィラ以外はホテルとして利用されています。


1.ダラット (パレスⅢ)

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ラムドン省ダラット市のチエウ・ビィエト・ヴォン通りの行き止まりにはラムビエン高原があり、その小高い丘の上にロマンチックで、エレガント、ヨーロッパの革新風潮の建築様式をしている古い御殿が
ベトナム最後のグエン王朝( 1802 年~1945 年)のラストエンペラー、バオダイ皇帝の夏の離宮「ビエット・ディエン」(特別な宮殿)です。

夏の離宮は「バオダイ宮殿」とも「パレスIII」とも呼ばれ1933年~1938年にかけて5年の歳月を費やして建設されました。設計者はフランス人の建築士とベトナムの建築士フイン・タン・ファットで、公園の小風景、トォンウィエン庭、アイアン森に関連付けられた松森と調和を取った建築と小さなロマンチックな池で、ダラットでの最も美しい建築物の一つと評価されています。

建築面積は2階建てで1000㎡あり、26部屋があるという大豪邸です。

1949年バオダイが「ベトナム国」の国長になってからは、ベトナムの中部山岳地域は皇帝の特別行政区に指定されたため離宮には警護部隊と国長専用の車両団や専属のフランス人パイロットが管理する航空部隊も配備されていました。

<1階>
一階は会議、宴会、外国からの客や政府高官の応接に使われました。

その他にはバオダイ皇帝の執務室、事務所、図書館、エンターテインメントルームと大きなダイニングルームもあります。

特に、執務室は小風景と関連付けられ、内外の空間がドアを通して繋がり、窓がガラスとスチールフレームで作られたので、建築と自然との調和空間を作り出しています。

宮殿で展示されている三枚の虎の皮と象の牙もバオダイ皇帝が自分で狩った貴重なメモリアルです。

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展示室
三枚の虎の皮と象の牙も展示されていっます。

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応接室

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祝典室
シハヌーク殿下(カンボジア)が贈ったアンコールワットの絵画が飾られています。

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各廊下が交差するのが宮殿の特徴の一つ。

<2階>
二階は家族全員の生活と休憩のスペースで寝室や居間があります。
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ナムフン皇后の部屋

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皇太子バオロンの寝室
バオロンの部屋は後継者して帝位に就く予定があるので、黄色が基調にされています。

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フォンリエン女王とバオタン王子の寝室。

<宮廷外>
宮殿の外では入り口の右側と宮殿の奥にフランスの宮殿の庭園様式の花園があり、幾何モデルでレイアウトされています。
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この花園には全部木の枝がきれいに刈り取られて、貴重なバラの花群が二つの軸を対称に、一年中咲いています。

宮殿の前の大花壇もよく手入れされており、すべては宮殿を歩き回る小さな通路を構成して、その小道が常にささやく松葉の中に隠されています。


2.ニャチャン(パレスⅡ)

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ヴィラ正面玄関

ニャチャンのバオダイヴィラはは市中心部から約6Km、海洋公園近くにあります。

1923年
フランス人が東南アジアの海洋研究学院設立の為、ニャチャンのチュート山の山頂に別荘を建設して住み始めます。別荘は5つ建てられ、それぞれスオンロン、ボンス、ボンジャイ、フォンヴィ、バンと名付けられました。

1925年
海洋学院の建設が完了しました。

1940年~1945年
バオダイ皇帝とナムフン皇后がスオンロン別荘によく泊まって、ニャチャンの海釣りを楽しんでいました。そしてスオンロン別荘をバオダイ別荘と名付けます。



1956年
1955年末、バオダイがフランスへ追放されると、ゴ・ジン・ジェム大統領一家がこれらの別荘の主人となり、チャン・レ・スアン(ゴ・ジン・ジェムの弟の妻)のよってスオンロン別荘はギンフォン(風迎)、ボンス別荘はヴォングエット(月望)と名付けられました。

1975年
サイゴン陥落後、ヴィラはBao Dai Villa Hotelとして活用されています。

ヴィラは、緑豊かな120000平方メートル敷地を持ち、岬の上に建っていて3方が海に面しています。沿岸の島々を南シナ海に見落とし、一年中そよ風を受けることができます。

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ホテル概観

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ヴィラから見るニャチャン海岸

3.バンメトート(パレスⅠ)

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バオダイが宿泊したヴィラ

1926年
ダックラック地方の司法大臣を勤めていたフランス人ポールギラン(Paul Giran)がこの地域におけるフランス植民地当局の本部とするため、この高原で入手可能な材料(レンガと木材)で建築しましたが、基礎工事の材料はフランスから輸入したセメントが使われました。

敷地面積は6ヘクタール、建築総面積は2300m2もあります。周囲は樹齢の古い木々で囲まれている美しい高原地帯です。
この地域はエディ族( người Êđê)の居留地で建物もエディ族の伝統的家屋様式を取り入れています。

1949年
第2時世界大戦後、フランスがベトナムを再侵略し、1949年傀儡政権である「ベトナム国」を建国してバオダイが国長となると、この地域は再び皇帝を名乗ったバオダイの直轄統治区となり、建物は改装され、宿泊施設も追加されてバオダイ皇帝のダラック地方視察の玄関口となります。

それ以来、地元の人々はこの建物一体のヴィラを「バオダイ特別宮殿」(Biệt Điện Bảo Đại)と呼ぶようになりました。

1949年~1954年
毎年雨季になるとバオダイはこのヴィラで休養と狩猟を楽しんでいました。

1955年~1975年
バオダイが失脚し、フランスに亡命した後は、ベトナム戦争の激戦地となります。

1977年以降
ヴィラはホテルやダックラック省の民族博物館として使用されています。

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ヴィラホテル

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民族博物館の入口

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ガーデン

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周囲
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