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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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バオダイの正妻・愛人・子供 その3
バオダイの正妻・愛人・子供 その3

3.Bùi Mộng Điệp(裴夢蝶)

生没年 1924年~2011年6月26日
モンディエップは凋落していくグエン家に対して、バオダイ
の愛人として古来のグエン王朝のしきたりを守り通しまし
た。

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1924年 
バクニン省の貧しい家庭に生まれました。

1940年
16歳の時、Phạm Văn Phánという医師を愛して、子供
ができましたが、その後別れてハノイでダンサーをしていま
した。

1945年 

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「ベトナムニュース」の表紙を飾ったモンディエップ

バオダイ皇帝が退位後、ハノイでベトナム民主共和国の
最高顧問をしていた時に出会い、北部ベトナムでの愛人
となります。
バオダイはモンディエップの美しさのあまりナムフン皇后と
約束した「一夫一婦制」をすぐに忘れてしまいました。

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ハノイでの2人

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ハノイ時代, バオダイとモンディエップが住んだ住居
(Tràn Hưng Đạo 51番地)

1946年
ホーチミンとは次第に意見が合わなくなったバオダイは
中国に亡命し、香港に移り住みます。モンディエップは
ハノイで長女Nguyễn Phúc Phương Thảoを生みます。

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その後モンディエップは北ベトナムのスパイだとしてフラン
ス官憲に逮捕されますが、バオダイが香港からフランス
政庁に手紙を送り抗議し、釈放されます。

1949年
バオダイが「ベトナム国」の国長(元首)として復権し、
ダラットやバンメトートのある中央高原は皇帝の管理する
直轄地とされます。
バオダイはダラットの離宮に戻ると、ハノイからモンディエ
ップを呼びます。

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1949年旧正月のモンディエップ

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当初バオダイ帝が買い与えたモンディエップのヴィラ
(Hùng Vương 14, ダラット)

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現在は改築されています

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ダラットでのモンディエップ

1950年
バンメトートには皇帝特別行政区(Hoàng Triều Cương
Thổ)が置かれ、50Km郊外にはバオダイの狩猟のた
めの施設と休憩場が用意されます。この施設が現在の
「バオダイヴィラホテル バンメトート」です。

モンディップはダラットやバンメトートでのバオダイ国長の
生活を助けます。
フエ宮廷から皇族のTôn Thất Hốiを連絡係として呼び
寄せ、バオダイが何処にでも行けるようにバンメトートから
ハノイ、フエ、ダラット、ニャチャン、ハノイへの航空路を整
備させました。

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バンメトートでの狩猟
(中央)バオダイ (右)ブイ・モン・ディエップ

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バオダイが仕留めた寅

モンディエップは学問はそれほどではありませんでしたが、
仏教徒でバオダイの母の言うことも良く聞き、とても信用
されていました。
グエン王朝の繁栄を祈る儀式は儒教に則っとって行わ
れていたので、カトリック信者のナムフン皇后ではかなわ
ず、バオダイの母Từ Cungはモンディエップに依頼したほ
どでした。

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バオダイの母Từ Cungが モンディエップにプレセントした
宮廷服 

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バオダイの母との外出

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バオダイの母との外出(バンメトート)

結婚式は挙げていませんが、モンディップは第2婦人とし
ての待遇をされます。

1953年 
共産主義勢力が台頭してきて政情不安が増してきたた
め、バオダイはグエン王朝の王剣と金の玉璽をはじめと
する財宝をフランス、カンヌ郊外のソレンツ城に住んでい
るナムフンに運ぶように依頼します。

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フランスへ出発するモンディエップ

その後もモンディエップはしばしばフランスとベトナムを往
復し、600点以上のグエン王朝の財宝をフランスに運び
込み、その後、子供を連れてフランスに居住するようにな
ります。
最初はナムフン皇后が住んでいるカンヌ郊外のソレンツ
城近くに部屋を借りていましたが、その後パリに移りま
す。

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フランスでの2人(モンディエップは右端)

モン・ディエップにはフランス政府から補助金が支給され
ましたが、彼女はそれに満足することなく、看護学校に
就職して猛烈に働きました。

1954年、1957年
フランスでバオダイとの間に男の子、Bảo HoàngとBảo
Sơnを出産します。
モンディエップはパリで不動産事業を始めます。それは古
い家屋を買って、一流のデザイナーに改築させ付加価
値をつけて再販する商売で事業は順調に拡大し、数年
後にはモンディエップは富裕層の一人となります。子供
の教育のために彼女は必死に働いたのです。

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60 The1ophile Gautier, 16地区、パリ

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当時のモンディエップ

1971年
バオダイが30歳年下のMonique Baudotと同棲し始め
ます。

1987年
息子のBảo Sơnが30歳で事故死してしまいます。
この時期以来、モンディップはパリのアパート(パリ12地
区Rueilly通り24番街)に引きこもるようになります。

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晩年はパリ12区のアパートで一人暮らしをしていました。

1996年
フエ市を訪問

1997年
バオダイが死去します。

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祭壇にはバオダイ、バオダイの母、2人の息子が祭られ
ています。

2008年
ハノイを訪れます。

2011年6月 
転倒して首に痛みがあるので入院していましたが、医師
は心臓疾患を発見し、手術を試みましたが失敗し、26
日午前12時、フランスSaint Antoine 病院で逝世(87
歳)します。
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2011年7月1日
本人はフエでバオダイの母親の墓の傍に埋葬されること
を希望していましたが、現在墓地はパリのThiais 墓地
で2人の息子の傍に埋葬されています。

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2011年7月2日 
フエ市でも追悼式が行われました。 

<新聞記事引用>
[グエン朝最後の皇帝バオダイ帝の第2夫人だったブイ・
モン・ディエップ元王妃 (87歳)が2011年6月26日、
パリの病院で死去した。

ディエップ元王妃の追悼式は7月1日にフエ市 キエンタ
イブオン府及びパリ市のチュックラム(竹林)寺院で行わ
れました。

ディエップ元王妃とバオダイ帝との出会いは1945年、
バオダイ帝がベトナム民主共和国政府の顧問を務めて
いた時代にハノイ市で出会った。

ディエップ元王妃は1953年に、バオダイ帝は1955年
にフランスに移り住んだ。 その後バオダイ帝は1997年
にパリで死去し、一度も帰国することはなかった。

ディエップ元王妃は1996年に帰国した際、グエン朝の
都が置かれたフエ市を訪れている。元王妃は当時、自ら
が保有していたグエン朝に関する全ての資料を寄付する
意向を表明したが、その願いは今のところ叶えられてい
ない。 ]

ディエップ妃は皇后の名称はありませんが、実質的には
第2夫人とされています。


<庶子>
阮福芳桃(Nguyễn Phúc Phương Thảo) 1946年
       フランス在住ですが最近の足取りは不明
です。
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1952年、バンメトートでの写真

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左からBảo Sơn、Phương Thảo、バオダイ

阮福保隍(Nguyễn Phúc Bảo Hoàng) 
1954年~1955年

阮福保山(Nguyễn Phúc Bảo Sơn) 
1957年~1987年
       フランスの技術系大学を卒業し、後、工学博
士となりますが、不幸にも30歳で自身が運転する飛行
機でイギリスの南海岸を飛行中事故死。モンディエップ
の自慢の息子でした。span>
35 (400x262)






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