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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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トゥドゥック帝 その2
孝行息子
皇帝トゥドゥックは孝行息子として有名でした。
先帝ティウチ帝の棺は墓所が完成していなかっ
たこともありましたが、宮城内に8カ月も留め置
かれました。初代皇帝ザーロン帝でさえ4カ月間
でした。

トゥドゥック帝は、孝行息子は両親に対する義務
を果たすべきで、親孝行こそが儒教の徳の中で
も一番を占めるものだと巷で言われていることを
理解していました。

墓所になかなか移動させなかったのはトゥドゥッ
ク帝の親孝行振りを宮廷内外にアピールする為
でした。

トゥドゥック帝治世の大半はファンタイジャン(外
交担当)とグエンティフォン(軍事担当)という官
僚が摂政ともいうべき地位をしめて政治が行わ
れていました。

しかしトゥドゥック帝にとって何よりも大事な人は
母親のTỪ DŨ(慈裕太后范氏姮)でした。

彼はいつも母親の教えに頭を垂れ、決して不服
従することはありませんでした。母親の前ではま
るで幼児のようであり、母親を喜ばせることを最
大限に考えていました。

毎月奇数の日には母親を自分の宮殿に招き、
偶数の日には自分が母親の宮殿に行きました。
36年間の彼の在位期間に、この習慣は一度た
りとも欠かしたことがありませんでした。

そして政治的課題のすべてに母親のアドバイス
を求めました。母親のアドバイスは「Book of
Kind Mother’s Advice」に記録されました。

トゥドゥック帝は母親に対して親孝行をしました
が、皮肉にも、そして不幸にも、中国儒教の封
建的道徳観念上からは最大の罪をされる「子
孫を残すことが出来なかった」のです。

これがトゥドゥック帝の最大の悲劇でした。

彼は生まれながらにして病弱だった上、少年の
頃に天然痘に侵され、合併症も併発して身長も
150Cmしかありませんでした。その影響からか、
側室は100人以上いいましたが子供が出来ま
せんでした。

3人の甥を養子にし、後に3人とも皇帝になりま
すが、3人とも当時の官僚達に悲劇の生涯を強
要されます。
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