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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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9 ホーチミン主席の足跡 1911年(21歳) 更新1
9 ホーチミン主席の足跡 1911年(21歳) 更新1

1910年9月19日
ファンティットでの教員の仕事を辞したグエ
ン・タッ・タン(偽名ヴァンバ)はズックタン学校
の同僚の世話でサイゴンにやって来ます。

サイゴンで「LIEN THANH会社]を探すまで
の間、フエ宮廷の官僚チュン・ヤ・モ-の母
方の親族であるLê Văn Đạtの家に世話に
なります。

11
現在のコーバック(CÔ BẮC)通りのHEM
(小道)185/1にあります。
現在は勿論建て替えられていますが、子孫
の方が道路の反対側でメガネレンズの会社
を営んで住んでいます。

2日後、バン・バ青年はLIEN THANの販
売会社を探し当てます。

12
当時のLIEN THAN販売会社のヌックマム
工場倉庫

13
現在のLIEN THAN会社
現在のホーチミン市4区ベンヴァンドン(Bến
Vân Đồn)通り243番地

14
LIEN THANの商標

ベンゲ運河沿いのBẾN VÂN ĐỒN通りの
散歩道をチョロンに向かって歩いていくとあり
ます。
探し当てたのは仕事場で宿舎は現在のチョ
ロン郵便局の手前にあります。


宿舎は当時のままなので、1988年11月1
6日に国の歴史的建造物に指定されていま
す。
現在のホーチミン市5区チャウバンリン(Châu
Văn Liêm)通り5番地、チョロン郵便局の
近くにあります。

15

サイゴンで Van Ba青年が見た光景は、フ
ランス人に虐げられているベトナム人の姿で
した。豊かなのはフランス人とその手下にな
っている官僚達で、庶民は過酷な生活を強
いられていることを強く感じます。

16
1911年初頭。サイゴンのフランス人

17
サイゴンの官僚達

サイゴンの官僚達はメコンデルタの米の精米
を一手に引き受けていた中国人と結託して
懐を肥やしている人がたくさんいました。

サイゴン在住時、ヴァン・バ青年はLIEN
THANで働きながら3カ月だけでしたが
Ecole des Mecaniciens(カオタン技術養成
学校)に通い、機械技術を勉強します。

仕事と勉強の合間にはサイゴン港の埠頭周
辺で新聞を売り歩いて、外国へ行くチャンス
を探します。

18
1908年のカオダン技術養成学校

19
技術研修はバソン造船所内で行われまし
た。


6月2日 
彼は現在のマジェスティックホテルの並びに
あったフランス海運会社Chargeurs Réunis
Companyの船員募集広告を見つけ応募
します。ヴァン・バ青年は船員としては無理
でしたが、翌6月3日、船会社の責任者が
会ってくれ、厨房補助員として̉月45フランの
賃金で雇ってくれることが決まったのです。

ヴァン・バ青年は停泊していたラトゥーシュ・
トレヴィル号に行って就職を依頼したという
記事もあります。

20
船会社のビル

21
左のビルが当時まだ未建設のマジェスティッ
クホテル、ドンコイ通りを隔てて右側のビルが
旧船会社の再建されたビル。

この船会社はL’Amiral Latouche
Tréville (提督ラトゥーシュ・トレヴィル号、
略してトレビュー号)とナムサオ号というベトナ
ムとフランス間を航海する船を運航していま
した。

トレビュー号はフランスのマルセイユ港を母
港とするハイフォンとフランス最北端の港ダ
ンケルクを結ぶ貨客船で、航路はスエズ運
河を通る航路とアフリカ最南端の喜望峰を
通る航路があり、当時のフランスとイギリス
の植民地に寄航しながら、航海をしていまし
た。

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1911年のグエンフエ通りの写真。
正面にトレビュー号(Amiral Latouche
Tréville)が停泊しています。
後のホーチミン主席が救国を胸にフランスへ
旅立った時に乗った貨客船です。

ホーチミン主席はニャロン桟橋(現在のホー
チミン主席記念館、昔のドラゴンハウス前)
の桟橋から旅立ったとされていますが、それ
は史実ではなく、実際はグエンフエ通り突き当
りの、この桟橋から旅立ちました。

23
貨客船トレビュー号

24
貨客船トレビュー号


6月4日
彼はLIEN THAN会社の同僚やサイゴンに
来ていた父親に一時の別れを告げ、旅支度
をします。しかしこの旅立ちがヴァン・バ青年
と父親の最後の出会いで、生涯、父親に会う
ことも墓所に行くこともかないませんでした。

6月5日
トレビュー号は前寄港地トーラン港(Tuaran
現在のダナン)から6月2日にサイゴン港に
入港しており、6月5日フランスへと出航しま
す。ヴァン・バ青年は晴れて救国の意思を胸
にフランスへと旅立ちます。時に彼は21歳でした。

ホーチミン主席関連の本に常に「ホーチミン
主席は救国の道を探しに外国へと渡りまし
た」と書かれる、ベトナム独立にとって重要な
エポックになった出来事です。

25
船会社の賃金台帳。真ん中の欄に「ヴァン・
バ」とあります。45フランと書かれています。


26 サイゴン出航記録
サイゴン港出航の記録

サイゴンを出航したヴァン・バ青年は、8日シ
ンガポール、14日コロンボ、 30日スエズ運
河を通ってエジプトに寄港してから、約一月
後の7月6日、フランスのマルセイユ̣
(MACXÂY)港へ到着します。

27
フランスへの航路

28 シンガポr-ル
シンガポール

29 コロンボ
コロンボ

30 エジプト
エジプト


航海中の自由時間に彼はよくシェイクスピア、
トルストイ、マルクスなどの本を読んでいたそ
うです。

31
ホーチミンの愛読書「シェイクスピィア」


32
フランス マルセイユ入港記録

33
当時のマルセイユ港

34
マルセイユ港キャノビー(Canobie)通り

マルセイユで彼はコーヒーショップに入り、「ム
ッシュー」と呼ばれたことに感動しています。フ
ランス本国では誰もが彼を平等の人間として
接してくれたことで、植民地とはあまりに違う
光景でした。

その後、トレビュー号はフランスのルアーブル
港(Le Havre port)に寄港後、ダンケルク港
に8月19日に入港し、9月に母港マルセイユ
に停泊します。

次の出航まで彼はルアーブル港近くの
Sainte-Addresseで住込みで庭師や厨房で
の仕事をして生活していたようです。

9月15日
ヴァン・バ青年はフランス大統領に手紙を書
きます。

35

Kính gửi ngài Tổng thống nước cộng hòa
Tôi vinh hạnh xin Ngài, với lòng nhân từ
cao cả của mình, một đặc ân là ̣dược vào
học trường thuộc địa như một học sinh
nội trú.

Hiện nay tôi đang làm việc cho Hãng vận
tải hợp nhất́ (Companie des Chargeurs
Reunis) trên tàu L'Admiral Latouche
Tre'ville.

Tôi hoàn toàn không có tiền của, nhưng
ham học hỏi. Tôi muốn trở thành hữu
ích cho nước Pháp trong quan hệ với đồng
bào tôi và làm cho họ được hưởng những
điều tốt đẹp của học vấn,

Tôi quê t̉in Nghệ An ở Trung Kỳ,
Trong khi chờ đợi Ngài trả lời, mà tôi
mong là thuận lợi, xin Tổng thống nhận
lời biết ơn trước của tôi.

Nguyẽn Tất Thành, sinh năm 1892 ở
Vinh, con ông Nguyễn Sinh Huy (Phó
bảng), học tiếng Pháp, chữ quốc ngữ và
chữ Hán

「私、グエン・タッ・タンはベトナムゲアン省の
生まれで、現在フランスの船会社で働いてい
ます。私はお金がまったくないのですが、フラ
ンスの学校(Colony School in Paris)で勉
強したいのです。」と言うことが書かれている
のですが、勿論、いくら待っても返事はきませ
んでした。
この手紙の最後のパラグラフには、1892年
ゲアン生まれとあります。

10月31日
グエン・タッ・タンは父親に15ドンの送金為
替を組みます。この時、父親がどこに住んで
いるのか曖昧だったため、彼はフエのフランス
の役所に手紙を書き、父親に15ドンの受取
を依頼します。

36
後日送金は父親に渡されたことが確認され
ています。


1911年の暮れ、貨物船トレビュー号はフラ
ンスのマルセイユ港からベトナムのハイフォン
に向かって出航します。ホーチミンは1912
年の始めに一旦サイゴンに戻っています。父
親を探したようです。そして再びマルセイユに
向けての航海に出ます。

彼の船員としての旅は1913年のフランス、
ルアーブル港到着まで続きます。


コラム  カオタン技術養成学校

カオタン技術養成学校(Cao Thang
Technical School 仏語 Ecole des
Mecaniciens)はハムギ通りにあります。

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現在のカオダン技術学校

フランス植民地政府は植民地支配と地域の
発展のために1906年2月20日、機械技術
の専門学校を南ベトナムに設立しました。

南ベトナムの最初の技術養成学校で、卒業生
は近くのバソン造船所で働く人が多くいました。

1906年の設立から1954年にフランスがデ
ィエン・ビエン・フーで大敗を期すまで695人
の卒業生を送り出しています。

海外に行くことを夢見ていたバン・バ青年は
フランスに旅立つ前、この学校で機械技術を
3カ月間勉強しました。

ホーチミン内閣の副大統領に就任し、ホーチ
ミン亡き後に大統領職を引き継いだトン・ドゥ
ック・タン(Tôn Đức Thắng)も1915年から1
917年の間、この学校で船の機械技術を勉強
しました。


この学校の生徒には愛国者が多く、フランス
の植民地支配に抵抗する学生がたくさんい
ました。

1932年には学生の中にインドシナ共産党
の支部が設立され、1940年の南部一斉
蜂起や1945年のベトナム8月革命にも多くの
学生が参加しました。

ベトナム分断後も南ベトナムのジェム政権や
チュウ政権に対して抵抗運動をしています。

38
カオタン技術学校の卒業証書
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