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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ザーロン帝 その4
3.政治体制

3-1.地方分権政治

阮朝は現在のベトナムにほぼ等しい領域を支配した最
初の統一政権であり、それ故に建国当初は性急な集権
化を行なわず、現在のハノイを中心とした北部には北城
総鎮を、ザーロン(嘉定 現在のサイゴン)を中心とした
南部には嘉定城総鎮を置いて、総鎮には大幅な自治権
を認めました。

3-2 南部総鎮 レ・ヴァン・ズエット将軍(別掲)


3-3.法整備 皇越律令の制定

ザーロン帝はタイソン朝の改革を否定し、古典的な儒教
や科挙制度を復活させました。

1815年
国内制度の整備を進め、中国清の律令にならった嘉隆
律例(皇越律令)が発布され、中国的な制度が導入され
ます。そしてグエン朝の建国に貢献の大きかったフラン
ス人たちを顧問として好遇しています。
「皇越律例」は世界遺産となっています。

13
皇越律例20cmX30cm チュノムで書かれています。

3-4.対外関係
産業革命を経験したヨーロッパでは通商貿易の拡大を
求めアジア市場に進出してきました。

1804年阮朝成立直後、イギリス使節ロバーツが通商
関係の改善を求めてダナンに来航し、1832年にはアメ
リカからの使節も来航しています。

フランスは当初、フランス革命やナポレオン戦争の影響
で、グエン朝建国でアドラン司教が活躍した後はしばら
くベトナムとの交渉がありませんでしたが、ナポレオン
戦争終了後は通商関係を求めてベトナムに使者を派遣
しています。
ザーロン帝は建国の功績を認めフランス人を優遇して
いましたが、通商要求に対しては一貫して拒否しまし
た。

3-5.キリスト教
建国の経緯もあって建国当初はフランス人をはじめとす
る欧米人やキリスト教を敵視することはありませんでし
た。

加えて、ザーロン皇帝はキリスト教徒ではありませんで
したが、アドラン司教がベトナムの伝統的な祖先崇拝は
死者に対する単純素朴な儀式であって、キリスト教信仰
とは相反するものでないとの見解を示していたので、キ
リスト教が特に問題視されることはありませんでした。

嘉定城総鎮のレ・ヴァン・ズエット(黎文悦)もキリスト教
徒でしたので、キリスト教に対する寛容さは北部と南部
ベトナムでは若干温度差がありました。しかし徐々に中
国的な支配体制が整備されてくると、儒教のウェイトが
高まり排外的な傾向があらわれるようになり、第2代皇
帝明命帝の時代になるとキリスト教が禁止されてしまい
ます。
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