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中沙諸島 スカボロー礁(黄岩島)

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スカボロー礁(中国語名:黄岩島)は、フィリピン共和国の
ルソン島西方沖にあり、その名称は18世紀にこの地点で
難破した茶貿易船「Scarborough号」にちなんでいます。
スカボロー礁は周囲55km、面積150km²、水深10~20
mの礁湖を持つ二等辺三角形の環礁で水深3500mの
海盆上にあり、海底の山が水面に3m近く露出した部分が
黄岩島です。
礁湖の南端には水深が9~11mある路があって、漁船が
漁業活動を行なったり風を避けることができます。

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(領有権をめぐる争い)

(フィリピン共和国の主張)
スカボロー礁の付近海域は16世紀にはフィリピン漁民の
漁場だったとし、スカボロー礁がルソン島の西沖約220キ
ロと近接していることから、1980年、フィリピン政府はスカ
ボロー礁を200海里排他的経済水域内であると主張して
います。

しかしスペインがフィリピン諸島をアメリカ合衆国に割譲し
た1898年のパリ条約、1900年のワシントン条約、
1930年の英米条約では、東経118度をフィリピンの西限
としており、スカボロー礁はこの範囲の外側にあります。

1935年のフィリピン共和国憲法及び1961年の領海基
線法にも同様の規定がありますが、フィリピン外務省は、
スカボロー礁は「島」ではなく「岩」であって、これらの条約
等の対象とされていないと主張しています。

そして、フィリピン外務省は国際公法上の判例を踏まえる
と、領有権は歴史的な主張や領有ではなく、管轄権の有
効な行使、実効支配(effective exercise of jurisdiction)に
基づいて判断されるべきであると主張しています。

1990年後半スカボロー礁周辺海域の地下に天然資源が
確認されたから領有権争いが表面化します。

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中国国旗が立てられたり、フィリピン国旗が
立てられたりします。

1992年、フィリピンから撤退する米軍から中沙諸島の実
効支配を継承します。

1997年、フィリピンが軍艦と軍用機を出動して台湾の民
間組織のラジオ局による領海侵犯を追跡、監視。

1997年4月30日、フィリピン人2人の国会議員が軍艦に
乗って上陸、旗と碑を立てる。

1998年1月から、中国海南省の4艘の漁船が領海侵犯し、
フィリピン海軍に拿捕され、51名の漁民がフィリピンに半年
間拘禁されます。

1999年5月23日、フィリピン軍と中国の漁船が衝突。中
国外交部スポークスマンはフィリピンへ抗議し、交渉を呼
びかけた。

1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図の中で、スカ
ボロー礁と南沙諸島を版図に表記し、8月には「南沙諸島
はフィリピン領土」である旨の憲法改正を行ないました。

1999年11月3日、フィリピン海軍の艦船がスカボロー礁
のパトロール中に座礁。フィリピンは艦船は救援参加時に
故障が発生したと発表したが、中国は座礁した艦船の撤
去を求め、フィリピン側はすぐに撤去して以来、島の陸地
を実行支配する国はなく、島周辺の水域はフィリピンの
艦船が監視しています。

2000年、フィリピン海軍が領海侵犯した中国の漁船船長
を射殺した。

2009年には、フィリピンが南沙諸島の一部とともにスカボ
ロー礁を自国領有とする「領海基線法」を国会で成立させ
ました。
これに対し、中国政府は「違法かつ根拠のない主張であり、
厳重に抗議する」との声明を出します。

2012年4月8日、フィリピン海軍がスカボロー礁近くに中
国の漁船8隻が停泊しているのを発見し拿捕したのを受け、
中国の監視船が現場に急行、フィリピン海軍の進行を阻止し、
睨み合う状況が2カ月近く続きました。

4月17日、フィリピンのデル・ロサリオ外相は国際海洋
裁判所に判断を仰ぐ提案をしたが、中国外交部辺海局
の鄧中華局長はスカボロー礁は法理上自国の領海で
あることは明白だとして拒否しています。


フィリピンの領有主張は無理があるようで、フィリピン紙
ニラ・スタンダード・トゥデイは2012年4月28日付で
フィリピンの投資家Victor・Arches氏の寄稿「それは中国
に帰属する」を掲載しています。

寄稿の要旨は以下の通り。

スカボロー礁は確かに中国に帰属する。中国は元朝の
1279年にはすでにスカボロー礁を発見し、地図に記載
していた。それ以来、中国の大陸と台湾の漁師はここで漁
をしてきた。
実は当時元朝の統治者フビライに仕えていた天文学者、
技師、数学者の郭守敬が南海諸島の測量を行った際、
基準点としたのがスカボロー礁だった。

それと対照的に、わが国の外務省が領土の証拠として
持ち出した「古地図」は、中国の地図から541年後の
1820年になってようやく製作されたものだ。Edgardo
Angara上院議員が、540年以上も遅れてようやく製作
された地図が、それよりずっと前の中国の地図よりも説得
力があると主張していることは、私にとって大きな驚きだ。

米国から独立を宣言した1946年の時点で、われわれの
領土はどうだったか?1899年、1935年、1943年、
1973年、1986年、1987年のわれわれの歴代憲法の
いずれにもスプラトリー諸島やスカボロー礁が領土として
含まれていないのはなぜか?われわれはどこから、あるい
は誰から、突然これらの島嶼を手に入れたのか?まさか、
どこからともなくではあるまい。

1970年代後半に中国はスカボロー礁周辺で科学調査活
動を行い、後に碑も建てた。だがこれはフィリピンによって
権限のないまま1997年に撤去された。

フィリピン政府発行の地図は1990年代まで全てスプラト
リー諸島とスカボロー礁を領土の範囲から除外している。
1961年にわが国の議会で承認された共和国法令第30
46号は、われわれをこれらの島嶼の保有から押しとどめ
ている。

だが48年も後の2009年3月10日になって、われわれは
この法令を改正し、これら係争中の島嶼の保有を一方的
に宣言した。

しかし、これらの島嶼に対する中国の主権を支持する国際
条約が3つあるという事実を軽視することはできない。
1898年の米国とスペインのパリ条約、1900年のスペイ
ンと米国のワシントン条約、1930年の英米条約だ。
これらはいずれもフィリピンの領土の境界を東経118度
と定めている。

一方で、フィリピン側の領有権主張の根拠は1982年の国
連海洋法条約のみだ。私の理解では、これは「convention」
に過ぎず、宗主国間で締結された 「treaty」や「agreement 」
を覆したり、取って代わることはできない。たとえ「law」と見
なしたとしても、遡及効果を持って過去の事実を変えること
はできない。


(台湾の主張)
スカボロー礁は中国人に最も早く発見されたとされ、その
付近海域も海南島の漁民の古くからの漁場だった。

1279年、著名な天文学者郭守敬が「四海測験」を行なっ
た時、南シナ海ではこの島を測量地点としたとされる。

1935年1月、台湾水陸地図審査委員会はスカボロー礁
を台湾の版図へ入れます。

1947年末、台湾内政部が正式に編纂出版した「南海諸
島位置図」でスカボロー礁を「断続国界線」内へ入れ、この
線を法的効力のある歴史的境界線として、台湾は線内の
島、礁、浅瀬、砂州の主権を主張しています。


(中国の主張)
元王朝時代に黄岩島で測量を開始し、その後も周辺海域
で漁業、開発・調査など主権を行使してきたことを理由に、
フィリピンの主張を退ける。

1983年、中国地名委員会は「我国南海諸島部分標准地
名」を公布して「黄岩島」を標準名称とした。
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