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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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グエン・ティ・ミン・カイ 更新

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Nguyễn Thị Minh Khai
本名 グエン・ティ・バイ(Nguyen Thi Bay)
生没年  1910年 - 1941年8月26日
誕生日には諸説があります。Hội Liên hiệp phụ nữ Việt Nam
(Vietnam Women's Union)によれば11月1日, Báo Đại đoàn
kết(The Great Unity)によれば、9月30日となっています。

ゲアン省ヴィン市ヴィンイェン村落の生まれ。
1930年から1940年にかけてのインドシナ共産党のリーダーの
一人。


父親グエン•フイ•ビン(Nguyễn Huy Bình)はハノイ生まれですが、
ヴィン市で公務員を養成する仕事をしていました。

母親ダウ・ティ・トゥ(Đậu Thị Thư)はハティン省ドゥックトー県ドゥ
ックトゥン村落の出身で中小企業に勤めていました。

1919年からクウォック・グー(現在のベトナム語)を学び、ヴィン
市のカオ・ソン・ズック(Cao Xuân Dục)学校に入学します。

1925年頃の先生はチャンフー(初代インドシナ共産党書記長)
でした。

1927年、労働運動に参加していたグエン・ティ・ミン・カイはチャ
ン・フーが中心となって創設した共産主義団体「新越革命党」に
参加し、執行委員会のメンバーになり、ゲアン省のベン・トゥイ
(Bến Thủy)村で党員の教育を行い、ファン・ボウ・チャウの恩赦
運動やファン・チャウ・チンの追悼大会に党員を動員していまし
た。  

1929年初め、グエン・ティ・ミン・カイは革命運動に専念する為
に家族と離れて暮らすようになります。

1930年 インドシナ共産党に入党し、宣伝活動担当になり、
ベン・トゥイ市場で共産党員の訓練をします

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その後、香港に向かい、コミンテルン東方局でグエン・アイ・コック
(ホーチミン主席)の秘書をします。グエン・アイ・コックは直接、
彼女を教育し、グエン・ティ・ミン・カイは官憲からグエン・アイ・
コックを守る為に全力を注いでいました。

インドシナ共産党の成立後、1930年から1931年にかけてベト
ナムでは「ゲティン・ソヴィエト」と呼ばれる農民や勤労者を中心
にした労農政府の樹立を目指して、蜂起が頻発し、フランスは大
衆組織の蜂起に脅威を感じ始め、共産党員の大弾圧を始めま
す。

1931年、グエン・アイ・コックはタイに拠点づくりに行っていまし
たが、秘書をしていたグエン・ティ・ミン・カイは香港で逮捕され、
投獄されます。

1934年に釈放され、上海で合法活動していた時にレ・ホン・フォ
ンと出会い、結婚します。結婚セレモニーはアパートに同志2,3
人が集まったとても質素なものでした。(別項)

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1935年3月
夫のレ・ホン・フォンと共に1931年の大弾圧以来、壊滅的状態
にあったインドシナ共産党組織の建て直しに努め、第1回インド
シナ共産党全国大会をマカオで開催することに成功します。

この年の7月にモスクワで開催されるコミンテルン第7回会議の
インドシナ共産党の公式使節団にレ・ホン・フォンと共に任命され、
モスクワへ向かいます。

会議に出席したグエン・ティ・ミン・カイはレーニン婦人に会い、
グエン・アイ・コックにも再会します。
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(左)レーニン婦人 (右)がグエン・ティ・ミン・カイ

会議終了後、グエン・アイ・コックはグエン・ティ・ミン・カイを食事
に招いた席で、グエン・アイ・コックは、いずれベトナムに戻りたい
と話しています。

その後グエン・ティ・ミン・カイはモスクワの「東方勤労者共産大
学」(Đại học Phương Đông)で勉強します。

1936年、コミンテルンの要請でグエン・ティ・ミン・カイは「Năm
Bắc」という偽名でベトナムに帰還し、インドシナ共産党南部委員
会に属し、サイゴンーチョロン地区の書記を務めます。

夫のレホンフォンは1937年年末頃にベトナムに戻り、1938年
3月にはサイゴン近郊のホックモン(Hóc Môn)で開かれたインド
シナ共産党中央委員会に出席し、『インドシナ民主統一戦線』
(Mặt trận Dân chủ Đông Dương)の設立を決定します。

そして南部ベトナムでの反仏蜂起の組織作りをベトナムに戻った
夫と共に精力的に行います。しかし行動はお互いに別々に行っ
ていました。

しかしフランスの秘密警察は、夫レ・ホン・フォンとグエン・ティ・ミ
ン・カイが、その首謀者であることは知っていました。

1939年6月22日に夫のレホンフォンが逮捕され、9月にはグエ
ンティミンカイも逮捕され、サイゴンのカティナット警察に収容され、
投獄され、拷問されても彼女は外部と接触を図り、革命運動を指
導し続けます。

1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大
戦が始まります。フランス政府はインドシナに総動員令を発令す
ると共に、「インドシナ民主統一戦線」による活動も非合法とされ、
インドシナ共産党や革命勢力を戦争遂行上の邪魔者とみなして
再び大弾圧を加えます。

1939年10月11日 北部ベトナムのバクニン省のチュウソンで
共産党第7回中央委員会で南部委員会のファン・ダン・ルウは南
部蜂起を主張しますが、時期尚早として退けられます。しかし南
部ベトナムでは中央委員会の決定を待つことなく、蜂起の準備が
進んでいました。

1940年11月22日深夜から23日にかけて「南部蜂起」(ナム・
キー・コイ・ギア)と呼ばれる大規模な反仏蜂起がミトー省を中心
に南部ベトナム8省で一斉に起こりました。


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一斉蜂起にはフランス軍内のベトナム人兵士と貧農など約3千
人が立ち上がりました。

ベトナム人なら誰でも知っているこの大規模な反乱も10日後に
はフランス軍によって鎮圧され、20000人が逮捕されインドシナ
共産党の幹部はことごとく逮捕、処刑され南部の共産党組織は
壊滅状態になり、共産党員はメコンデルタ先端の「ウミンの森」に
たてこもり組織の再建にとりかかります。

グエン・ティ・ミン・カイの家族はヴィン市のQuang Trung Street
132に住んでいましたが、南部一斉蜂起が失敗に終わった
1940年末には母親の実家であるハティン省ドゥックトゥン村
(Đức Tùng)村に引っ越しました。

フランス植民地政府は彼女に死刑を宣告し1941年8月28日に
ホックモンの三叉路でVo Van Tan, Phan Dang Luu, Nguyen
Van Cuらと共に銃殺されます。

処刑の直前、彼女は囚人服を脱ぎ捨て「ベトナム共産党万歳」
(Đảng Cộng sản Việt Nam muôn năm!)と叫び、不屈の精神を貫
ぬき通しました。


<グエンティミンカイの子供と兄弟>
レホンフォンとグエン・ティ・ミン・カイには1939年に生れたグエ
ン・ティ・ホン・ミン(Nguyen Thi Hong Minh)と名づけられた一人娘
がいます。名前は両親の名前の一字をもらっています。

1954年に中国に勉学の為送られ、その後ソ連の大学で機械工
学を勉強して、ベトナムに戻ります。

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ソ連レニングラードへ留学中のグエン・ティ・ホン・ミン(1963年)

ベトナムに戻ってからは、ベトナム共産党の研究に従事し、
1976年からはホーチミン市共産党の組織委員会に在籍し、
1995年に引退しています。

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グエン・ティ・ホン・ミン

19 (2)
グエン・ティ・ホン・ミン。この姿は母親ゆづりかも



グエン・ティ・ミン・カイは3人兄弟で、グエンティミンカイの実妹,
グエン・ティ・クワン・タイ(Nguyễn Thị Quang Thái)はヴォーグエンザップ
将軍の最初の妻でしたが、ザップが1941年ベトミンを創設したため、
ザップの妹と共にフランス植民地政府に逮捕され、獄死しています。

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グエン・ティ・クワン・タイと若き日のザップ将軍

グエン・ティ・ミン・カイの実弟グエン・フイ・ズン(Nguyễn Huy Dung)
はチョーライ病院の副医院長を勤め、心臓の専門医です。
数冊の書籍が出版されています。

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グエン・フイ・ズン


<グエン・ティ・ミン・カイの記念物>

グエン・ティ・ミン・カイの道路名はベトナム各地にありますが、サ
イゴンでは統一会堂側面の道路名になっています。この道路は
以前は「ソヴィエトゲティン」(ゲティン省の評議会(ソビエト)))通
りと呼ばれていましたが、サイゴン陥落後はグエンティミンカイ通
りに改名されました。

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グエン・ティ・ミン・カイ通り

サイゴンのディエン・ビエン・フー通りには彼女の名を冠したサイ
ゴンの名門高校があります。

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グエンティミンカイ高校に建つ胸像

2012年11月23日、1940年11月23日のナム・キー・コイ・ギ
ア(南部一斉蜂起)を記念して、主導者であったグエン・ティ・ミン・
カイの記念切手が発行されました。

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