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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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グエン・タイ・ホック


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Nguyễn Thái Học(阮太學)
生没年 1901年~1930年6月16日
ベトナム国民党の指導者

現在のベトナムは共産党の一党独裁の国です
が、以前は共産党以外の政党もありました。そ
の代表格が中国国民党の影響を強く受けて創
設された国民党です。

1901年
出生は北部ベトナム、ヴィン・イェン県ヴィン・トゥ
オン郡トー・タン村。
父親は農夫で、母親は木綿を売る商売をしてい
ました。

ハノイの師範学校とインドシナ大学の商学部に
学び、社会主義による社会改革に興味を持ち
ます。

1925年(24歳)
フランス植民地当局に対し意見書を提出。ベト
ナム人の生活条件改善や祖国の商工業を発
展させる為に新たな高等工業学校の建設とベト
ナム人が自由に学校を開設する権利を要求し
ますがフランス当局には無視されます。

1926年(25歳)
フランス当局に対して行政制度の改善と言論
自由の実施を求めますが、これも無視され何の
結果も得られませんでした。

友人と国民党の前身「南同書社」を設立して、
社会改革を主張する出版物を発行します。
グエン・タイ・ホックはベトナムの自由を獲得する
ためには非暴力主義で平和的活動をすべきと
考えていましたが、現実の活動はフランス秘密
警察に散々妨害されたため次第に暴力革命の
道を選択するようになります。

1927年(26歳)
12月25日ベトナム国民党(Việt Nam Quốc
dân đảng)を結成し、議長に選ばれます。

12_20120723160108.jpg
ベトナム国民党旗。中華民国の国旗とそっくりで


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中華民国の国旗  

ベトナム国民党は、武装闘争によって祖国の主
権を奪回し、共和制政府を樹立して、国家建設
計画を実行する旨を主張する一種の革命政党
で、党設立に先立つ国民党の指導者たちの改
良主義的な諸政治活動が実を結ばず仏当局
から弾圧を受けたことから、北ベトナム地域の知
識人や民族主義者を中心に結成された党でし
た。

ベトナム国民党の指導部は、武力蜂起を目ざし
て植民地政府軍のベトナム兵士や北部ベトナム
を中心にした中流階級知識人、教師、下級官
吏、ブルジョアジーに支持を訴え、党員を獲得し
ていきます。

ベトナム国民党は政党組織を整備し、フランス
への抵抗組織を作り上げた最初の政党でもあり
ました。

1928年(27歳)
インドシナ総督府は「南同書社」の出版物は政
治的意図があるとして、事前検閲を義務付けま
す。この検閲がベトナムでの出版物検閲の第1
号で、検閲制度は現在でも続いています。

1929年(28歳)
2月には、鉱山やゴム園で荒稼ぎをし「新世界」
(娯楽場)の社長をしていた在住フランス人商人
バザンをハノイ路上で暗殺します。

フランス当局は国民党のテロとして、烈しい弾圧
を強行しましたが、グエン・タイ・ホックは幸い逮
捕をまぬがれ、全国を東奔西走して地下活動
の強化を図り、各地の支部や新同志の拡充に
努めると共に、党の潜行工作を強力に推進し、
民衆を鼓舞して反フランス武装抵抗を呼びかけ
ます。

党員の家で武力闘争を開始するため保管して
いた爆弾が暴発し、党員が次々に逮捕されてしまいます。

この年の年末、機が熟していないのを知りながら
、武力蜂起を計画します。そして「祖国を解放し
、復興するアピール書」が作成されて省レベルの
組織に配布されます。

1930年(29歳)
2月9日
「イエンバイ蜂起」と呼ばれている武装蜂起に踏
み切ります。
この日の未明、イエンバイ(北部ベトナムの北西
部)のフランス軍兵舎の周辺に秘密攻撃部隊
が集合し、2月10日午前1時総攻撃が開始さ
れます。

午前5時にはフランス軍の主要宿舎を制圧。し
かし翌日からフランス軍の反撃と捜索が始まり
付近の森林に退却しますが、フランス軍に大量
の武器を押収され党員も次々に逮捕されていきます。

イエンバイの他の各地でもフランス軍の武力の
前に総敗北を帰します。

2月20日
グエン・タイ・ホックはハイズオン県のコ・ヴィット部
落で誰何されて逃げようとしたところを足を撃た
れて逮捕されてしまいます。

3月28日
イエンバイで軍事法廷が開かれ、グエン・タイ・ホ
ックとその妻を初めとして40名に死刑が宣告さ
れます。当時の北部国民党員70000名のうち、
3000人が犠牲になった蜂起でした。

6月16日
グエン・タイ・ホックは処刑の日を前にして、獄中
からフランスの下院とインドシナ総督宛に手紙を
書いています。
● 蜂起は自分に責任があり、他の者には責任
● はないので罪に落としてはならないこと。
● フランスの非人道的な政策を即刻あらため、
● 抑圧者ではなく友人として振舞うこと。
● 自由と人権、新聞の自由を復活させること。
● 不正を働く官僚を使っては成らないこと。
などを要望しています。
処刑場でも崇高な姿勢を崩さず、「ヴェトナム万
歳」を叫んだ直後、ギロチンの刃が落ちてきまし
た。

イエンバイ蜂起によって国民等組織は壊滅状
態になり、残党員は主に中国 昆明へ逃れ、
1945年、第2次世界大戦での日本の敗北

後、中国国民党軍の進駐とともに帰国します。
そしてべトミンと激しく民主共和国の主導権を争
うことになります。

1945年
八月革命によってベトナム民主共和国が成立し
ます。当時の蒋介石の国民党軍の圧力のため、
ベトミンはベトナム国民党の政府参加を一時容認
しましたが、第一次インドシナ戦争の勃発後
間もなくベトナム国民党員を追放してしまいます。

1948年
親仏諸派とバオダイを擁立し南部で「ベトナム
国」の建国に参加します。

ベトナム国民党員は、1954年7月のフランス軍
撤退後も南ベトナムへ留まりました。

1975年
サイゴン陥落に伴い、ベトナム国民党も解散され
ました。
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