べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ホーチミン主席の足跡 1944年捕捉 昆明の同志
1943年9月10日 ホーチミンは柳州の監獄か
らは釈放されますが中国からの出国が認められ
たのはホーチミンが蘭州(Lan Châu)で活動して
いた1944年8月9日でした。

柳州での監獄生活はたらい回しにされた他の監
獄に比べれば多少待遇が良くなったのですが、
所詮、監獄での生活ですからホーチミンの体調
は非常に衰弱していました。

ベトナムへ戻る途中、ホーチミンは昆明で共産主
義活動をしている同志の家を訪ねようと1ヶ月
かけて歩いて行きます。

この時、ホーチミンに従ってきた同志はMinhと
言う人とPhùng Thế Tàiというベトナム人の兵士
で、彼は後日、最初のホーシミンのガードマンに
なります。

昆明の同志は現在のハノイ市Đống Đa地区にあった
Kim Liên村の出身で、両親が農地を持ってい
なかった為、生活が苦しく故郷を離れ昆明に移住
してきたTrần Việt Hoaという女性で、既に
Tống Minh Phươngという男性と結婚していまし
た。

彼女は文字が読めなかった為、コーヒーショップ
を営みながら、在中国を中心とした海外在住の
ベトナム人にマルクスの本や新聞「Tiếng Dân」
や「Thời thế」のコピーを作って売っていました。

昆明には1930年にイェンバイ蜂起(フランスに
対する抵抗闘争)で敗れたベトナム国民党の残
党が多く逃避して来ました。

その後、第2次世界大戦が始まると、アメリカ人
イギリス人が中国の抗日戦争を援助するために
昆明に来ます。アメリカの諜報機関OSSは昆明
に抗日戦争援助の本部を置きます。

Trần Việt Hoaのコーヒーショップの商売は順調
で売上金の一部を同志のVũ Anhに渡し、ハノ
イのドンスアン市場で革命運動に必要な物品を
買っていました。

Trần Việt Hoaはヴォーグエンザップとファンバン
ドンが1940年にホーチミンと昆明で会った時に
も2人の滞在中の食料や衣服の世話をしていま
す。

10月のある朝、中国国民党の服に身を包み、
サンダルを履き、肩から毛布をかけた老人、ホー
チミンが、突然Trần Việt Hoaの夫Tống Minh
Phương訪ねてきました。
ホーチミンの従者は塩、油脂、唐辛子が1Kgづつ
入った長い竹筒を担いでいました。

ホーチミンを迎えたのは、インドシナ共産党から
昆明のTrần Việt Hoaのもとに派遣されていた
Pham Việt Tử と彼女の夫 Tống Minh
Phương でした。

昆明に来る途中でも熱を出し、2日間休養した
ホーチミンは目は異様なほど輝いていたものの、
体は非常に弱っていて、すぐに高熱を出し寝込
んでしまいます。ホーチミンはマラリアに冒されて
いたのです。

同志のPham Việt Tử 買ってきた(おそらくアメリ
カの諜報機関から)キニーネをホーチミンに打ち
ました。2日後にホーチミンの熱は下がりましたが
、体力の回復の為にいくつかの薬を飲むように
ホーチミンに薦めますが、彼は薬を買うための
お金を使わせることを拒んだので、Trần Việt
Hoaは、この薬は家に保管されている物だから
とウソをついて、彼に飲ませます。
後日、ホーチミンはこのウソに気づきます。

ホーチミンの体調は回復に向かいます。Trần
Việt Hoaは毎日ミルク入りのコーヒーを飲ませ、
ホーチミンは茶碗3杯のご飯を食べるようになり、
体力も回復します。

元気になったホーチミンは毎日2時間コーヒーシ
ョップの手伝いをしました。

そしてベトナムに戻っていきます。
ホーチミンがベトナムに戻った月日は10月から
12月の間と思いますが諸説があってはっきり
していません。
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