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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ホーチミンの父親の墓
100  晩年

Nguyễn Sinh Sắc(阮生色)
別名 Nguyễn Sinh Huy  Cụ Phó bảng
生没年 1862年―1929年

父親は1911年サイゴンでホーチミンのフランス
への船出を見送ってから、南部ベトナムに留まり
、故郷に帰ることはありませんでした。そして2度
と家族に会うことはありませんでした。

1926年にはフランスで息子の面倒を見てくれて
いた旧知のファンチュウチンがサイゴンに戻ってき
たので、ミトーで会い、いろいろと息子の現況を
聞いたようです。

死の1年前ぐらいからは、息子のグエンアイコック
(後のホーチミン主席)が中国広東で結成した
「ベトナム青年革命同志会」の南部支部の人々
と頻繁に連絡しあっていて息子の活動を影なが
ら応援していたようです。

彼自身は小乗仏教の教えが愛国心に通じると
ころがあると信じて、僧侶の鹿資格を取り、托鉢
をして土地の子供達の教育や愛国心を説いて
周り、生涯を閉じました。

ホーチミン主席の墓所はハノイのバーディン広場
にありますが、父親の墓所は南部ベトナムのドン
タップ省カオランにあります。

101_20120626142522.jpg
1945年ホーチミンがベトナムの独立宣言をして、
大統領になってから1954年フランスがヂエンビ
エンフーの戦いで大敗するまでベトナムの兵士が
密かに父親の墓を守ります。

102 (3)
墓が現在の場所に移動したのはベトナム戦争
後の1975年です。

103_20120626142520.jpg
現在の墓所の入り口

ホーチミン主席は遺言で、「火葬にして北部、
中部、南部の丘に埋め、人々が休める休憩所
を造ってほしい」と願いましたが、ベトナム共産党
は政治的理由から、遺言は現在でも実行してい
ません。

その反動からか、父親の墓所は1ヘクタールの
広大な土地に植林がなされ、休憩所が造られ、
息子のホーチミンが住んだハノイの私邸と池の
レプリカが墓所内に造られています。

ホーチミン主席の遺言の政治的理由からの
不実行は、「これで勘弁して下さい」と訴えている
ような造りです。

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納骨堂までの道途中の植林と休憩所


105_20120626142632.jpg
休憩所

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墓石

107
墓所の中心全景
墓所全体は外壁に囲まれていて1ヘクタールあ
ります。一番奥が納骨堂。手前にはベトナムの
5星を模った広場があります。

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納骨堂

109.jpg
土葬ですが、骨は移動時に1度洗浄されている
かもしれません

110_20120626142743.jpg



納骨堂の反対側には托鉢をしている父親の像と
ホーチミン主席が死去するまでのハノイの私邸
と池のレリーフが原寸通りに造られていて、親子
が一緒に住めるように配慮されています。


111_20120626142742.jpg
托鉢姿の父親の像

112_20120626142741.jpg
ホーチミン主席の私邸と池のレプリカ

サイゴンの西バスターミナル(BX Mien Tay)から
カオランまで直行バスが運行されていて、約3時
間で到着しますで、日帰り旅行が可能です。
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