べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
カテゴリ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホーチミン主席の父

グエン・シン・サック(Nguyễn Sinh Sắc)
生没年 1863年―1929年(66歳)

11
1863年
ゲアン省ナムダン県キムリン村落セン村
(lành Sen Xã Kim Liên huyên Nam Đàn
tinh Nghê An)で誕生します。


1866年(3歳)
父親 Nguyễn Sinh Nhâm が逝去しま
す。


1867年(4歳)
母親 Hà Thi Hy が逝去します。
サックは母親の兄夫婦 (Nguyễn Sinh
Trợ)に引き取られます。


1878年(15歳)
ホアンチュ村̣̣(làng Hoàng Trù)に住んでい
た儒学者ホアン・ドゥオン(Hoàng Đương)
の養子になります。



1880年(17歳)
ゲアン省ギロック県チンチュオン村落(xã
Tring Trường huyên Nghi Lôc tinh Nghê
An)に住む有名な先生グエン・チュック・
トゥ(Nguyễn Trúc Tư)のもとで勉強しま
す。


1881年(18歳)
ホアン・ドゥオン先生の娘、ホアン・ティ・
ロアン(Hoàng Thi Loan)と婚約します。


1883年(20歳)
ホアン・ティ・ロアンとホアンチュ村̣̣で結婚式
を挙げます。

12  家計図


1884年(21歳)
長女グエン・ティ・タン(Nguễn Thi Thanh)
が生まれます。


1888年(25歳)
長男グエン・シン・キエム(Nguyễn Sinh Khiêm)が生まれます。

1890年(27歳)
次男グエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung
後のホー・チ・ミンが生まれます。

1891年(28歳)
郷試(地方公務員の試験)受験しました
が、失敗します。


1893年(30歳)
養父でもあり恩師でもあったホアン・ドゥオン
が逝去します。


1894年(31歳)
学士号を取得します。
翌年会試(国家公務員試験)を受けるた
めにフエに行っていますので、この年に郷試
に合格したと思われます。


1895年(32歳)
サックは会試を受けるためフエに向かいます
が、合格しませんでした。サックが会試の試
験勉強のためフエで勉強することにしたた
め、この年の後半には家族も全員フエに引
越します。


1898年(35歳)
2回目の会試を受けますが、受かりません。


1900年(37歳)
この年の後半、ロアンは第4子、三男グエ
ン・シン・シン(Nguỹn Sinh Xin)を出産しま
す。


1901年(38歳)
2月、ロアンが病死します。フエに埋葬後、
父親は子供達をつれて、ロアンの実家ホア
ンチュ村̣̣へ引き揚げます。

父親は会試に合格します。
会試合格を祝ってグエン・シン・クンの名前
をグエン・タッ・タンと改名します。

第4子のグエン・シン・クンが幼くして死亡し
ます。
この年の後半、ホアンチュ村̣̣からキムリン
村に移動します。


1902年(39歳)
子供兄弟はVương Thúe Quý先生のもと
で勉強します。
父親は病気にかかり、公務員の仕事は出
来ませんでした。


1903年(40歳)
2人の子供兄弟を連れてVó Liệt村で先
生をします。


1904年(41歳)
Du Đồng村で先生をしながら、グエン・シ
ン・クン(後のホー・チ・ミン)を連れてたくさん
の愛国者の家を訪ねます。


1905年(42歳)
サックは勉強の他に愛国心をを説いて廻っ
ていました。
長女のグエン・ティ・タンが東遊運動に協力
していたので、グエン・シン・クンはファン・ボ
イ・チャウから日本で勉強することを進めら
れますが、父親は断りました。

子供兄弟はヴィン市(Vinh)の仏越学校で
学びます。


1906年(43歳)
6月 父親はフエに行き官職に就きます。
子供兄弟はドンバ(Đông Ba)の仏越学校
で学びます。


1907年(44歳)
子供兄弟はベトナム第一の名門校フエの
クオック・ホック校に入学します。


1908年(45歳)
子供兄弟はトゥアティエン(フエ市)農民の
酷税に抵抗するデモに参加します。
フエのフランス政庁の前でフランスに反発、
非難する言葉を投げかけた為、2人は退学
分を受けます。


1946年(46歳)
7月 父親はビンケ県の知事になります。

グエン・タッ・タンはクイニョンのPhan Ngoc
Tho先生のもとにフランス語を勉強しに行き
ます。


1910年(47歳)
1月 県知事のグエン・シン・フイ(グエン・
シン・サックの改名)は暴力事件を起こした
らしく、事件の究明のためフエのフランス
政庁に召還されます。

5月 フランス政庁はグエン・シン・フイに対
し、100回の鞭打刑と官職のランクを4階
級落とし、平の階級にしました。

8月 父親グエン・シン・フイは釈放されま
す。
グエン・シン・フイはグエン・タッ・タンの就職
の為、旧知のフエ宮廷の官僚タン・モに就
職以来の手紙を書きます。

グエン・タッ・タンはタン・モの紹介状を持っ
てファン・ティット(Phan Thiết)のズクタイン
中学校(Đuc Thanh)に予備教師として就
職します。


1911年(48歳)
3月 グエン・タッ・タンはフランスに渡航する
ためサイゴンに向かいます。

しばらくして父親のグエン・シン・フイもサイゴ
ンに来ます。
サイゴンで親子は会っていますが、この後、
親子が2度と会うことはありませんでした。

6月5日 グエン・タッ・タンはフランスの貨客
船トレビュー号に乗って旅立ちます。

10月 グエン・タッ・タンは父親に手紙を送
ります


1912年(49歳)
父親はサイゴンでグエン・タッ・タンのニュー
スを待っていました。
この年の終わりグエン・タッ・タンはアメリカか
ら父親に手紙を書きましたが、父親は受取
ることが出来ませんでした。

13  晩年
晩年のグエン・シン・フイ

14_20120523215330.jpg
南部ベトナムでの活動地点


1913年(50歳)
この年はロク・ニン(Lôc Ninh)へ仕事をし
に行っています。

1914年(51歳)
ロク・ニンで仕事をしています。
ロン・スエン(Long Xuyên)へ行き、Nguyễn
Thượng KhánhとDương Bá Tracに会い
ます。
その後、カンボジアのプノン・ペン(Phnôn
Pênh)へLương Văn Canに会いに行きま
す。


1915年(52歳)
プノン・ペンでいろいろな場所に行きます。
グエン・タッ・タンはイギリスのサイゴン総領
事宛に、インドシナ総督府が父親の住所を
探してくれるよう依頼して欲しい旨の手紙を
書きましたが、返事はありませんでした。


1916年(53歳)
サイゴンに戻ります。
南部ベトナムのいろいろな場所を行ったり
来たりします。
ベトナムの新しいローマ字式の文字(クオッ
ク・グ)を独学します。


1917年(54歳)
Hoằ An村落のCao Lãnh村に居を構えま
す。
ここでSa Đécに住むVõ Hoành, Đia や
地方に住む多くの愛国者と連絡を取ります

1918年(55歳)
Hoằ An村落で村民の医者として働き、
村民に薬の作り方を教え、子供達には
ベトナム文字を教えていました。


1919年(56歳)
サイゴンに戻ります。


1920年(57歳)
タンアン、ミトー、ゴコン(Tân An, Mỹ Tho,
Gồ Công)行き、Đỗ Tường Ninh, Trần
Vĩnh Hoài, Tòng Am, Mai Bach Ngoc等
と連絡を取り合っています。


1921年(58歳)
ビンキム(Vĩnh Kim、 Tiền Giang省)へ
行きTrần Năng Liễu, Trần Văn Diêm等
と連絡を取り合っています。


1922年(59歳)
サイゴンに戻り、リンソン寺(Linh Sơn)に
住みます。
儒学者や愛国者の家と連絡を取り合いま
す。

プノンペンへ行き、地図を買っています。
Sùng Phước Châu Hô寺で修行し僧侶の
資格を取ります。

ベトナムに戻り、Lương Thất Sơn に一時
滞在します。


1923年(60歳)
Hoà Thanh寺という古寺に行きます。
サデックに戻ります。

サイゴンに戻り、Nguyễn An Ninhと連絡を
取ります。
「Đông Pháp Thời」紙上に現在のベトナム
仏教の潮流を批判する文章を投稿します。

托鉢をし始めます


1924年(61歳)
愛国者達に仏教の復興運動に参加するよ
うに扇動します。



1925年(62歳)
ビンズオン省(Bình Dương)のHôi Khách
寺に行き、Phan Đình Viênと連絡と取りま
す。


1926年(63歳)
ミトーでフランスから帰ってきたファン・
チャウ・チン(Phan Châu Trinh)と会いま
す。
サックは息子のグエン・アイ・コックの動静を
ファン・チャウ・チンから聞きます。(グエン・
アイ・コックはグエン・タッ・タンの改名。この
頃息子はフランスからロシア、そして中国
広州市に行き、1925年に広州市で
「ベトナム青年革命同志会」を結成し、共
産主義者養成のトレーニング学校を開いて
いました。

Phan Trong Binh, Nguyễn Văn Lợiと
連絡を取ります。


1927年(64歳)
ベンチェに行き、僧侶のNguyễn Quyềnに
会います。
サデック村に戻り、刑務所の上級官吏
Nguyễn Quang Diênに手紙を送っていま
す。

カオラン村の青年愛国者グループと連絡を
取ります。


1928年(65歳)
この年は前年に引き続きカオラン村に住み
ます。
広東で子供のリ・トゥイ(偽名。後のホー・
チ・ミン主席)が創設した「ベトナム青年革
命同志会」のベトナム国内のグループと連
絡しあいます。

チャドックに行き、プノンペンで活動している
ベトナム青年革命同志会の組織の一員で
あるLương Văn Canに数多くの手紙を書
きます。


1929年(66歳)
チャドックのGiồng Thành寺へ行き、活動
しようとしましたが、今までのフランス植民地
政府に対する反体制活動の為、寺はフラ
ンス官憲に取り囲まれ、やっとの思いで
カオラン村に脱出しました。

その後、カオラン村で病気にかかり、死亡
します。

15_20120523215329.jpg
1954年 ディエン・ビエン・フーでフランス
植民地軍に勝利した後に建てられた
グエン・シン・サックの墓


現在の墓
16_20120523215328.jpg

17_20120523215400.jpg

18_20120523215359.jpg



-----------------------------------------


>
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://vietkon.blog73.fc2.com/tb.php/352-100015e7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。