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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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42 ホーチミン主席の足跡 1945年 その4 ベトナム独立宣言
1945年8月26日、ベトナム8月革命を成功させたホーチミ
ンはハノイに入城し、ベトナム独立宣言の起草に取り掛かり
ます。

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独立宣言の起草はハノイ、ハンガン通り(Hàng ngang)48
番地の部屋で作られました。

独立宣言の前文にはフランス革命の宣言書や米国諜報機
関OSSから提供されたアメリカの独立宣言が引用されてい
ますが、ホーチミンはさらに平等の概念について広く定義
しています。

文言は格調高いものではありませんが、誰にでもわかるよ
うにやさしく、具体的に記述するのが信条であったホーチミ
ンらしい宣言書になっています。

1945年8月30日、グエン王朝最後の皇帝バオダイに退位
を説得、バオダイはフエ宮殿の御門の前で退位式を行い
ます。「退位勅書」を発して、皇帝の象徴である王剣と金の
玉璽をベトミンの使者Trần Huy Liệuに渡します。この日を
以ってグエン王朝が崩壊したばかりでなく2000年近く続い
たベトナムの皇帝による支配が終了し、以降共和国として
のベトナムの歴史が始まります。

13_20111015170802.jpg

<退位勅書の内容>
私自身、20年の在位のあいだ、多くの苦汁を味わった。い
まや自らも祖国のためにその一身を犠牲にし、独立国の自
由な一市民としてバオダイの名を捨て、一市民として幼名
グエン・ヴィン・トゥイ(阮永瑞)を名乗る。わが国人を惑わす
ために、何人といえども私の名前や王族の名前を用いるこ
とを許さない。ベトナム独立万歳! われらが民主共和国
万歳!

バオダイ帝はベトナム社会主義共和国の最高顧問として迎
えられます。

1945年9月2日米戦艦ミズーリの艦上で日本の降伏文書
の調印式が行われます。

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重光葵

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梅津美治郎

日本の降伏文書の調印と同日の9月2日、ハノイのバーデ
ィン広場(旧インドシナ総督府前、現在のホーチミン廟前)
で独立宣言がホーチミンによって読み上げられ、ベトナム
社会主義共和国が誕生します。

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独立宣言会場(旧インドシナ総督府)に入場するホーチミン

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この壇上には米国諜報機関OSSのスタッフもいます。ホー
チミンはベトナムの独立を誰よりもアメリカに認めて欲しか
ったのです。

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9月2日ベトナム独立宣言を読み上げるホーチミン

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記念すべきマイクはホーチミン市博物館に飾られています。(レプリカです)

9月2日 独立宣言式典に参加するハノイの防衛部隊。
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喚起する民衆

独立宣言書は同日、全国に配布されます。

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サイゴンでも9月2日の午後、現在の統一会堂前のレズア
ン通りで祝典が行われました。当時、この通りはノロドム・ブ
ルバードと呼ばれていました。


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翌日1945年9月3日 ベトナム社会主義共和国最初の内
閣が発足します


ベトナム独立宣言

ベトナム独立宣言のホーチミンの肉声
http://www.youtube.com/watch?v=N9v9KORaauA&feature=related

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独立宣言の原文

全ての人間は平等に作られている。人類はその創造者に
よって奪う事の出来ない権利が授けられている。それら
は生命、自由、そして幸福の追求である。 この不滅の
宣言は1776年のアメリカ独立宣言の中に盛り込まれた。
より幅の広い感覚で言えば、これは次の意味である。地
上の全ての人類は生まれた時から平等であり、そして全
ての人々は生きる権利、幸せになる権利、そして自由の
権利を持っている。 1791年に行われたフランス革命に
於ける人間と市民の権利の宣言も同様に宣言している。
全ての人間は自由として、平等な権利を持って生まれて
いる。 それらは否定出来ない真実である。 であるにも
拘わらず、80年以上に渡ってフランスの帝国主義者たち
は自由、平等、友愛の精神を踏みにじって我々の祖国を
侵害し我々の市民を圧迫して来た。彼らは人間愛や正義
の理想と相反する行動を取って来た。政治の世界では、
彼らは我々の民族から民主主義的自由を奪い取って来
た。 彼らは非人道的な法律を押し付けた。彼らは我々
の国家的統合を破壊し統合を妨害する為にベトナムの
北部に、中部に、南部にそれぞれ三つの別々の政治的な
体制を建設させた。 彼らは学校よりも多く刑務所を建
設した。彼らは無慈悲にも我々の愛国者を殺害し、血の
川に我々の蜂起を沈めた。 彼らは公的な意見を束縛し
た。彼らは我々の民族に対し反啓蒙主義を実行した。
我々を人種的に弱める為に彼らはアヘンやアルコール
の使用を強要した。 経済学の分野で言えば、彼らは我々
から気骨を巻き上げた。我々の民族を貧しくし、我々の
土地を壊滅させた。 彼らは我々の田んぼを、我々の炭
坑を、我々の森を、そして我々の天然資源を盗んだ。彼
らは紙幣の印刷や輸出取引を独占した。 彼らは多数の
不当な税を発明して、我々の民族、特に我々の農民を極
端な貧困の有様に引きずり下ろした。 彼らは、我々の
国家ブルジョアジーの成功を妨害した。彼らは我々の労
働者を情け容赦なく搾取した。 1940年の秋に、ファシ
スト日本(日本のファシズム)が連合国との戦いにおい
て新しい基地を確立する為にインドシナ半島の領域を
荒らした時、フランスの帝国主義者は彼らに膝を曲げて
ひざまずいて、我々の国を彼らに手渡した。このように、
その日付から、我々の身内は、フランス人と日本人の二
重の軛に服従した。彼らの苦しみと惨めさは増加した。
結果は、昨年の終わりから今年の初めまで、クアンチ省
からベトナム北部に至るまで、我々の仲間の市民のうち
の200万人が飢餓で死んだ。 3月9日に、フランス軍隊
は、日本人によって武装解除された。フランスの植民地
主義者は逃げたか、降伏した。それを示すだけでなく彼
らが5年の間に、もし彼らが日本人に我々の国を二回売
っていなければ、我々を「保護する」事が出来なかった。
3月9日の前に、幾度もベトミンは、日本人を相手取っ
てフランス人にベトミンと同盟するよう訴えた。この提
案に同意する代わりに、フランスの植民地主義者は、逃
げる前に彼らが拘留される沢山の我々の政治犯を大虐
殺したように、ベトミンメンバーに対してイエンバイ省
やカオバン省にて彼らのテロ活動を強めた。 こういう
事にもかかわらず、我々の仲間の市民は、常にフランス
人の方へ寛容で人道にかなった態度を常に明らかにし
て来た。1945年3月の日本の反乱の後さえ、ベトミンは、
多くのフランス人が境界線を横切るのを援助して、彼ら
の何人かを日本の刑務所から救い出して、フランスの命
と資産を保護した。 1940年の秋から、我々の国は実際
にフランスの植民地であるのをやめて、日本の所有にな
った。日本人が連合国に降伏したあと、我々の全部の仲
間は我々の国家主権を回復して、ベトナム民主共和国を
起こす為に蜂起した。 真実は、我々はフランスからで
はなく、日本から我々の独立をもぎ取った。 フランス
人は逃亡し、日本人は降伏し、皇帝バオ・ダイは退位し
た。我々の仲間はおよそ一世紀に渡って縛り付けて来た
鎖を破り、祖国の独立を勝ち取った。我々の仲間は同時
に、何世紀もの間最高位に君臨した君主体制も倒した。
その場所に現在の民主共和国が建国された。 これらの
理由から、我々臨時政府のメンバーは全てのベトナムの
人々を代表して、今後、我々がフランスの植民地支配者
の全ての関係を絶つと断言する。我々はフランスがここ
までベトナムに代わって同意した全ての国際的義務を
無効にする。そして、我々はフランス人が我々の祖国で
不当に得た全ての特権を廃止する。 全部のベトナムの
人々は一般的な目的によって活気づけられ、最後まで、
国を再奪取するフランスの植民地主義者による如何な
る試みとでも戦う決心を固めている。 我々は、連合国
がテヘランとサンフランシスコで認めた自決の原則と
国の平等がベトナム独立の承認を拒否しないことを確
信している。 勇敢にも80年に渡ってフランスの支配に
反対した人々、ファシストを相手に連合国と共にこれら
最後の年の間に戦った人々は、自由で独立しているに違
いない! これらの理由から、我々べトナム民主共和国
の臨時政府のメンバーは世界に対し厳かに宣言する。ベ
トナムは自由で独立した国である権利を持っている。そ
して実際既にそうなのである。全てのベトナムの人々は
全ての彼らの肉体的および精神的な強さを動員する決
心を、そして彼らの独立と自由を保護する為に彼らの命
と資産を犠牲にする覚悟を固めている。


独立宣言前後にホーチミンはアメリカの支持を期待して、
アメリカのトルーマン米大統領に8通もの手紙を送っていま
すがすべて無視されてしまい、この独立宣言を認める国は
ありませんでした。

9月6日 日本軍の武装解除や戦後処理のためイギリス軍
のインド駐留部隊がクレーシー将軍に率いられサイゴンに
入城し、3日後の9月9日には慮漢将軍率いる中華民国軍
もハノイに入城し日本軍の武装解除と、日本軍の収容所に
入れられていたフランス軍将兵を解放します。

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中華民国軍 慮漢将軍

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日本軍の武装解除

インドシナ全土の独立を認めないフランスは9月21日 イ
ギリス海軍部隊と共にサイゴンに上陸します。

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