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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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40 ホーチミン主席の足跡 1945年 その2 「200万人」餓死事件
1944年から1945年にかけて、北部べトナムで「200万人」
の餓死が発生しました。「200万人」の数値については、ホ
ーチミンが独立宣言の中で引用した数値で根拠に乏しいと
されていて、多くの研究者の間でもその被害者数の把握や
原因について諸説があります。しかし多くの餓死者が出た
ことは動かしがたい事実なのです。

餓死事件の原因として挙げられているのは、

1.1944年、黄河デルタは洪水や干ばつの自然災害に襲
われ、凶作であった。
黄河デルタは過去のベトナムの歴史でもしばしば洪水
に襲われており、そのたびにこの地方の人々は団結
して水害対策を行っていましょた。この習慣が北部ベト
ナム人の団結力の強さを養ってきたといわれていま
す。

Untitled (2)


2.日本軍の稲作からジュート栽培への切り替えで、稲作
  耕地面積は減少していた。
ジュートとは黄麻の英語名です。100日ぐらいで収穫
できるそうですが、日本軍が稲作をジュートに以切り替
えさせたのは何故でしょうか。? 軍服が足りなかった
ため?

3.アメリカ軍の空爆によって輸送路が破壊、使用不能に
されていた。
南部のメコンデルタ地方では平年並みの収穫があった
ようですが、空爆による鉄道陸橋の破壊や海路の制空
権をアメリカに握られていたため北部ベトナムに米の
輸送ができない状態でした。

4. 日本への米の輸出
日本でもまた日照り続きで西日本や朝鮮半島のコメ
の凶作が起き、都市部では主食の米が底を突いて
いたため、ベトナムから多くの米が、大手商社の手
で日本に安価で輸出された。いわゆる「外米」といわ
れる米です。

日本軍はサイゴン・チョロン地区の華僑が所有してい
たコメ倉庫のいくつを事前に接収していたとありま
す。

日本軍の「明号作戦」発動まではフランスが形式的
には行政権を把握していましたから、日本軍が勝手
に華僑のコメ倉庫を接収することは出来なかったで
しょうがコメの備蓄は少なくなっていたはずです。


飢餓の原因はいくつかの要因が重なり合っているのです
が、日本の教科書には、日本軍侵略による圧政から生じた
と記述されているのだそうです。

飢餓の様子の証言も諸説あります。

当時の日本軍兵士は、「飢え死にした人たちを満載した荷
車が市内をがらごろ行く。文字どおりの飢餓地獄だった」
「ジアラム空港近くの高射砲陣地にいたが、周辺の辻に日
本軍が大釜を置いておかゆの炊き出しをして配った」

ハノイの革命博物館では当時の惨状を伝える記録写真が
展示されています。その説明文には「ファシスト日本は水田
から稲を抜き、わずかなコメも取り上げて機関車の燃料
にし、200万人が餓死した」

ハノイ人民委員会の幹部は「実際はこの時期の大洪水によ
る不作が原因だった。それにアメリカ軍の爆撃で南部から
のコメの輸送が途絶えたことが飢餓に拍車をかけた」機関
車のことは「これは南部の話」という。南部の米、北部のホン
ゲイ炭というように北部では燃料にこと欠かなかったが、南
部には石炭が届かず、「余ったモミを燃やして機関車を走
らせたことはある」と

これに対してベトナム共産党のある古参党員は、「今は賠
償問題を持ち出す気はないが、日本がかつてベトナムに
対して何をしたかだけはきっちりと認識してもらいたい」と語
っている。

ホーチミンが独立宣言で「200万人飢餓」を記述したのは
政治的プロパガンダ」であったとあっさり認める共産党員も
いるようですから、日本の教科書の記述は書き換えを検討
したほうが良いような気がします。(既に書きかえられてい
るかもしれませんが)

ベトナムへの戦後賠償問題での日本の国会討論でも100
万人を基礎として討論されていますが、この数字の根拠も
薄いです。

この戦後賠償問題は利権がらみのようです。
日本軍が迷惑をかけたのは、この飢餓事件に見られるよう
に北部ベトナムの人々が多いのに、日本政府は南ベトナム
をベトナムの正当政府として認めて445億もの賠償金を払
い、賠償問題は決着済みとの態度をとっています。当時の
岸信介の思惑は南ベトナムの海洋油田採掘にあったようで
す。ちなみに当時の岸首相の事務所は東京西新橋の日石
ビルの中にありました。

現在サイゴンにある石油採掘最大手会社、ペトロベトナム
のビルは日本石油と同じ三井系の資本が入っています

Untitled_20111007161800.jpg
ブンタオ沖の油田

但し、日本軍がベトナムに進駐したために、特に南部仏印
進駐が遠縁となって南北の輸送路が破壊され、コメの輸送
が出来なかったことは事実ですから、責任の50%ぐらいは
日本軍にあると思ってくさいと話す共産党員の方の話が的
を得ているような気がします。
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