べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
カテゴリ

FC2カウンター

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

35 ホーチミン主席の足跡 1941年(51歳)

11

12
カオバン省の山並み 

13
帰国したホーチミン

1941年1月28日、ホーチミンはサイゴンを出航してから30
年ぶりに秘密裡に中国から祖国ベトナムに戻り、中国国境
近くのカオバン省パクボー(Pắc Bó Cave in Cao Bắng
Province)の洞窟に活動拠点を設けます。

14_20110903155303.jpg
最初の住居は洞窟でした。

ベトナムに帰国したホーチミンは早速、革命幹部の教育の
ためこの洞窟に寝起きして、「ソビエト共産党の歴史」をベト
ナム語に翻訳する作業を開始します。机も椅子も川原の石
でした。この時の生活をホーチミンは詩に残しています。

Composed at Pắc Bó

Mornings to the riverbank; nights to the cave,

The corn chowder and bamboo shoots are tasty.

Writing the Party history shakes the stone table.

The life of a revolutionary is noble




15_20110903155302.jpg
洞窟生活を見かねて革命戦士が建てた最初の小屋

この場所で5月10日-19日までインドシナ共産党第8回拡
大中央委員会が開かれ、ベトナム国内だけでなく海外在住
のベトナム人も参加します。

主な参加者は

Hồ Chí Minh

Trường Chinh (この大会で共産党の書記長になります)

Hoàng Văn Thụ (北部統括の書記になります)

Hoàng Quốc Việt (大衆組織化の責任者になります)

Phùng Chí Kiên (バクソン遊撃隊の責任者になります)

Vũ Anh (国外での党活動の責任者になります)

Bùi San (中部統括の責任者になります)

Nguyễn Văn Minh(北部統括の責任者になります)

1941年5月19日、ベトミン(Việt Nam Ðộ̀c Lập Ðồng
Minh Hội、ベトナム独立同盟)が結成されます。

16_20110903155336.jpg
ホーチミンの指示によって最初に組織されたベトミン

17_20110903155336.jpg
ベトミンが結集した場所

18_20110903155335.jpg
ベトミンの戦略についてのホーチミンのアドバイス。

国民教育を施し奴隷制度を廃止すること及び学校を建て小
学校は義務教育にすることなどが書かれています。ベトミ
ンには、軍事部門がありましたが、この時にはまだ武器は
竹やりと鎌ぐらいしかありませんでした。

この軍事部門が1944年12月22日ベトナム解放武装宣伝
隊となり、ベトナム人民軍の前身になっています。「宣伝
隊」とは政治工作をするとの意味です

中国国民党の軍事部門にいたHồ Học Lãm は「ベトミン」
の組織に共鳴して、中国国内にもベトミンの組織を作ります。
ホーチミンがベトナムから国境を越えて中国に入国するの
がスムーズに出来たのは、この組織の存在であったとされ
ています

6月6日 ホーチミンは全国民にヨーロッパでの戦争の現況
を知らせています。今がベトナム独立のチャンスだ。奴隷
を強いられているベトナム人が解放されるにはすべての国
民の団結が必要だと訴えています。
19_20110903155335.jpg



20_20110903155334.jpg
8月1日、ホーチミンは新聞「Việt Nam độc lập」(ベトナ
ム独立)を創刊して、独立運動の高揚を図ります。

新聞は今で言う「ガリ版刷り」なのですが、下台は付近の川
原の石で出来ています。
21_20110903155356.jpg

この新聞の発行は、フランス軍、日本軍、ベトナムの官憲に
気づかれないようにするため、地元の婦人が市場で他の
買物と一緒に白紙の用紙を1枚ずつ買ってきて印刷したそ
うです。

この時点でホーチミンは予見していました。彼の言葉;

「第二次世界大戦の終り間近になれば、フランスと日本によ
る熾烈な覇権争いが始まり、ベトナムに政治的真空状態が
一時的に訪れる」この真空状態に乗じて、超党派を
結集し、政権を取奪する。

前年にハノイに進駐した日本軍はこの年の終わりまで
には、フエ(中部)、サイゴン(南部)にも司令部を作り、イン
ドシナ全域を統制化におきますが、フランスとは協調路線
を守ります。(日本軍の南部仏印進駐)これに呼応してベト
ミンはアメリカの諜報機関OSS(CIAの前身)と手を組み、ア
メリカの援助を仰ぎます。

22_20110903155355.jpg
日本軍の南部仏印進駐


スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://vietkon.blog73.fc2.com/tb.php/278-2c137256
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。