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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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31 ホーチミン主席の足跡 1936年(46歳)
前年のコミンテルン大会の終了後、ホーチミンはベトナム
に秘密裏に帰国することを考えていました。ベルリン、フラ
ンスを訪れ、フランスからは船でインドシナに上陸するコー
スを考えていました。もしインドシナに上陸できなかったと
きは上海に行く予定でした

コミンテルンに事務局も切符やヴィザの手配を終えたので
すが、国内事情によってキャンセルになってしまいます。

おそらくスターリンによる大粛清が始まった為だろうと思わ
れます。

1936年から1938年のソ連ではスターリンによる大粛清が
行われており、コミンテルンのメンバーも492人のうち133
人が見せかけのコミンテルンメンバーとして犠牲者になっ
ています。ソ連滞在中のホーチミンは表立った活動を控え
ていたようです。

帰国のキャンセルによって彼はモスクワの「少数民族、植
民地問題研究所」で働くことになります。

11_20110826182857.jpg
1936年から1938年の間、ホーチミンが勉強したモスクワ
のResearch Institude for National and Colony Issues 
(25, avenue Tvecxkoi in Moscow)

1936年夏、ホーチミンはグエン・ティ・ミン・カイとトゥ・フー
宛にコミンテルン本部とフランス、香港、ベトナムを結ぶコミ
ュニケイションラインを強化するよう手紙を送ります。

レ・ホン・フォンにも革命運動の直接の指揮をとるように依
頼し、現在は反ファシスト運動の強化に努め、広くデモクラ
ティックグル=プと共闘するようコメントしています。

インドシナ共産党の活動はレ・ホン・フォンによって7月に
上海で中央委員会が開かれます。党の会議では「フランス
帝国を追い出し、インドシナ人民戦線を作り、共同耕地を
確保するために地主の土地を没収すること」をスロ=ガンと
します。

ホーチミンの側近になっていたファン・バン・ドンとボー・グ
エン・ザップもインドシナ人民の民主と生活向上を求めて各
地で多くの会議を開催しています。

12_20110826182857.jpg
右から5番目がボー・グエン・ザップ


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