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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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13 ホーチミン主席の足跡 1917年(27歳)

この年の中頃、ホーチミンはロンドンから戦争中のパリにや
ってきます。1923年中頃までパリに在住しまが、1917年、
1918年とホーチミンの行動記録はフランス秘密警察の調
書にもなく、断片的な資料により、いろいろな著作の中で、
いろいろと推測されているのが実情です。フランス秘密警
察は1919年からホーチミンの行動を捕捉します。
From 1919-1923, while living in France, Ho Chi Minh
embraced communism. Ho claimed to have arrived in
Paris from London in 1917 but French police only
have documents of his arrival in June 1919.

パリにはベトナムをフランスの植民地から独立させる運動を
しているベトナム人グループがいました。

フランスで活動していたベトナム人愛国者:

1.ファン・チュー・チン(Phan Chau Trinh)
ベトナムで愛国運動をしていましたが、1908年に逮
捕され、1911年にはフランスに追放になります。パ
リに着くと1915年にパリに住むベトナム人愛国者
を結集して「在仏ベトナム人愛国者団体」を結成して活
動をします。

13_20110703172456.jpg
在仏ベトナム人愛国者団体の本部
NHÀ SỐ 6 PHỐ VILLA DES GOBELINS, QUẬN 13,
PARIS (House No. 6 villa Des Gobelins, District 13 of
Paris)

ファン・チュー・チンはホーチミンの父親とはよく国の将来
について討論した仲間で、ホーチミンもロンドン在住中から
何度もファン・チュー・チンに近況を知らせる手紙を送り、
おじさんのように思っていたようです。


11_20110703172457.jpg
愛国者 ファン・チュー・チン

12_20110703172457.jpg
ホーチミンがファン・チュー・チンに送った手紙

2.ファン・バン・チュオン(Phan Van Truong)

14_20110703172455.jpg
愛国者 ファン・バン・チュオン
パリのソルボンヌ大学で法律を勉強し法律家になりました
がジャーナリストでもありました。たびたび渡英し、在住中
のホーチミンと現地で会っています。ホーチミンがフランス
へ来た時に最初に世話をしたようです。

1919年7月までホーチミンの足取りは追えません。しかし
少なくとも5月7日から6月11日まではNo.10, Stockholm
City, その後、No.56 Monsieur le Prince Streetにいたこ
とが確認されています。

フランス滞在の頃から、彼の名前はグエン・アイ・コック
(Nguyen Ai Quac)となります。

この年の10月にはロシアでレーニンによって20世紀最大
の人民革命、「ロシア革命」が起こり、史上初の社会主義国
家が建設されます。ロシア革命はホーチミンの人生で、彼
の思想に最大の影響を与えた出来事で、レーニンは生涯
の師になります。

この時、ホーチミンはまだロシア革命の詳細を知っていた
わけではなく、彼はその後、どのようにして革命が成功した
のか、ソ連に行って勉強したい衝動に駆られます。

1957年にソ連の新聞記者にホーチミンはロシア10月革命
が起きたとき、私はフランスに滞在していたと語っているこ
とから、彼がフランスに入国したのが1917年11月7日以前
であることは確かなようです。

Lenin_1920.jpg
ソ連のレーニン。




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