べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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11 ホーチミン主席の足跡 1913年(23歳)

ボストンで彼はアフリカ系アメリカ人がよく読んでいた「ガ
ーディアン」新聞に、11月にアフリカ系アメリカ人の代表
が、黒人に対する差別撤廃を求めて、アメリカ38州から
20000人の署名を集め、ウィルソンアメリカ大統領に訴
えた記事を読みます。

01_20110622161813.jpg
新聞の見出しには
「Deligation of calored arrange audience with
President Wilson and present petition against
segregation」
と書かれています。

1919年、第一次世界大戦の戦後処理会議、ベルサイユ
講和会議で、「グエン・アイ・コック」名で配布、請願され
た「安南人民の8項目の要求書」はアメリカでのこの時の
経験がもとになっているとされています。

この年の11月か12月頃、彼はボストンから南アメリカを
回る航海に出発します。メキシコ、マルチニーク島、ブラ
ジル,アルゼンチンの市民生活を見て、フランスのルア
ーブル港に戻ります。港に到着したとき彼は船員として
の生活に区切りをつけます。
02_20110622161812.jpg


03ルアーブル
ホーチミンの船員としての生活の最終港フランス北端ル
アーブル港

そして1913年の年末イギリスに渡ります。ロンド
ンに着き、石炭を炉にくべる仕事をしていましたが、
2週間ほど体調を崩した後、ロンドン西方郊外の町、
ウェストイーリング(West Ealing)の「Drayton Court
Hotel」(2 The Avenue, West Ealing, 2 The Avenue,
West Ealing London)の厨房での仕事を見つけます。
彼のあてがわれた部屋は3階の小部屋でしたが、部屋
からはよく手入れされたホテルの広大な裏庭庭園が眺
められました。

05_20110622161811.jpg
Drayton Court Hotel

ホーチミンは1914年の2月までこのホテルで暮
らします。ホテルは1962年で閉鎖され、現在は
「Drayton Court」として、イギリスを代表するビール
「Fuller」のビアーガーデンになっており、彼が毎日
眺めたであろうホテルの裏庭はロンドンで一番広大
なビアーガーデンになっています。

16_20110624071229.jpg
現在のDrayton Court

このホテルの隣町に世界中の人を楽しませてくれた
喜劇役者のチャップリン(Charlie Chaplin)が16年間
住んでいたのですが、1914年に彼は渡米しますの
で、ホーチミンと入れ違いだったかも知れません。
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