べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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3.ホーチミン主席の足跡 1901年(11歳)

1901年9月、一家は故郷のキムリン村に戻ります。

01
1901年から1906年までホーチミンが中国語を習った
キムリン村のVương Thúc Quý 学校

この頃からホーチミンの名前はグエン・タッ・タン
(Nguyên Tât Thành)と呼ばれるようになります。グエ
ン・タッ・タンの少年時代、ベトナムはフランスの植民
地政策により人々は過酷な税の取立てや労役を余儀
なくされ、少年の純真な心に愛国心が芽生えるのに
時間はかかりませんでした。
02

すでに13歳の頃から学校の教科書よりも愛国者達
の本や英雄の伝記を好んで読み、父親からは中国や
モンゴルの侵略に対してベトナム人が抵抗した話を
聞いていました。

時には愛国者である父親と父親の仲間達との会話を
聞いたりして育ちます。父親の仲間の1人に東遊運動
で有名なファン・ヴォイ・チャウ(Phan Bôi Châu)
がいました。まだ幼さないホーチミンでしたが、父親
とファン・ヴォイ・チャウの会話、
(フランス植民地政府の過酷な税の取りたて、強制労働、
フランスの他の植民地への兵役など)を聞いていました。

ホーチミンもファン・ヴォイ・チャウから日本で勉強
するよう招待を受けるのですが、彼は断り、後日サイゴン港
からフランスへ渡ることになります。しかしホーチミンが
国際共産党員(コミンテルン)の東方局員となって、
中国やタイランドで活動することになったとき、彼は
ファン・ヴォイ・チャウによって短期間日本で勉強した
多数の在外ベトナム人愛国者に出会うことになります。

Untitled_20110609202118.jpg

ホーチミンは後の回想で述べてます。
「13歳の頃、私は「自由」「平等」「博愛」というフランス
の言葉に始めて出会いました。そして私は自分自身
でこの言葉が意味していることを正確に理解したいた
めにフランス文化を見てみたいという欲望に駆られた
のです。」

彼は15歳の時すでに反仏抵抗運動に参加し、愛国的
学者たちに対する伝令として働いていました。
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