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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ファン・ティー・キム・フック
Phan Thị Kim Phúc 1963年4月2日生

ベトナム戦争時、背中にひどい火傷を負いながら裸で逃げる少女はファ
ン・ティー・キム・フック

フック1

P1250631.jpg




彼女は南ベトナムのタイニン省チャンバンで暮らしていました。
1972年6月8日、チャンバンで南ベトナム軍と北ベトナム軍が
交戦、南ベトナム軍の爆撃機2機が上空を旋回し、ナパーム弾を
村民が避難していた寺院に投下しました。後日、この攻撃は寺院に
ベトコンがいると勘違いした誤爆だとされています。

AP通信のベトナム人カメラマン、フィン・コン・ウトと
英国テレビ制作会社 ITNの特派員クリストファー・ウェイン
は従軍記者として現場に張り付いていました。

寺院は焼け落ち、9歳だった少女キム・フックは兄弟や親類らと
逃げ出してきました。衣服は燃えて脱げ落ちたフックは裸で
走りました。カメラマン ウトは本能的にカメラを向けます。

写真は世界中に配信されましたが、時のアメリカ大統領ニクソン
は認めなかった。「この写真は合成だ」

しかしナパーム弾に衣服を焼かれて裸で走るベトナム人少女や子供
たちの姿を世界中に伝えたこの写真はベトナム戦争の写真の中でも、
人々の心に深く印象付けられた一枚となり、翌年、ピュリツァー賞
を受賞しました。

カメラマンは写真を撮った後、すぐにウェインと一緒にキム・フック
と他の子供たちを病院へ運びました。看護婦がウェインの耳元で
ささやきました。キム・フックは「明日まで持たないだろう」

ウェインは英国大使館、南ベトナム外務省と掛け合ってフックさん
を専門の整形外科病院に移しました。フックさんは14カ月間も入院、
17回の手術を受けて何とか一命をとりとめました。
 
「この写真がきっかけとなってナパーム弾の非人道性が
クローズアップされ、後に軍需産業がナパーム弾の製造を中止
しました。

ベトナム共産党政権は写真を反米宣伝の材料に利用するため、成長
したフックを広告塔に仕立て上げた。その後、キューバに留学した
フックさんはベトナム人男性と出会って結婚、1992年、
新婚旅行の途中にカナダに亡命しました。現在では2児の母となり
夫とともにカナダで暮らし、戦争で被害を受けた子供たちを支援
しています。

1997年11月10日、国連ユネスコの親善大使に任じられます。

2010年、英国で命の恩人ウェインと再会を果たします。

フック2


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