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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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ホーチミン廟の建設
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ホーチミン主席の遺体の保存に加えて、霊廟を建設すること
はベトナム議会とベトナム労働党中央委員会の最大の関心事
であり、課題でした。どちらも主席が望んだことではありません
が。

建設に当たり、旧ソ連は設計図の段階から協力し、数名の代
表団をベトナムに派遣し、全面的な支援を行います。

ベトナム国内においても霊廟の建設に貢献したいと多くの建
築家、技術者、兵士、一般人が協力を申し出、国家的事業とし
て、霊廟の建設が行われます。

主席自身は、戦争中でもあり、生活が苦しい庶民の生活を思
い、遺言でも自分の葬式には金をかけないように言い残して
いるのですが、国民の主席に対する思いはそれをはるかに
上回っていました。

国民の建設に対する貢献の熱望に答えて、中央委員会は霊
廟のデザインを公募することを決定します。

いくつかのデザインの候補が選ばれ、さらに国民の意見を聞
くために、ハノイ以外の各地の省で展示会が行われます。展
示会には1745487人が訪れ、34022通のコメントが寄せら
れます。

多数のデザインから斬新かつベトナムの伝統的要素を組み
合わせた最終デザインが決定されます。

基本構造は3段階の基壇、5つの部屋、3層の屋根という構造
になりました。

1971年11月3日、主席の一番弟子で首相のファン・バン・ド
ンは霊廟建設の書類に正式に署名し、副首相のド・ムオイを
最高責任者に任命します。

しかしながら、不幸にもアメリカ軍の攻撃が激しくなり、被害が
ハノイにも及ぶかも知れないという危惧から、建設は一時延期
されたままになります。

建設が再開されるのは、1973年1月28日、アメリカがパリ和
平会議で署名し、ベトナムから引き上げることが決まってから
でした。

軍隊が建設の中心となり、北ベトナム国民や旧ソ連の支援者
が作業を開始します。しかしこの年、旧ソ連には支援金額が
予算に計上されておらず、近代的な建設機械は旧ソ連の会
社がベトナムに貸与するという形式で始まります。

旧ソ連の会社はホーチミン主席の霊廟建設に必要な建設機
械を優先的にベトナムに送ってくれました。ベトナム国内でも
霊廟建設に必要な物資の運搬には最優先の旗が立てられま
す。ハイフォン港や鉄道駅をはじめ、建設に必要な機械器具
や材料が各地から送られてきます。

霊廟の基礎工事には1200本のパイプを埋め込まねばならず、
その作業は雨季が始まる8月には終了させねばいけません
でした。この時間との戦いに、ベトナムの要職にあった人も、
教師や学生も建設作業者に協力して一緒になって働きまし
た。

そして建設開始から60日後、基礎工事は完成します。

第2ステップは霊廟の本体の建設です。この建設には多くの
人員よりも多くの技術者や多くの時間が、そしてすべての原
材料に最高品質のものが要求されました。高品質の材料は主
席の遺体の永久保存には欠かせない要素なのでした。

最初の課題はセメントでした。当時のセメントは品質が悪く、
新たに高品質のセメントを開発しなければなりません。新たな
高品質のセメントはThuỷ Nguyên地方の岩石や土を使って
新しい技術によって作り出されました。そして大量のセメント
袋には「Đời đời nhớ ơn Chủ tịch Hố Chí Minh vĩ đạu
(偉大なホーチミン大統領は永遠) と印刷されました。

砂利は現在のThái NguyênとBắc Cạn省に住む少数民族
の採石場から運ばれました。

そして黄砂と呼ばれる高品質の砂は以前のフランス調査
団の調査によればロー川(Lô River)のものがベストとありまし
たが、多くの砂のサンプルを検証した結果、
Hoà Bình省のBôi River産を使うことに決定しました。

Hoà Bình省に住む少数民族はこのイエローサンドを総出で袋
詰めし、トラックでハノイに運びました。

旧ソ連からの建設機械は1974年になってベトナムに搬送され
てきました。しかし機械の設置や操作はベトナム側で行うこと
になっていたので、霊廟建設に携わっている兵士を管轄する
国防省は高級技術者をかき集めます。

ドアーや手すりなどに使用される木材は樹齢数百年のNuと
いう木材が使われています。この木材は中部ベトナムで軍務
についていたベトナム解放民族戦線の兵士たちがチュオンソ
ン山脈から切り出し、ハノイに送ってきたものでした。

霊廟本体のコンクリート工事は1日200m2の進捗を400m2
にして、予定期間内に完成させます。

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そして内装工事と霊廟周囲の整地や環境整備が行われま
す。

内装工事は霊廟全体の工事期間の50%を占める時間が費や
されています。

内装、外装の職人はベトナムには優れた人がたくさんいまし
たが、石材の切断などは旧ソ連で行われ、20000ピースの大
理石や花崗岩は旧ソ連から搬送され、ベトナム産の石材ととも
に使用されています。

霊廟上部(Pedimen)にある「Chủ tịch Hô Chí Minh」という
文字はCao Bắng省から運ばれたルビーの原石に彫られました。
ルビーはホー主席の頭部に面した壁にも使用されて、荘厳な
雰囲気をかもし出しています。

電気設備、水道工事、空調設備、排気設備、電話工事、ビデ
オシステムなどはベトナム人技術者にとっては始めての経験
でしたが、彼らの情熱は外国人技術者が賞賛するほどの出来
栄えでした。

100000人収容できるバーディン広場を始め、霊廟周囲の道
路が再構築され、霊廟の周囲にはホー主席が大事にした全
国各地から送られた木々が植えられました。

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そして1975年7月18日午後8時、労働党と国会のすべての
リーダーが整列する中、ホーチミン主席の遺体は完成した霊
廟正面に到着します。最後の6回目の移動でした。

1945年、この場所で独立宣言を読み上げたホーチミン主席は、
フランスと戦い、南ベトナム政府と戦い、アメリカと戦い抜
いて、国土の統一を勝ち取って、30年ぶりに帰ってきました。

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1975年8月22日、霊廟の完成がベトナムの全国民に発表さ
れ、披露されます。第144軍から選ばれた150人の儀仗兵が
ホーチミン主席を守り続けます。

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戦争で疲労していて、金のなかった北ベトナムが、金に糸目
をつけず、外国の援助の下に建設したホーおじさんの霊廟、
ホーおじさんは夢の中できっと怒っているような気がします。
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