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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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オウラク国
オウラク国(甌雒国)   前257年~前214年
   
紀元前316年 蜀の国(中国揚子江の下方にあった国)が、当時強国であった秦に滅された
時に、蜀の王子、蜀はん(しょくはん)が、現在の北ベトナムに逃げてきました。 

オウラク
  
 紀元前257年になると蜀はんはこの地域でフン王が統治していヴァンラン国(文朗国)
を滅ぼし、オウラク国を興して、自らアンズオン王と名乗ります。北ベトナムと中部ベトナム
の北方を領土とし、都をコーロア(古螺)におきます。

コーロア城はハノイから北へ車で40分ぐらいのドンアイン地にあります。

オウラク (1)

   
オウラク国に関する年代記述は異説もあります。コーロア城は、中国の直接支配下以前
に築かれたべトナム独自の文化によって造営された城でした。

オウラク (2)



オウラク国の伝説

この国にはキムクイ(金亀)の爪から作った魔法の弓があり、どんな敵も倒すことができました。

チョウダ(秦の始皇帝によってベトナム侵攻を命ぜられていた将軍の部下)はいくら戦っても勝てな
いため、息子のチョントイをアウズオン王の娘ミーチャウと結婚させます。そしてチョントイ
は、ミーチャウからキムクイの秘密を知り、弓をすり替え、親が病気と偽って中国に帰って
いきます。

 この機会にチョウダはオウラク国を攻め滅ぼします。

 チョントイが帰国する際、2人が離ればなれになったら、自分の通ったあとにガチョウの羽
をまいて居場所を知らせくれと約束していたので、海辺まで逃げてきたアンズオン王と娘の
ミーチャウ姫は、居場所を突き止められてしまいます。

  
アンズオン王は、キムクイから「裏切り者はミーチャウだ」と聞き、ミーチャウの首をはねて
しまいます。

 そして自分はキムクイとともに、海の中に去っていきました。

 後を追ってきたチョントイは、首のないミーチャウを見て自分のしたことを悔やみ井戸に身
を投げました。

 ミーチャウの流した血は海に入って真珠となり、チョントイが自殺した井戸で洗うと輝きが
増すそうです。

ある時、河をを下ってきた石を陸に引き上げようとしましたが、引き上げられず、コーロアの
遺跡まで来たときにやっと引き上げられたそうです。

 それで、人々はこの石をミーチャウが家に戻って来たと思い祀ることにしたそうです。
(歴史の散歩道から)

この伝説から、コーロア城址には、キムクイの像、弓を引くア ンズオン王の銅像、頭のない
ミーチャウ姫の石像などが伝説にしたがって造られています。      
 
オウラク (6)  オウラク (4)  オウラク (5)

 
 蜀はんの没後、前219年秦の始皇帝は50万もの大軍でこの北ベトナム地方を侵略し、
前214年にオウラク国を滅ぼしてしまいます。
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