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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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サイゴンの歴史
サイゴンの歴史

  現在のホーチミン市を含む南ベトナム一帯はもともとはカンボ
ジアを中心とするクメール王国が支配していた沼沢地で、人々
は運河を船で移動して暮らしていました。16世紀中頃から17世
紀後半にかけて鄭氏(北部)と広南阮氏(中部)の二大地方王権
が内戦をしていた頃、1623年に乱を逃れて海上から南下して
きたベトナム人難民に、クメール王国のチェイ・チェッタ2世が
Prey Nokor一帯に定住を許可してことから、大量のベトナム人
が定住するようになりました。
  
  その後、グエン氏は中部からクメール王国の土地に南下して
いたチャム族の土地を占拠しました。

1623年
1623年のサイゴン。

現在のサイゴン川はタンビン川(Song Tan Binh)、中華街の
ジョロンへ繋がる支流がサイゴン川になっています。
タンビン川に沿ったベンゲ(Ben Nghe)は現在のレタントン
通り近辺の地区名として残っています。


  1679年になると中国の明朝が滅亡したのに伴い、中国人3
000人が50隻の船でフエの近海に漂流してきて、グエン氏に亡
命を願い出ます。グエン・フック・ヒンはヤーディン(現在のホーチ
ミン市)やメコンデルタ地域のビエンホア、ミトーに入植させまし
た。
  
  現在のホーチミン市5区のチャイナタウンに住む人たちの祖先です。


  1698年、グエン朝(広南阮氏政権)はグェン・フー・カン
(Nguyen Huu Canh)将軍をヤーディンに派遣します。彼は、現在
のタンビン地区やフックロン地区を開拓し、最初の基本的な行政
組織ヤーディン(北部の発音はザーディン)府を置きます。両地
区には市長(Luu Thu)が任命され、その下部組織には
Manager(Cai Bo)と Secretary(Ky Luc)が置かれました。
  この年がサイゴン誕生の年とされています。

03  グエンフーカン
グェン・フー・カン


  1790年、阮朝初代皇帝グエン・フック・アン(Nguen Phuc
Anh)は3万人を動員し、ヤーディン府の新しい行政本部として、
3万人を動員してバットクワイ(BAT QUAI)城を建てました。
この城はフランスの軍事技術者の助言により、ヴァーバン式(Vauban)
建築法に基づき、現在のハイ・バー・チュン通りとレ・ユアン通りの交差点
を中心に建設されましたが、現在では跡形もありません。
亀の甲羅のような町づくりなので八卦(はっけ)街とも呼ばれました。
  
  この城がサイゴンの最初の都市建築物といわれています。

八卦街2
BAT QUAI 城

八卦街1


1790年
1790年のサイゴン・ジョロン地図


1790年ー2
1790年のサイゴン地図


1815年
1815年のサイゴン。城下に市街地が形成されてきました。



 1835年、阮朝2代ミンマン帝は一旦バットクワイ城を取り壊し、 
フエの宮城より小さな城を現在のLe Thanh Ton, Dinh Tien
Hoang, Nguyen Dinh Chieu, Nam Ky Kho Nghia 通りに造り直し
ました。


  1859年2月17日,スペイン、フランスの連合軍がヤーディ
ンの城を攻め、占領します。連合軍は城はゲリラの格好の標的
になると考え、城の米倉庫に火をつけ破壊します。米倉庫は3年
に渡ってくすぶり続けたといいます。その後フランスのベトナム
植民地化は急速に進み、、1887年にはベトナム全土がフラン
スの植民地となります。しかし植民地になってから、サイゴンは
急速に発展していきます。

  フランス人はこの地をサイゴンと呼びました。サイゴンという
呼び名の起源に関しては、諸説があってはっきりしていませんが、
フランスはこの頃、庶民の間ではヤーディンよりサイゴンが一般的な
呼び名になっていたことから、1867年正式に改名しました。

  サイゴンという名前の一説にはクメール語の「カポックの木の
茂る森」から来ています。サイは茂る森、ゴンはカポックの木の意味
になります。漢字で表すと「西貢」となります。

  フランスはコフィン(Coffyn)という名の専門家を中心にサイゴ
ンの都市計画をつくり、サイゴン港も開港させ、ハノイまでの鉄道建設
も手がけました。都市計画により1880年頃からサイゴンの町には
フランス本国で流行していた当時の建築様式をまねて、たくさんの建造物
が建設されたため、「東洋のパリ」とか「プチ・パリ」、「極東の真珠」
と呼ばれるようになったのです。ホーチミン市にあるコロニアル建築
(フランス植民地時代に建築された建物)の代表的なものを列挙します。

中央郵便局 (Buu dien Thanh pho)  
    1863年完成

ホーチミン主席記念館(Bao Thang Ho Chi Minh)
    1863年起工

統一会堂 (Dinh Thống Nhất)   
    1873年完成

ノートル・ダム大聖堂 (Nhà thờ Đức Bà)   
    1880年完成

コンチネンタル ホテル(Continental Hotel Saigon)
    1880年開業 

ホーチミン市博物館 (Bao tang Thanh Pho Ho Chi Min)
   1890年完成

市民劇場 (Nha hat Thanh pho)
    1900年完成

ホーチミン市人民委員会 (Uy ban Nhan dan Thanh pho)    
    1908年完成

マジェスティックホテル (Majestic Hotel)
    1925年開業

国立銀行支店 (Ngan hang Nha nuoc)
1930年完成

グランドホテル(Grand Hotel)   
    1930年開業

ホーチミン市人民法廷 (Toa an Nhan dan Thanh pho)
    不明


1918年
1918年のサイゴン。サイゴン港も開港されて、川沿いに市街地
が急速に拡大します。        
   

  1954年、フランスはディエンビエンフーの戦いで敗れ、ベトナム
から撤退し、フランスによるベトナムの植民地支配が終わります。
        
  その後ジュネーブ協定を経て、ベトナムは南北に分断され、
サイゴンは南ベトナムの首都となります。


1973年
1973年のサイゴン中心部。

1973年ー2
1973年のジョロン。市街地が拡大して、旧市街と新市街地が出来ています。


  1961年からはベトナム戦争が始まっており、1975年4月30日に
歴史的な「サイゴン陥落」を迎えます。


P1120040.jpg
11時30分、大統領官邸正面から無血入場する北ベトナム軍
 
 
  社会主義国になったベトナムを嫌って、多くの華僑がボートピ
プルとなって南ベトナムから脱出しました。1975年中華街のジ
ョロン(現在のホーチミン市第5区が中心)には110万人いた華
人は1978年には10万人にまで減少しました。その後市場開放
政策によりジョロンン華人50万人にまで回復しています。

P1110190.jpg
サイゴンから脱出する人々。

  
  統一後の1976年にサイゴンは区画が再構成されホーチミン
主席の名を冠してホーチミン市となります。ホーチミン市になる
過去の変遷は下記の通りです。(英語表記です)

1698-1790 HUYEN TAN BINH 
1790-1802 GIA DINH KINH
1802-1808 GIA DINH TRAN
1808-1832 GIA DINH THANH
1832-1835 TINH PHIEN AN
1836-1859 TINH GIA DINH
1862-1930 THANH PHO SAI GON
1930-1954 SAIGON-CHO LON
1955-1975 DO THANH SAI GON
1976-NOW THANH PHO HO CHI MINH      


  現在のホーチミン市は人口が700万人を超え、公共インフラ
の整備が急務になっており、政府も新都心の開発を急いでいま
す。 2区のThu Thiem地区や7区のPhu My Hung地区には新
市街地が建設されています。
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