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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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海軍兵士クラブ 更新
海軍兵士クラブ

植民地時代 海軍兵士クラブ
(Foyer du Soldat et du Marin)
現在    ホーチミン作戦博物館
(Bảo Tàng Chién Dịch HCM)
場所    2 Le Duan(レユアン通り)

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賑わう海軍兵士クラブ

この場所はフランスがサイゴンを占領した時の
ザーディン城の跡地です。

1890年代
海軍兵士クラブはインドシナ軍上級司令官テオフ
ィルペネクイン(Théophile Daniel Noël Pennequin)
によって設立されました。
クラブの並び(動物園側)にはフランス植民地軍第
11海軍歩兵宿舎がありました。

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創設者テオフィルペネクイン

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設立当初の海軍兵士クラブ

クラブ内のバー、コーヒーショップでは格安で飲食
物が販売され、クラブの庭には運動場がありスポー
ツゲーム大会が開かれていました。
図書館の蔵書は1500冊に及び、定期的に演劇が
演じられ兵士が宿舎から遠く離れることなく格安
で楽しめるように配慮されていいました。

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コーヒーショップ

しかし1910年までクラブの運営は非常に限ら
れた予算で賄われていて、これを知ったフランス当
局は遠く故郷を離れて職務についている兵士に理
解を示し、年間200フランの補助金を拠出しまし
た。

助成金のお陰で数年後にクラブでは撮影コンテス
ト、フラワーショー、自動車の展示会や映画の鑑賞
会など多種多様な催しものが行われ兵士の人気会
場になりました。

1936年
2階建ての新規建物が建設されます。建物はアール
デコ風様式に再構成され、新しく組織された海軍兵
士連合体の運営に任されます。プールも新設され施
設はさらに充実していきます。この建物が現在の姿
で敷地面積は1100平方メートルあります。

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1936年 改装なった海軍兵士クラブ 

1956年
フランスが撤退すると南ベトナム共和国のゴジン
ジェム(NgôĐìnhDiệm)大統領付きのエリート警護
団のクラブハウスとして使用されます。

1967年
建物は南ベトナム軍の大佐以上の将校を訓練する国
防大学(TrườngCao ĐẳngQuốcPhòng)へと内部が改
装され、将来の将校の宿舎でもありました。

1986年以降
ベトナム統一後、博物館建設用として第7軍区人民
軍の管轄に移され、1987年7月27日の国防省
通達によって博物館として使用することが正式に決
定されました。

1996年
軍事博物館用に内部が改装され、展示物の準備がな
されて「ホーチミン作戦博物館」として正式に開館
しました。

2005年
改装と展示物の充実が計られて現在に至っています。

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現在のホーチミン作戦博物館

内部展示は1975年春の軍事攻勢から、サイゴン
陥落の最終作戦であるホーチミン作戦の作戦内容
の図解と写真が展示されています。
-Highland Campaign
-Hue &Danang Campaign
-Ho Chi Minh Campaign
-Fall of Saigon

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内部展示室

作戦内容の展示なので、観光目的の人には人気がな
く、いつも入館者はまばらです。

この博物館の野外展示は自由に無料で見られます。
戦争証跡博物館の野外展示はアメリカ軍の武器が
展示されていますが、作戦博物館の野外展示場には
ホーチミン作戦に参加した北ベトナム軍の軍事車
両や大砲、戦車などの武器が展示されています。

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1975年4月28日 
タンソンニャット空港を爆撃したA37戦闘機

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1965年4月30日 
南ベトナム大統領官邸に突入したT54型戦車
No.848の同型車

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サイゴン市内に打ち込まれたロケット砲

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キューバから支援された小松製作所製のブルドーザー


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給水塔 更新
給水塔

当初  Château d’eau
現在  Công trường Quốc tế(国際広場)


聖マリア教会(サイゴン大聖堂)の裏側から一直線
に伸びたPhạn Ngọc Thạch道路を行くとロータリー
に突き当たります。ここにはフランス植民地時代に
建設された給水塔がありました。

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1878年
フランスが聖マリア教会の基礎工事を始めだすと、
大量の地下水が湧き出てきて、工事が難航しました。

1879年
フランスは地下水を辿って水源を見つけ、給水塔を
建設し、サイゴンの住民に供給しました。サイゴン
で最初の給水塔です。

1918年
サイゴンの人口増加に対応し、サイゴン-チョロン-
フートー-タンソンニャット-ゴーヴァップを連結し
た新しい給水システムを構築し始めます。

1921年
新たSài Gònな給水システムが完成すると、広場の
南側に建設されていた水道局(現在のTổng Công ty
Cấp nước Sài Gòn=SAWACO=サイゴン水道総公社)
の奥に新たな給水塔が建設されました。会社の敷地
内にあるので見学はできません。

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左側が給水塔

11月、この広場は第一次世界大戦中のフランスの
英雄、ジョッフル元帥(Joseph Jacques Césaire
Joffre)の来越を控えて「ジョッフル元帥広場」と
命名されました。

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ジョッフル元帥

1927年11月11日
その後、給水塔に代わってフランスは第一次世界大
戦で戦没したフランスやインドシナの兵士のため
に戦没者記念塔を建設しました。

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戦没者記念塔

第1次世界大戦でフランスはインドシナ人民を徴
兵し、ヨ―ロッパ戦線に送り込みました。そのほと
んどがベトナム人で、ドイツとの戦場や武器弾薬の
製造工場に送られ9万人が死亡したとされていま
す。

1956年
ゴ・ディン・ジェム大統領はなぜかこのモミュメン
トを取り壊し、その後すぐには新しい建築物が立て
られませんでしたが、1960年代の後半まで地元
の人々はこの広場をCông trường Chiến si (兵士の広場)
と呼び続けていました。

1967年後
現在のモニュメントはデザインコンテストで優勝
したNguyễn Kỳによって設計されたものですが、
グエン・バン・チュウ大統領は香港から風水の専門
家を呼び寄せ、モニュメントは風水理論によって建
築されています。
大統領はサイゴン政権を支援してくれている連合
国に感謝するために各国の名前を刻んだ石碑を建
てました。

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上部はベトナムの国花ハスをイメージし、池の周り
にはブロンズの亀が置かれました。

1972年~1972年
広場の周囲が整備され交通量も増加していき、広場
は「Công Trường Quốc Tế」(国際広場))と改称さ
れます。

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1975年後
サイゴン陥落後は連合国の石碑はすぐ取り除かれ
ましたが、亀は無事でした。しかし翌年不審な爆
破裂によりモニュメントは重大な損害が生じまし
た。
その後復旧されましたが、ブロンズの亀は再現され
ませんでした。しかし人々は現在でもこのモニュメ
ントをHồ Con Rùa(亀の池)と愛称しています。

現在、都市部では各家庭で給水塔を持っていますが、
サイゴンでもところどころに公共の給水塔を見る
ことが出来ます。

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4区のグエンタッタン通りの給水塔

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マリーキュリー高校の給水塔

レヴァンタン公園
レヴァンタン公園

植民地時代 Cimetière de la rue de Massiges
(マッシジ墓地)
現在    Công viên Lê Văn Tám
(レヴァンタン公園)
場所 Đa Kao地区
  (ディエンビエンフーとハイバチュン通りの交差点)

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グエン王朝のミンマン帝の時代にはこの土地にレ
ヴァンズイットの廟があり、チョロンの人々は初詣
に中華街にある寺だけでは足りずレヴァンズイッ
トの廟にまで足をのばしたと言われています。

その後、廟はミンマン帝により国賊として破壊され、
遺骨は不明ですが、廟は1Vũ Tùng, Phường 1, Quận
Bình Thànhに復活されています。

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現在のレヴァンズイットの廟

1859年
フランス軍はサイゴン侵略の際、戦死した兵士らの
ために現在のHai Bà Trưng, Điện Biên Phủ, Võ Thị
Sáu , Phan Liêm通りで囲まれた一角に墓地を造営しました。
正門はマッシジ通り(現在Hai Bà Trưng
通り)。その後はフランス人だけでなく、サイゴン
に住んだ外国人の墓地となります。

1965年
Massiges通りがMạc Đinh Chi通りと改称されたの
に伴い、墓地はNghĩa trang Mạc Đinh Chị(マック
ディンチー墓地)となります。
この頃からはベトナム戦争で戦死した南ベトナム
の兵士なども埋葬されます。

1983年
ホーチミン市人民委員会は子どもの文化宮殿を構
築するためにマックディンチー墓地の移転とサイ
ゴン市内の華美な廟の取り壊しを決定します。

フランス人はじめ外国人の墓は取り壊され、発掘さ
れた遺骨は焼却されそれぞれの故国に返還され,
ベトナム人の遺骨もライチウの人民墓地に再埋葬さ
れました。
タンソンニャット空港近くにあったアドラン司教
の霊廟も取り壊され、遺骨は現在パリの宣教師協会
に保存されています。

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アドラン司教の廟

1985年4月30日
南ベトナム解放10周年にあわせて公園が開園し
ます。

当初、この墓地に当初埋葬された著名人:
LêVănDuyệt グエン王朝建国の立役者の一人
Francis Garnier フランスの軍人、探検家
Doudart de Lagrée フランスの探検家
Ngô Đình Điệm 南ベトナム大統領
Ngô Đình Nhu  大統領の弟
Francois Sully  フランスのジャーナリスト
Grace Cadman アメリカの宣教師

現在の公園はきれいに整備され、週末には市民のス
ポーツセンターになっています。

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現在のレヴァンタン公園

2年に一度、ベトナム中の出版社や文房具店が集ま
り、レヴァンタン公園で展示即売会が開かれていま
す。2016年には9回目が開催されます。

レヴァンタン公園には巨大な地下駐車場や地下モ
ールが2013年に完成する計画がありましたが、
計画倒れに終わっています。


コラム  レ・ヴァン・タン
レヴァンタン公園の裏側はティゲ運河が流れてい
て、そこにはフランス軍の武器庫がありました。
ベトナム8月革命に始まる各地での蜂起の流れの
中、13歳のレヴァンタンは武器庫を破壊するため
自分にガソリンをかけ火達磨になりながら武器庫
のガスタンクに突進し、爆発させました。
この話はベトナムの小学校教科書にも記載された
ため、彼はベトナムの英雄として尊敬されています。
しかし近年、この話の検証が行われています。




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