べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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マジェスティックホテル 更新
マジェスティックホテル

Majestic Hotel Saigon
場所  1 Dong Khoi

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ライトアップされたマジェスティックホテル

12 (400x323)

マジェスティックホテルは創業90周年、ラッフルズ(シンガ
ポール)、オリエンタル(バンコク)、E&O(ペナン)、ペニン
シュラ(香港)などと並んで植民地時代のホテルの老舗
です。

1925年
フランス植民地時代に開業したホテルで、フレンチコロニ
アルとも、フレンチリビエラスタイルとも呼ばれている白亜
の格調高い五つ星ホテルです。
建設当初から同じドンコイ通りにあるコンチネンタルホテ
ルと並び称されるサイゴンを代表するホテルです。

フランスの「ビスタ」と呼ばれる都市計画手法で建設され
たマジェスティックホテルはドンコイ通りの起点で、一直線
に散歩すると「聖母マリア大聖堂」に突き当たります。

13 1925年 (400x240)
1925年開業時のホテル

創業当初はフランスのコミュニティーや船でサイゴンにや
ってくるヨーロッパの旅行客で賑わいました。

ホテルはサイゴン川に面しているので、屋上のスカイバー
や各部屋のバルコニーから眺めるサイゴン川の夜景は
絶景です。

14 1940年 (312x400)
1940年のホテル

1941年7月28日 
日本軍は南部ベトナムに進駐しましたが、マジェスティッ
クホテルはフランス植民地政府から日本政府に貸し出さ
れ、主に日本軍の将校の宿舎として使われました。

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「日本ホテル」となっています

その後ベトナム戦争中には、ホテルのルーフトップバーか
ら対岸のサイゴン2区の戦況がよく見えるため、Good
place to watch the warとして西側の軍関係者やジャ
ーナリストの多くが定宿し、ベトナム戦争の情報を各国に
送り続けました。

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ルーフトップ

17 (300x200)
ルーフトップから2区を望む

朝日新聞社の特派員だった作家の開高健がベトナム
戦争中の1964年から1965年にかけて滞在した103
号室には、記念プレートが張られています。

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103号室。日本人が宿泊すると案内してくれます。

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1975年4月
ベトナム戦争末期、6階のレストランが北ベトナム軍のロ
ケット砲の直撃を受けてレストランは大破、従業員が
1人死亡しています。

南北統一後、一時ホテル名をフランス名からベトナム名
の「クーロン(九竜)ホテル」と変更しましたが、現在ではも
とのマジェスティクに戻っています。

20 1985年 (400x267)
1985年の写真 ホテル名がクーロンホテルとなっていま
す。

ベトナム政府の公式な迎賓ホテルとして、ミッテラン元
フランス大統領を始め、各国のVIPが滞在しています。

<マジェスティック ホテルの歴史>

フランスがサイゴンを占領してからマジェスティックホテル
が建設されるまで、この場所は小さなホテルHôtel
d’Annamや南インド人の両替商などいろいろな商店が
並んでいる場所でした。

1925年
中国人の大富豪フイボンホアが経営するSociété
immobilière Hui Bon Hoa(フイボンホア不動産会社)
により5階建て、44室をもつフレンチスタイルのマジェステ
ィックホテルが建設されます。設計はフイボンホア不動産
会社の本店を設計したRivéra によります。

1948年
インドシナ観光に買収されます。

1951年
コンチネンタルホテルの所有者であったコルシカ系フラン
ス人フランチニ・マシュー (Mathieu Franchini)に15年
契約で賃貸されます。

1966年
フランチニ・マシューとの賃貸契約が終了すると、南ベト
ナム政府の観光省に引き継がれます。

1968年
2階分を増築し、宴会場、レストランと客室が新たに追
加され、ほぼ現在の概観になります。

1975年4月30日
北ベトナム戦車隊はサイゴン川に沿ってこのホテル前を
通り、レロイ通りから一直線に南ベトナム大統領官邸に
午前10時30分突入しました。

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1975年4月30日 サイゴン陥落後、マジェスティックホ
テル前で寛ぐ北ベトナム軍兵士。

1985年
現政府に接収後は国営企業サイゴンツーリストによる運
営が始まり、99室を持つホテルに生まれ変わります。

2003年
8階建ての別館が増築され、現在は175室を持つ格調
高いホテルとして名声を保っています。

22 (400x249)
左端が増築分

2007年
ベトナム政府観光局の格付けで5つ星の認定を受けて
います。

23 (400x300)
正面

24 (400x300)
正面玄関

25 (400x282)
内部のシャンデリア


<マジェスティクに宿泊したVIP>

FRANCOIS MITTERRAND  フランス共和国の前大統領
CATHERINE DENEUVE    フランスの映画俳優
AKISHINO             日本の秋篠宮
EDWARDS ANDREW イギリスのエドワルドス
HENRIK デンマークの王子
PHILIPPE LEOPOLD ベルギーの王子
MAHA CHAKRI SRINGDHOR タイの王女
LEE HSIEN LOONG       シンガポールの副首相
JACQUES BEKAERT BBC の特派員
日本の作家、記者
開高健、近藤紘一、沢田教一、石川文洋、岡村昭彦
              
開高 健「ベトナム戦記」
マジェスティック・ホテル103号室のベッドに寝ころんで英
字紙の「サイゴン・ポスト」を読んでいると、思わずうなり
声がでた、ヤング少佐なら、「シーッ!」と舌打ちして床へ
たたきつけるところだ。

近藤 紘一「サイゴンのいちばん長い日」
レストランを物色しながら、ツゾー通りをサイゴン川の方へ
歩き、思いついて、川岸に面したマジェスティック・ホテル
に入った。造りは古いが、町でいちばん格式の高いホテ
ルである。五階のレストランに上がり、まっすぐ窓際の席
に行って腰を降ろす。奥のテーブルには新米の新聞記
者らしい連中が2.3組いるだけで、広い食堂はガランと
静かだった。

青木 富貴子「ライカでグッドバイ」
1965年2月1日、サイゴン時間の夜7時タンソンニュット
空港へ着いた沢田教一は、その晩マジェスティック・ホテ
ルに泊まった

石川 文洋「戦場カメラマン」
1985年の元旦をホー・チ・ミン市のクーロン(九龍)・ホ
テルで迎えた。サイゴンのマジェステック・ホテルと言った
方が、ベトナム戦争を取材していた人々には親しみが感
じられると思う。当時、日本からも大勢のジャーナリスト
がサイゴンに集まっていた。その誰もが、一度ならずこの
ホテルの五階のレストランで、眼下のサイゴン川を見なが
ら食事をしたことがあると思う。

岡村 昭彦「南ヴェトナム戦争従軍記」
ジャングルの戦闘に参加し、雨に濡れて、すっかり役に
立たなくなったカメラを修理に、サイゴンに帰ってくると、
一通の電報が待ちかまえていた。「ライフガ、アナタノシャ
シン、9ペイジツカイ、トクシュウクンダ、オメデトウ」。私は
その電報を持って、マジェスティック・ホテルにいる「読売
新聞」のH君の部屋に飛び込んでいった。

マジェスティックホテルは長い年月の間にアールデコの建
築様式が現代的な味付けに美容整形されてしまいまし
たが、マジェスティック、コンチネンタル、レックス、グランド
の各ホテルはサイゴンの4大コロニアル様式のホテルと言
われています。

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ハイントンタイ教会
ハイントンタイ教会

場所 ホーチミン市ゴヴァップ区クアンチュン通り53/7番地

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ビザンチン建築様式で建築されたこの教会は白く塗られ
、聖堂の上にはビザンチン建築の特徴である半球形の
塔があります。

ドーム上部に採光の塔があり、祭壇はイタリアの大理石
、外壁には浮彫り装飾がなされている。教会内には
1925年フランスのPaccardで鋳造された3つの鐘が
あります。

教会ハイントンタイ教会は1921年から1924年までの
3年間でレ・ファット・アン(Lê Phát An)が投資した
Baader会社とLamorte会社によって建てられました。

レ・ファット・アンはバオダイ帝の皇后ナムフーンの叔父で
、当時の南部ベトナム4人の有名なプランテーション主の
一人、レ・ファット・ダットの息子です。レ・ファット・アン氏
の力に感謝の意を表明するために、聖堂の中にレ・ファ
ット・アンとその夫人の墓があります。

ハイントンタイ教会は150年に渡り、この地域の6千人
の信徒に強く印象を与え、宗教の面で貴重な財産とし
てホーチミン市の特別な建築の遺産となっています。


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ミサ

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聖堂内の絵

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聖堂の祭壇

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ドーム型の屋根

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キャンパスの像

フエンシー教会
フエンシー教会

NHÀ THỜ HUYỆN SỸ
場所 1 Tôn Thất Tùng (9月23日公園の端)

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1905年
この教会は殉職者レヴァンヤム(Lê Văn Gẫm)のために
ベトナム最後の皇帝バオ・ダイ帝の義理の伯父で敬虔
なカトリック教徒であったLê Phát Ðạt(通称フエン・シー)
が、土地と建設資金を寄付し、地元の人々の寄付も合
わせて1902年に起工され1905年に完成しました。

デザインはゴシック建築でBouttier司祭によって設計さ
れました。

彫刻には向かない御影石を使用することでフエン・シー
家の富の豊かさを誇示しています。フエン・シーは1900
年に死去し、教会の完成を見ることができませんでした
が、妻が事業を引き継ぎました。

フエン・シー夫妻は教会の裏手に埋葬されていて、月、
土曜には故人フエン・シー向けの礼拝もあります。

<レヴァンヤム>

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教会の正面に立つレヴァンヤム像

グエン王朝のキリスト教禁止政策に伴って、迫害を受け、
斬首や火あぶりの刑に処された殉職者はベトナムで96
人もいました。

そのなかの1人に聖職者レヴァンヤムもいました。彼は
1813年にトゥドゥックで生まれたビシネスマンで、シンガ
ポールからの漁船に乗って布教活動をしていました。

1846年不法行為によって逮捕、収監され、布教の撤
回をしなかったため、時の皇帝ティウチは1847年5月
11日に斬首を命じました。

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チョウクワン教会
チョウクワン教会

Nhà thờ Chợ Quán
愛称 Nhà thờ Thánh Tâm Chúa Giêsu(聖心会)
場所 120 Trần Bình Trọng, Q.5

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この教会はホーチミン市のチョウクワン地区にあり、南部ベトナムで最古の教会とされています。

1723年
ベトナムの北部や中部地方で迫害受けたベトナム人キリスト教徒は旧サイゴンのチョウクワン地区に避難してきて、キリスト教信者の村を形成し,小さな教会を建設します。

1834年~1859年
グエン王朝のキリスト教禁教政策によって迫害され、教会は放置されてきました。

1887年
フランスがベトナム植民地支配を確立すると、教会の修理、拡大の建設が信者によって始まり1896年の旧正月に完成します。

教会はゴチック建築で5つのベルを持ちます。旧正月には5つのベルが一斉に鳴り響きます。

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続きを読む
チーホア刑務所  更新
チーホア刑務所

越語  Nhà tù Chí Hòa
場所  No. 1 Hoa Hung, Q.10  サイゴン鉄道駅向かい

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サイゴンには1890年以来、「サイゴン中央刑務所」があ
りました。

第2次世界大戦が始まると、ベトナムでは共産主義者に
よるフランス植民地支配に抵抗する蜂起が秘密裏に画
策されます。

1940年11月23日
フランス植民地政府に反抗する南部ベトナムの人々の
一斉蜂起(ナムキーコイギア)が起こりました。しかし、この
蜂起は失敗に終わり、数多くの人々が逮捕され、「サイ
ゴン中央刑務所」は超過密状態になってしまいます。

そのためフランス植民地政府が新たな刑務所の建設を
許可したのが、「チーホア刑務所」です。設計は日本人
の建築家で五行八卦の思想に基づいています。

建設は1943年から始まりましたが、その後の戦局によ
り一時中断され、フランスがベトナム再侵略をしていた
1953年3月8日にすべてが完成します。

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チーホア刑務所の全景

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正面玄関

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所内廊下

完成後、サイゴン中央刑務所から約1600人の囚人が
ギロチンと共に移動してきました。

第2次世界大戦中にインドシナで従軍していた日本軍
兵士の数人も戦犯としてこの刑務所に収容されました。

1970年の芥川賞作家の古山高麗雄さんも、戦犯とし
てこの刑務所に拘置され、その時の経験を書いたのが
『プレオー8の夜明け』と言う書籍だそうです。

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古山高麗雄さん

その後ベトナム戦争が始まり、1975年にサイゴンが陥
落するまでは、主に共産党員などの政治犯が収容され
、拷問を受けました。

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ベトナム戦争中にこの刑務所に収容されていた女性達
の戦後の記念写真

ホーチミン市人民裁判所  更新
ホーチミン市人民裁判所

Toà Án Nhân Dân(人民裁判所)
Viện Kiểm Sát Nhân Dân(人民検察庁)  
場所 131 Nam Ky Khoi Nghia(ナムキコイギィア)

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統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)前を通るナム・キ
ー・コイ・ギア通りをサイゴン川に向かって歩くと、統一会
堂、ホーチミン市人民裁判所、総合科学図書館(旧サ
イゴン中央刑務所)と並んでいます。

人民裁判所と人民検察庁は同じ建物の中にあります。
この裁判所と検察庁は控訴審を担当する役所です。

建物は1881に建設が始まり、1885年に完成しまし
た。

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建設当初

フランスが南ベトナムを植民地にした時に、フランス植民
地政府は南ベトナムの地理を調べています。それらの資
料は現在の歴史博物館に蔵書されたのですが、その後
、この建物に一時保管されました。

裁判所の建物は中央郵便局に引けをとらない初期のフ
ランスコロニアル建築物で、左右に翼を広げた建物は建
設当初からの概観を保っています。

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1917年

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1928年

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現在①

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現在②

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現在③

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現在④

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現在⑤ 門柱

2015年現在は正門前に近代的な人民裁判所の高層
ビルが建築されています。

フランス海軍歩兵部隊兵舎 更新
フランス海軍歩兵部隊兵舎

植民地時代  La caserne de l'Infanterie de la marine
現在 大学やテレビ局
場所 トン・ドゥック・タン道路とレ・ユアン道路との交差点

トン・ドゥック・タン道路はレ・ユアン道路との交差点で終
了し、その先の道路はディン・ティン・ホン道路と呼ばれて
います。サイゴンがフランスの植民地だった頃は、トン・
ドゥック・タン道路はフランス海軍歩兵宿舎の正面ゲート
に突き当たり行き止まりになっていました。

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この兵舎はグエン王朝初代皇帝となったザーロン帝が
1790年にヤーロン(=サイゴン)地方の失地を回復した
ときにフランス技師の援助で建設したヤーロン城の跡地
で1873年に建設されました。

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建設当初

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正面ゲートが造られ、道路も整備されます

この兵舎にはフランス植民地軍第11連隊が駐屯しまし
た。

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兵舎の正門

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兵舎の公開日

兵舎内にはスポーツクラブが造られました。

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スポーツクラブ(=現在のホアルー競技場)

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クラブ内の食堂

1950年7月14日
兵舎前のノロドム道路(=レズアン)でフランス建国記念
日の軍事パレードが盛大に行われます。

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1954年以降
フランス軍隊の撤退後、正面ゲートを取っ払い、宿舎を
取り壊して直線道路を完成させ、ディン・ティン・ホン道
路となりました。

現在では歩舎も取り壊されて、医科薬科大学(Dai Hoc
Y Dược)、反対側には人文社会科学大学(Dai Hoc
Khoa Hoc Xa Hoi và Nhân Văn)とホーシミン市テレビ
局(HTV)が建設されています。

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2014年

フランス植民地軍士官クラブ 更新
フランス植民地軍士官クラブ

植民地時代 Cercle des officiers à Saïgon
         (サイゴン士官クラブ)
現在      Uỹ Ban Nhân Dân Q. 1
         (1区人民委員会)
場所 45-47 Lê Duẩn(レズアン) 中央郵便局隣

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現在

1876年
フランス植民地軍の士官の社交場及びレクリエーシュン
施設としてコーチシナ総督デュプレ提督(Marie Jules
Dupré )の時代にベクター将軍の配慮の下に建設が
始まり、1876年デュペール(Victor Auguste
Duperré)総督時代に完成しました。

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デュプレ総督

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デュペール総督

建築はコーチシナ政府の公共事業部門が請け負い、通
気性を高めるために周囲のベランダと高い天井が備えた
当時の典型的なデザインを残しています。建築材料には
フランスから運んだ白大理石が使用されました。

1階は集会場で2階には図書館、読書室、ビリヤード場
、バーがありました。

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1870年代の写真。中央の茅葺のような建物は建設中
のサイゴン大聖堂。端に小さく見えるのがノロドム宮殿で
す。

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1885年

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1900年代

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1920年代

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1929年

1955年~1975年
南ベトナム時代は司法省として機能していました。

1975年
サイゴン陥落後はホーチミン市1区の人民委員会
=市役所となります。

現在も当初の概観を維持していますが、2014年の
新聞報道によるとこの地に新行政センターの建築が
予定されています。

タオダン文化公園 更新
タオダン文化公園
1812年   Vườn ông Thượng
1926年  Jardin de la Ville
1954年   Công viên Tao Đàn
1975年   Công viên Văn hoá Tao Đàn

この公園の地域はザーロン城の西端にあたる場所でグ
エン王朝初代皇帝ザーロン帝の1812年、南部総鎮に
任命されたレヴァンズエットがオペラなどと楽しんだ区域
なので、庶民はこの区域をVườn Ông Thượngと呼んで
いました。Ông Thượngとは即ちレヴァンズエットを指して
います。
レヴァンズエットの死後、庭は荒廃しました。

フランスがサイゴンを占領した時、彼らはこの地に総督の
宮殿を建設すると共に、庭を再建します。

1869年 フランス統治時代
宮殿と公園を仕切るMiss Clavell(or Pépinières )道
路が完成し、公園の面積は90503m2となり、公園は
ジャーディンシティ(Jardin de la Ville)と名付けられま
すが、サイゴンの人々は旧名 Vườn Ông Thượng (ズエ
ット王の庭の意味)と呼び続けていました。

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その後は最初にこの公園の整備を手がけたフランス人
モロー(Moreau)に公園の管理が任され,公園内には
いろいろな建物が建っていきます。

1896年 Société philharmonique(越語Hội Hiếu
nhạc 音楽協会)⇒Quốc Gia Âm Nhạc Saigon(サイゴ
ン国立音楽院)⇒現Nhạc hành phố(私立音楽院)

1897年 Franc-maçonnerie(Hội Tam Điểm 
フリーメイソンのロッジ)⇒現 公安新聞社

1902年 Cercle Sportif Saigonnais(Câu lạc bộ Thể thao Sài Gòn
サイゴンスポーツクラブ)⇒現 Cung Văn hóa Lao động TPHCM
(ホーチミン市労働文化会館)
クラブにはサッカー場、テニスコート、プールが建設されま
す。特にサッカー場はサイゴンで国際試合ができる唯一
の施設でした。

1926年 Institut de puériculture(Viện Dục nhi 子
供のための野外教育訓練施設)⇒Bộ Y tế(南ベトナム
保健省)

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正面玄関

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音楽協会

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フリーメイソンのロッジ

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上流階級専用のサイゴンスポーツクラブ

当時、毎日曜日の公園はお祭り騒ぎで、フランス海軍の
歩兵部隊の楽団が演奏を行っていました。
フランス人居住者は人力車に乗って公園の周囲を散歩
して午後のひと時を過ごし、時には植物園や動物園の
ほうまでが散歩コースになっていました。

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フランス人の散歩

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1926年 子供達のキャンプが開かれます。


1954年  ベトナム共和国時代(南ベトナム)
フランスがベトナムから撤退することとなるとフランス総督
宮殿は南ベトナムの大統領府となり、公園の名前は
「タオダン公園」と改称され、周囲を取り巻く道路名も
改称されます。

Clavell⇒(Huyên Trân Công Chúa)
Đoàn Thị Điểm ⇒ (Trương Định)
Verdum⇒Lê Văn Duyệt ⇒(現Cách mạng tháng
Tám)
Chasseloupn-Laubat⇒Hồng Thập ⇒(現Nguyễn Thị
Minh Khai)
Tabert⇒(Nguyễn Du)

Institut de puéricultureはベトナム共和国保健省として
使用されます。

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南ベトナム保健省

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公園内には子供達専用の遊び場も確保されます。


1975年  サイゴン陥落後
タオダン公園は「タオダン文化公園」と改名され、道路名
も一部改称されます。
サイゴンスポーツクラブはホーチミン市労働文化会館と
改称され、一般人に解放されました。

<公園内の風景、モニュメント>
現在公園はスポーツ関連の施設区域と公園区域に
2分され、公園区域にはいろいろなモニュメントが建設さ
れています。
毎年旧正月前に花市が開かれるなど都心のオアシスと
して、また各種の展示会、スポーツ行事の会場として利
用されています。

公園区域

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正面はフン王記念堂

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盆栽は国民的文化です

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早朝の運動

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伝説上のベトナム建国王、フン王の記念堂
1992年に建設され、2011年に改築されています。

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チャム塔のミニチュア
なぜチャム塔が建てられているかは道路名Huyền Trân Công Chúa
に由来します。

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サボテンが観賞用として栽培されています。

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子供の遊び場


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ベトナム最初の国家機能を整えたディンボリン(Đinh Bộ Lĩnh)の銅像
この区域には多くの彫像が建てられています。

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公園内の古墳

スポーツ施設区域

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労働文化会館

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会館の隣には水上劇の劇場があります

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サッカー練習場

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テニス場

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室内プール入口


公園のグエンズ側にはフランスコロニアル風の建物が多く見られます

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右側のビルが旧音楽協会

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旧音楽協会隣のホーチミン市音楽院のコンサートホール

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公安新聞社

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迎賓館



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