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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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西沙諸島 永興島(ウッディー島)

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永興島は、珊瑚礁に囲まれた平坦な島で長さ1950m、幅
1350m、面積が2.1平方キロメートルある西沙諸島最大
の島で,平均海拔高度は5mあります。

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永興島は至る所に椰子の木が茂り、南国の花が咲き乱れ、
どこまでも純白で柔らかな砂浜が続く、熱帯ならではの風情
を持つ屈指の景勝地で、本土からの観光客も多く訪れます。

島には中国人民解放軍海軍、中国人民武装警察辺境部隊、
海南省三沙市の人民委員会の要員、建設労働者、入植者、
漁師らが定住しています。
島内には航空海事軍事基地がおかれ、中国の南海諸島
(西沙、中沙、南沙諸島)支配の中心になっていて、現在で
はインフラも整備されています。
毎月生活必需品や建設資材等が本土から送られてくる船が
港に入港すると、島に定住している人々は2日間休日となり、
荷物の運送を手伝います。この2日間はお祭り騒ぎになります。
飲料水や洗濯などの生活用水には雨水が利用されていま
す。

(領有の歴史)
1946年9月,日本の領有権放棄により、中華民国(台湾)
が軍艦“永興号”を派遣して島を接収し、11月24日には
「海軍收復西沙群島紀念碑」と書かれた領土回復の記念碑
を建立します。
島の名は“永興号”に因んでいます。

1955年、アメリカの支援の下、南ベトナム共和国が島の西
半分を占領し、中国との対峰が続いていました。

1974年、中国が南ベトナムとの西沙諸島海戦で勝利して
以降、中国が実効支配しています。

1977年、全島の支配を確立した中国は領有の記念碑を建
立します。

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2012年、中国国務院が三沙市の設置を承認し、市政府所
在地は永興島に置くと発表しました。

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市政府ビル

(施設)
1991年島からはみ出した2700mのコンクリート製滑走
路(軍用,民用共同)が完成し、ボーイング737機も発着で
きます。

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16 (2)

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同時に800mの桟橋も完成し、5000トンクラスの船も横付
けできます。

海南島三沙市からフェリーでこの島を訪れる観光ツアーが
催行されています。

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永興島への乗船切符


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交通機関のほか、日常生活に必要な建物も建築済み
です。
公安派出所、西沙海事局、中国工商銀行西南中沙群
島支店、人民病院、西南中沙群島郵便局、西沙ホテ
ル、百貨店、中央人民放送局、海南FMラジオ局、海
軍西沙海洋博物館、海南図書館西沙支局、西沙軍史
館、気象台、西沙海洋科学実験所。

29 )
フランスが占領していた時代に建設された気象台

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気象台の建物

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通信会社


歩道や芝
生などの自然環境も整備され本土からの
観光客の受け入れ態勢を整えています。

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西砂諸島(パラセル諸島)
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12 (400x307)

西砂諸島は、海南島の南東部から約334Km離れた所に位
置し、永楽群島と宣徳群島を主として、22の小島、7つの砂
浜、10の浅瀬と暗礁が含まれます。

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西砂諸島近海はマグロ、サワラ、サメ、ハタなどの水揚げや
海ガメ、ナマコ、真珠、鮑などの海産物を捕獲する中国の重
要な熱帯漁場となっています。


(領有の歴史)

中国漢朝時代、文学書に永興島の記述があるそうです。

中国隋朝時代、西砂諸島を経由してマレーシアに使節を派
遣。

中国唐朝時代、高僧義浄が西砂諸島から出発してインドに
到着。
『旧唐書』(中国の史書)によると、唐朝の時代、海南島とそ
の南部及び海域は中国が管轄し、古代から「千里長砂」と呼
ばれ、陶器やシルク、香料などを満載した商船の航路、「海
上のシルクロード」になっていた。

中国宋朝、 永興島へパトロール船が出動していた。

中国元朝 、郭守敬が永興島で天文観測行う。

中国明朝、 鄭和が島に標注を建立する。

中国清朝、 海軍は西沙諸島を調査し、清朝のフラッグを島
に建てた。

1926年、ベトナムを支配したフランスインドシナ連邦が永
興島調査し、1932年 に占拠し、1938年には常駐部隊を
置きます。

1939年3月20日、日本軍が西沙諸島を占領。

1946年9月,日本の領有権放棄により、中華民国(台湾)
が軍艦“永興号”を派遣して永興島を接収します。11月24
日には「海軍收復西沙群島紀念碑」と書かれた領土回復の
記念碑を建立します。
島の名は“永興号”に因んでいます。

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記念碑

1950年5月8日、海南島での国共内戦で中華民国軍は永
興島に敗走し、5月13日に大陸の武装した漁民が解放軍
の支持の下に宣德群島(西沙諸島の東半分)を制圧しまし
た。

その後、ベトナムが南北に分断し、1955年10月、ベトナム
共和国が成立すると、アメリカの支援の下に永樂群島(西沙
諸島の西半分)を占拠し、1974年まで両群島の海を隔て
て、中国軍と対峙する状態が続きます。

1958年9月4日、ベトナム民主共和国(北ベトナム)首相フ
ァム•ヴァン•ドンは、中国政府への手紙の中で西沙と南沙諸
島の領有権は中国にあると認めています。

1974年1月  西沙諸島の戦い
ベトナム戦争末期に中国共産党軍は永樂群島(西沙諸島西
半分)に侵攻して南ベトナム軍の護衛艦1隻を撃沈、排除し、
西沙諸島全体を占領、その後、現在まで西沙諸島は中華人
民共和国の実効支配下にあります。

1988年には中国は西沙諸島永興島に2600mの滑走路
と港を建設、永興島を南シナ海支配の戦略拠点とし、同年、
中国軍はベトナム支配下にある南沙諸島にも侵攻しました。

2006年7月15日、中国交通部は西沙諸島永興島に救助
船“南海救111”を派遣して救助基地を建設します。

2012年6月21日中国は西沙群島、南沙群島、中沙群島が
中国の領土であることを議会決議します。

2012年9月3日、中国共産党の機関紙「人民日報」海外版
は、中国国家海洋局が西沙諸島、スカボロー礁(黄岩島)と
尖閣諸島の周辺海域を人工衛星や航空機で遠隔監視する
「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込んだ
と報じました。

現在も中国が実効支配していますが、ベトナムと台湾も領
有権を主張しています。

主な島には永興島(ウッディー島)、中建島(トリトン島)、趙
述島(ツリー島)があります。


<西沙諸島の戦い>
1974年1月15日- 20日
結果  中国が勝利し、西沙諸島全域を実効支配

(武力衝突の背景)
西沙諸島の戦い(Hải chiến Hoàng Sa)は、1974年1月に、
西沙諸島の領有権を巡って中国海軍と南ベトナム海軍が交
戦した武力衝突。

海戦により中国艦隊が南ベトナム軍艦1隻を撃沈し、南ベト
ナムが支配していた島嶼に部隊を上陸させて占領した。

南シナ海の西沙諸島は、第一次インドシナ戦争後、中国と
南ベトナムが領有権を主張して領土問題が生じていた。中
国が西沙諸島の東部(宣徳群島)を、南ベトナムが西部のさ
んご礁(永楽群島)を実効支配していました。

1971年には中国軍が西沙諸島に艦隊を派遣し、多数の施
設の建築を行って軍事的緊張が高まったことがあった。

1974年、当時の南ベトナムはベトナム戦争末期で追いつ
められた状況にあった。前年のパリ和平協定に基づき
アメリカ軍は南ベトナムから全面撤退し、わずかな軍事顧問
が残る程度になっていました。南ベトナム海軍は、アメリカから
供与された旧式艦を主体とし、護衛駆逐艦など比較的大型の
艦艇は保有していましたが、実戦経験に乏しく練度も高いと
は言い難かった。

中国側も文化大革命の混乱期ではあったものの、海軍の近
代化が進みつつあった。中国海軍の主力艦艇はソ連から供
与された駆逐艦や潜水艦であったが、1960年代後半から
小型艦艇の国産化を実現していた。西沙諸島はベトナム本
土よりも中国本土に近く、中国側航空部隊の作戦圏内に収
まっていた。

1974年1月11日、中国政府は、西沙諸島が自国領土であ
ることを改めて主張する声明を発表した。この発表の意図
は、前年9月に南ベトナム政府が、同じく中国と係争中の
南沙諸島についてベトナムへ編入する旨を発表したことに
応じて、対抗措置を講じることにあった。
従来からの中国政府の主張を確認するものではあったが、
島嶼そのものだけでなく周辺海域の支配権にまで言及した
点で新しく、大陸棚資源を確保しようという戦略的な狙いが
明らかにされていた。

(戦闘経過)
1月15日、南ベトナム海軍の哨戒艦「リ・トン・キェト」が、西
沙諸島を哨戒に訪れた。すると永楽群島の甘泉島(ロバー
ツ島)に中国国旗が掲揚されており、沖に中国の大型漁船
「402号」と「407号」が碇泊しているのを発見した。「リ・ト
ン・キェト」は中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙
って威嚇射撃を行った。

1月17日、中国と南ベトナム双方は増援部隊を現地に派遣
した。
南ベトナム軍は、護衛駆逐艦「チェン・チン・ユー」と哨戒艦
「チェン・ピン・チョン」に歩兵を乗せて派遣、甘泉島と金銀島
に展開させた。

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南ベトナム軍艦「チェン・チン・ユー」

中国軍も、駆潜艇「271号」「274号」に歩兵1個小隊ずつ
を乗せて送り、普卿島(ドイモン島)・深航島(ダンカン島)・広
金島(パーム島)を占領するほか、艦艇や航空機を出動させ
た。

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中国海軍の駆潜艇

1月18日、南ベトナムは哨戒艇「ヌータオ」を増派し、永楽
島付近を警戒させた。

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ヌータオと同型艦

中国側は駆潜艇「281号」「282号」と輸送任務の掃海艇
「389号」「396号」も派遣して、駆潜艇4隻・掃海艇2隻の
態勢となっていた。中国側漁船2隻も依然として周辺海域に
とどまっており、南ベトナム艦艇に体当たりを繰り返していた。

1月19日午前7時40分、南ベトナム軍40人が中国軍が占
拠していた広金島に上陸を開始し、同島の中国軍と銃撃戦
となった。中国艦隊の駆潜艇と掃海艇が駆け付け、午前8
時頃から両軍艦艇がお互いに進路妨害や体当りを始めた。

午前10時22分、南ベトナム艦隊が発砲し、ついに本格的
な交戦状態となった。南ベトナム艦隊は「チェン・チン・ユー」
と「チェン・ピン・チョン」が隊列を組み、他の2艦はバラバラ
で行動した。「ヌータオ」と中国側掃海艇2隻は激しい接近戦
となり、「ヌータオ」と中国掃海艇「389号」がいずれも浸水・
炎上した。

1時間足らずの交戦で南ベトナム艦隊は次々と損傷し、バラ
バラに戦場離脱を図った。中国側は12時過ぎにさらに駆潜
艇2隻が到着しベトナム艦を追撃した。低速の「ヌータオ」は
逃げ切れず、中国艦隊の集中攻撃を浴び、午後2時52分
に西沙諸島西部海域で沈没した。

午後1時30分、永楽島に3個歩兵中隊・1個偵察中隊の中
国軍部隊が上陸して占領した。 翌1月20日には、金銀島
など3島にも中国軍が上陸し、航空機の援護の下で占領し
た。

西沙諸島から南ベトナムの勢力は追い払われ、完全に中国
の実効支配下に置かれることになった。

漁船を突出させて紛争を引き起こす中国の常套手段が成
功する形となった。中国軍は永興島に4階建ての建物や
ヘリポートを整備し、戦車部隊やミサイル艇を駐留させる
など要塞化を進めた。

ベトナム戦争終結後、ベトナム社会主義共和国政府は、中
国に対して西沙諸島の領有権を主張して外交交渉を求めた
が、中国政府は応じていない。

1988年には2600mの本格的な滑走路を有する飛行場ま
で完成させ、南シナ海支配の戦略拠点としている。>
東沙諸島(プラタス諸島)


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南北約80km、海域面積約5000平方メートルの東沙諸
島は、東沙島、北衛灘、南衛灘及び周辺の環礁により構
成される小島群で南海諸島の北限を形成しています。

北衛灘、南衛灘は満潮時には水没してしまうので、国際法
上は「島」とは認定されていません。


(東沙諸島の領有の歴史)

古くは明代の記録に現れるとされ、これをもって中国人に
よる東沙諸島の開発と経営の開始であるとされています。

1730年
清が東沙諸島を版図に編入し、広東省の管轄とし、わず
かな漁民が居住していました。

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東沙諸島の中心島、東沙島に立てられている石碑。
この石碑の下に中国海軍がこの地域を支配していた歴史
が書かれています。

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清国の江南水師学堂。教師の多くは英国人でした

1901年
玉置某が日本外務省に無人島の所属伺いをしています。

1907年8月12日
日本人西澤吉治他2名が入植し事業を始め、日本領台湾
への編入を申請します。

1909年
広東省水師提督の李準が東沙諸島を訪れ、日本政府へ
抗議をし、日本は清と「東沙島引渡ニ関スル取極(交還東
沙島條款)」を交わし、東沙諸島最大の島である東沙島の
施設を38万円で清に売却、東沙島に対する清の領有権
を確認します。李準は領有を示す建築物、碑、廟などをこ
の島に建設しました。

第二次世界大戦時には日本軍が占領し、施設を置きまし
たが、敗戦後の1945年には中華民国政府が広東省の
海南特別行政区の管轄に戻しました。

1949年10月
中華民国政府が台湾に遷都すると、高雄市の管轄へと
変更されますが、中国(中華人民共和国)も広東省の管轄
とし、主権を主張します。

2007年1月17日、中華民国は東沙環礁を国家公園に指
定します。

2008年2月10日、陳水扁台湾総統が東沙島を視察。

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2008年4月
陳水扁政権の一連の動きに繰り返し抗議していた中国は
台湾の総統選挙で内政が激しく対立していた隙をついて
東沙島からわずか1Kmの海上に大量の中国漁船団を向
かわせ、貨物廃船を使った2万8千平方メートルの漁船基
地を構築します。

30人が常駐可能な簡易基地が突如出現したことは台湾
国民に衝撃を与え、基地は海巡署員らによってただちに
撤去されました。

中国よりの発言や政策を提唱して当選を決めていた馬英
九次期総統は、弱腰外交姿勢を厳しく糾弾されて自身の
発言や政策の修正を余儀なくされます。

2008年9月10日
馬英九台湾総統が東沙島を視察します。

2010年7月
公園管理事務所を開設してサンゴなどの環境保全に努め
ています。

2010年9月
東沙島が外国メディアに外国メディアに公開され、軍や海
岸巡防署および海洋研究の関係者が、100人以上常駐し
ていると報道されました。

2012年現在
東沙諸島は台湾が実質上統治し、東沙環礁国家公園に
指定されていて、海岸巡防署が管理しています。

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中国も領有権を主張していますが、現在、紛争は起きてい
ません。


<東沙島>

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東沙島
左側の島が東沙島で、滑走路があります。右側の環礁は
満潮時に水没してしまいます。

東沙島は東西2800m、南北865m、陸地面積約1・74
平方キロメートル、東沙諸島最大の島で、島には淡水があ
り、電気は太陽光発電を利用しています。
現在は台湾の国家公園になっていて、一般には公開され
ていませんが、島にはダイビングショップがあるので、許可
が必要かもしれませんが、一般人のダイビングも出来るよ
うです。

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ダイバーには随喜の涙です

東沙空港
台湾の立栄航空が毎週木曜日に高雄国際空港から1便
運行しています。また、中華民国空軍のC-130輸送機が
補給のために飛来しており、空港は島と本島を連絡する
重要な交通手段となっています。
滑走路は日本軍が占領していた時代に造られました。

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観光地
東沙大王廟(日本人西澤吉治廟)、東沙島地籍測量紀念
碑、東沙図書館(20500冊)、長青亭、台湾軍東沙公墓な
どがあります。

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東沙大王誌

00  南海諸島
南シナ海の南海諸島シリーズを数回にわたり掲載します。記事・
写真は日本語WEBと中国語WEBをまとめたものです。南シナ海
の情勢は東シナ海の尖閣諸島での中国の動向と関連しています。

00  南海諸島

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南シナ海は、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、
インドネシア、ベトナムなどに囲まれた海域で、南海諸島は、
南シナ海の南北約1800km、東西約900kmの範囲にある
250を越える1平方km以下の島々、環礁、岩礁、浅瀬、暗
礁、砂州の総称で、4つの群島から成り立っています。

1.東沙諸島(プラタス諸島:Pratas Islands)
2.西沙諸島(パラセル諸島:Paracel Islands)
3.中沙諸島(マクルスフィールド諸島:Macclesfield Islands)
4.南沙諸島(スプラトリー諸島:Spratly Islands)

南海諸島のいくつかの島には漁民などの一般人が定住して
いますが、多くの島は人間が生活するには小さすぎる無人
島で16世紀までは誰も関心を抱きませんでしたが、その後、
西洋列強が中国やインドシナ半島を植民地にすると、各国
の東洋艦隊が島を利用し、南シナ海は西洋や中東、インド
からベトナムに寄航して中国にいたる貿易路として重要な航
路となり、現在に至っています。

第2次世界大戦が始まると、日本軍は資源確保の為、南シ
ナ海に軍事基地の建設や資源の輸送路として南海諸島の
海域全体を領有を宣言します。

日本が敗戦し、1951年の「サンフランシスコ講和条約」によ
って南海諸島の領有を放棄すると、最初に南海諸島海域に
軍艦4隻を派遣して占有の意思表示をしたのは中華民国
(台湾)でした。
講和条約で南海諸島の帰属が明記されなかったため、現在
では周辺各国が領有権を主張して紛争の火種になっていま
す。

南シナ海と各国主張の境界線

13 (400x400)

さらに1970年後半にこの海域で海底油田や天然ガスの埋
蔵が確認されると周辺各国の経済成長に伴い、領有権争い
が激化し、各国は「国連海洋法条約」の規定に基づいて、海
岸線から200海里の排他的経済水域(EEZ)を主張するよう
になり、軍事衝突も発生するようになります。

現在は周辺各国が群島毎あるいは群島の島毎に実効支配
をしていますが、特に中国が南海諸島海域への進出を強化
し、周辺各国との紛争が発生しています。

紛争の原因は周辺各国の現状によって中心課題がぶれま
すが、次の3項目となっています。

1)海域に存在するといわれる石油や天然ガス、鉱物資源
の確保。
2)石油をはじめとする海上交通路(シーレーン)の確保。

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15 (400x300)

3)軍事戦略上のエリアの確保

南海諸島の詳細 < >内は主要な島
1.東沙諸島
▪ <東沙島> ▪ 東沙礁 ▪北衛灘 ▪南衛灘 ▪ 北水道 ▪
南水道
2.西沙諸島
永楽群島(西半分)
▪ 甘泉島▪ 珊瑚島▪ 金銀島▪ 琛航島▪ 広金島▪ 晋卿島
▪ 银屿▪ 羚羊礁▪ 华光礁▪ 玉琢礁▪ 盘石屿▪< 中建島>
▪ 北礁▪ 筐仔沙洲▪ 全富島▪ 鸭公島▪ 银屿仔▪ 咸舍屿▪
石屿

宣德群島(東半分)
▪ 西沙洲▪<趙述島>▪ 北島▪ 中島▪ 南島▪ 東島▪ 北沙洲▪
中沙洲▪ 南沙洲 ▪<永興島>▪ 石島▪ 银砾滩▪ 西渡滩▪
北边廊▪ 高尖石▪ 湛涵滩▪ 滨湄滩▪ 东新沙洲▪ 西新沙洲▪
浪花礁▪ 嵩焘滩▪ 老粗門▪ 全富門▪ 银屿門▪ 石屿門▪
晋卿門▪红草門▪ 赵述門▪ 甘泉門▪ 七连屿


3.中沙諸島
西門暗沙▪ 本固暗沙▪ 美滨暗沙▪ 鲁班暗沙▪ 中北暗沙▪
比微暗沙▪ 隐矶滩▪ 武勇暗沙▪ 济猛暗沙▪ 海鸠暗沙▪
安定连礁 ▪ 美溪暗沙▪ 布德暗沙 ▪ 波洑暗沙▪ 排波暗沙▪
过淀暗沙▪ 排洪滩▪ 涛静暗沙▪ 控湃暗沙▪ 华夏暗沙▪
石塘连礁▪ 指掌暗沙▪ 南扉暗沙▪ 漫步暗沙▪ 東西暗沙▪
屏南暗沙▪ <黄岩島> ▪ 宪法暗沙▪ 一统暗沙▪ 神狐暗沙▪
中南暗沙 ▪ 北岩▪ 南岩

4.南沙諸島
双子群礁
北子島▪ 南子島▪ 贡士礁▪ 北外沙洲▪ 奈罗礁▪ 東南暗沙▪
東北暗沙▪ 北子暗沙
中業群礁
<中業島>▪ 渚碧礁▪ 東斯暗沙▪ 永登暗沙
道明群礁
双黄沙洲▪ 南钥島▪ 杨信沙洲▪ 库归礁
郑和群礁
<太平島>▪ 敦谦沙洲▪ 舶兰礁▪ 安达礁▪ 鸿庥島 南薰礁
九章群礁
西門礁▪ 東門礁▪ 安乐礁▪ 长线礁▪ 主权礁▪ 牛轭礁▪
染青东礁▪ 染青沙洲▪ 龙虾礁 ▪ 扁参礁▪ 漳溪礁▪ 屈原礁▪
琼礁▪ <赤瓜礁>▪ 鬼喊礁▪ 华礁▪ 吉阳礁▪ 景宏島▪ 南門礁▪
康乐礁▪ 小现礁▪ 大现礁
尹庆群礁
中礁▪ 西礁▪ 东礁▪ 华阳礁
北康暗沙
盟谊暗沙▪ 海康暗沙▪ 义净礁 ▪ 法显暗沙▪ 北安礁▪
康西暗沙▪ 南安礁▪ 南屏礁
南康暗沙
海安礁▪ 隐波暗沙▪ 澄平礁▪ 海宁礁▪ 琼台礁▪ 潭门礁▪
欢乐暗沙
其他
福禄寺礁 ▪ 逍遥暗沙 ▪ <南威島> ▪ 日积礁 ▪ 奥援暗沙▪
南薇滩 ▪ 蓬勃堡 ▪ 奥南暗沙 ▪ 金盾暗沙 ▪ 广雅滩 ▪ 人骏滩 ▪
李准滩▪ 西卫滩 ▪ 万安滩 ▪ 安波沙洲 ▪ 隐遁暗沙 ▪ 海马滩 ▪
蓬勃暗沙 ▪ 舰长礁 ▪ 半月礁 ▪ 保卫暗沙 ▪ 安渡礁 ▪ 弹丸礁 ▪
皇路礁 ▪ 南通礁 ▪ 曾母暗沙 ▪ 礼乐滩 ▪ 忠孝滩 ▪ 神仙暗沙 ▪
仙后滩▪ 莪兰暗沙 ▪ 紅石暗沙 ▪ 棕滩 ▪ 阳明礁 ▪ 东坡礁 ▪
安塘滩▪ 和平暗沙 ▪ 费信島 ▪ 马欢島 ▪ 西月島 ▪ 北恒礁 ▪
恒礁▪ 伏波礁 ▪ 孔明礁 ▪ 仙娥礁 ▪ 美济礁 ▪ 信义礁 ▪
仁爱礁▪ 海口礁 ▪毕生礁 ▪ 南华礁 ▪ 南海礁 ▪ 息波礁▪
破浪礁 ▪ 玉诺礁 ▪ 榆亚暗沙 ▪ 金吾暗沙 ▪ 校尉暗沙 ▪
南乐暗沙 ▪ 司令礁 ▪ 都护暗沙 ▪ 指向礁 ▪铁峙礁 ▪
铁峙水▪ 梅九礁▪ 铁线礁 ▪ 长滩 ▪ 蒙自礁 ▪ 泛爱暗沙▪
永暑礁 ▪ 火艾礁 ▪ 火星礁 ▪ 大渊滩 ▪ 五方礁 ▪ 五方尾 ▪
五方南▪ 五方西 ▪ 五方北▪ 五方头 ▪ 浔江暗沙 ▪ 半路礁 ▪
南方浅滩 ▪ 宝滩 ▪ 东华礁 ▪ 彬礁▪ 安塘礁 鲎藤礁 ▪
巩珍礁 ▪ 雄南礁 ▪ 雄南礁▪礼乐南礁 ▪ 紫滩 ▪ 勇士滩 ▪
三角礁 ▪ 禄沙礁▪ 仙宾礁 ▪ 钟山礁 ▪ 立新礁 ▪ 牛车轮礁 ▪
片礁 ▪ 双礁 ▪ 石龙岩 ▪ 乙辛石▪ 无乜礁▪ 六门礁 ▪ 石盘仔▪
二角礁 ▪ 浪口礁▪ 线头礁▪ 普宁暗沙▪ 簸箕礁▪
光星礁▪ 光星仔礁 ▪ 柏礁 ▪ 单柱石▪ 鸟鱼锭石▪ 康泰滩▪
朱应滩▪碎浪暗沙▪ 常骏暗沙▪ 中水道 ▪ 南华水道



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