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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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リバーサイドホテル
Riverside Hotel
トンドゥックタン通り

11
ホテル正面

1954年 フランスはディエン・ビエン・フーの戦いで大敗を
帰してベトナムから撤退していきますが、このホテルの完成
が1954年ですので、フランス植民地政府の最後の建築物
となります。

12_20121127204952.jpg
外壁に彫刻を施すような優雅な建築物は、これ以降、もう
サイゴンでは見られません

このホテルにはもう一つ大切な歴史的事実を表象するもの
が残っています。

13
「SAIGON CONG THUONG NGAN HANG」つまり(サイゴン銀
行広場)の意味です。
このホテルの前の通りは植民地時代には「ベルギー」通りと
呼ばれで、ここからベンゲ運河沿いには、上海と同じように
いわゆるサイゴンの「バンド」(河川に沿って建築された一大
金融街)でした。
その名残がこの看板です。現在のサイゴンの金融街も
「バンド」を引き継いでいます。

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フランスの中国清朝、ベトナムグエン王朝との条約
フランスの中国清朝、ベトナムグエン王朝との条約


=====================================

A-1. 南京条約(清朝) 1842年8月29日(アヘン戦争)
A-2.虎門寨追加条約(清朝)  1843年10月18日(アヘン戦争)
B-1. 天津条約(清朝)     1858年6月27日(アロー戦争)
B-2. 北京条約(清朝)     1860年10月25日(アロー戦争)
C. 第一次サイゴン条約    1862年6月5日(サイゴン侵略)
D. 第二次サイゴン条約    1874年3月5日(ガルニエ事件)
E-1. アルマン条約(仮条約) 1883年8月25日(トンキン再侵略) 
F-1. 天津停戦協定(清朝) 1884年5月11日(清仏戦争)
E-2. パルノートル条約(本契約)  1884年6月6日(トンキン再侵略) 
F-2. 天津条約(清朝) 1885年6月9日(清仏戦争)

==============================================

<条約の内容>

A-1. 南京条約(清朝) 1842年8月29日(アヘン戦争)
1. 香港島割譲
2. 賠償金2100万ドルを4年分割で支払う
3. 広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港
4. 公行の廃止による貿易完全自由化



A-2.虎門寨追加条約(清朝) 1843年10月18日(アヘン戦争)
南京条約の不明確な内容を明確にした。
1.清朝は、広州、福州、廈門、寧波、上海の五港を開港し、イギリ
  ス商船による通商を認める。
2.イギリス人は五港の定められた地域の中で、家屋または土地を
  租借し居住することが出来る。
3.イギリス商人の内地旅行を禁止する。
4.双方の関税は、以後両国の共同の協定によって決める。
  (関税自主権の喪失)。
5.イギリス人が犯罪を犯した場合、イギリスの官憲が逮捕、清朝と
  協議の上にイギリス官憲が共同調査する。すなわち領事裁判権
  を認める。
6.もし清朝が他国との条約で有利な条件を他国に与えた場合、
  イギリスにも同一条件を認める。
  すなわち清朝は片務的最恵国待遇を負う。



B-1. 天津条約(清朝) 1858年6月27日(アロー戦争)
1. 軍事費の賠償(イギリスに対し400万両、フランスに対し200万両の銀)
2. 外交官の北京駐在
3. 外国人の中国での旅行と貿易の自由、治外法権
4. 外国艦船の揚子江通行の権利保障
5. キリスト教布教の自由と宣教師の保護
6. 牛荘(満州)、登州(山東)、漢口/九江/鎮江/南京(長江沿岸)、台南/淡水(台湾)、潮州(広東省東部)、瓊州(海南島)の10港を開港する
7.  公文書における西洋官吏に対して「夷」(蛮族を指す)の文字を使用しない



B-2. 北京条約(清朝) 1860年10月25日(アロー戦争)
1. 英仏への800万両の賠償金の支払い(天津条約で課せられた
額600万両より増額)
2. 天津条約の実施(北京への外交官の駐留等)
3. 天津の開港
4 . 清朝による自国民の海外移住禁止政策の撤廃と移民公認が定
められた。
5.清朝が没収したフランスの教会財産の返還する



C. 第一次サイゴン条約(壬戌条約)1862年6月5日(サイゴン侵略)
1.ザディン、ビエンホア、ミトー(ディンツォン)3省とコンダオ島を割
  譲する。
2. フランス及びスペイン両国民によるキリスト教布教の自由を認
  める
3.ツーラン(ダナン)・バラット・クァンイエンの開港し、自由に通商
  することを認める。
4. メコン川の通商・航行の自由を認める。
      5. フランス,スペイン両国に対して,10年間に400万弗(2千万
        フラン)の賠償金を支払う。
以上の内容などを含む全12項目が定められた。



D. 第二次サイゴン条約(甲戌条約)1874年3月5日(ガルニエ事件) 
フランスは左の事頃を承認した。
1.アンナン、トンキンの独立を承認する
2.その領土保全及び国内秩序維持のために必要な援助をなす
3.トンキンに軍艦5隻,大砲100門,小銃1000挺を無償供与す
  る
4.アンナンの軍隊,艦隊,財政及び教育再建のために,必要な士
官,技術者及び教援を派遺する

フエ政府は左の事項を承認した。
1.フエ政府は対外政策をフランスの政策に一致させる。
2.コーチシナ6省に対するフランスの完全な主権を承認する。
3.カトリックの布教及び信仰の自由を認める。
4.キノン,ハイフォン,ハイノの海港及びソンコイ河航行の自由を
   認める。
5.各地における領事館の設置及び護衛兵の駐屯を認める。



E-1. アルマン条約(仮条約) 1883年8月25日(トンキン再侵略) 
1.安南がフランスの被保護国であること
2.安南地方は関税、土木を除き阮朝皇帝によって統治されること
3.首都フエにはフランス理事官を置くこと
4.北部のタインホア(清化)、ゲアン(乂安)、ハーティン(河靜)の
  3省をトンキンに編入すること
5.トンキンは保護領として実質的にフランスの管理下に置くこと
6.南部のビントゥアン(平順)をコーチシナ植民地に割譲する
  


F-1. 天津停戦協定(フルニエ協定 清朝)  1884年5月11日(清仏戦争)
基本は停戦協定で3カ月以内の批准が必要であった。
1.清朝軍のトンキン(北部ベトナム)からの撤退
2.トンキンと中国南部の国境を画策し、中国南部の外的からの侵
  略に対しては、フランスが対処し、安全を保障する。
3.フランスは清朝に対する賠償金請求を放棄する見返りとして中
  国との貿易、商業活動に対して便益を与えること



E-2. パルノートル条約(甲申条約)1884年6月6日(トンキン再侵略)
アルマン条約の確認と追加条項
1.安南国はフランスの保護権を承認し,フランスはすべての対外
  関係で安南国を代表する
2.フランス軍隊は永久にユエ河岸の中城を占領し,且つフランス
  官憲は安南国及びトンキンで保護の実施を確保するために必要
  と認めた地点に,軍事的占領をなしうる。
3.キノン,ツーランを各国通商のため開放する。
4.フランスの統監はフランス政府を代表し・安南国の対外関係を統
  轄し・保護権を確保する。
5.フランス監督官を主要な都市に配置し,且つこれに適当な護衛
  兵をつける。
6.安南国及びトンキンにおけるすべての外国人の裁判はフランス
  国の裁判管轄に属する。 (治外法権)
 右の条約は1885年6月天津条約によって,清国政府の正式承
 認をうけた。




F-2. 天津条約  1885年6月9日(清仏戦争)
1. 清朝はベトナムをフランスの保護国として承認する
2. ラオカイとランソン以北にそれぞれ通商港を開港する
3. 清朝が鉄道を敷設する際にはフランスの業者と商議する
4. フランスは基隆、澎湖島から撤退する



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