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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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コンチネンタル ホテル 更新1

CONTINENTAL HOTEL SAIGON
住所 132-134 Dong Khoi Street, District 1

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市民劇場正面に向かって左側にあるフレンチコロニアル様式のホテルで
ベトナム最古のホテルとして1880年開業しました。

このホテルの構造的な魅力は中庭、(Patio パティオ)があることで、
創業当初からの大木を見ながら、あるいは大木の傍で食事が出来ます。

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中庭にあるレストラン

正面玄関脇にはオープンテラスがあり、ドンコイ通り側にも開放的な
CafeShopがあり、ベトナム戦争中には多くのジャーナリストが利用しました。

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オーペンテラス。ポーターの制服もフランス植民地時代のもの


<コンチネンタルホテル>の歴史

現在、国営のサイゴンツーリスト社が保有しているコンチネンタルホテルは、
1880年家財道具製作会社を経営していたフランス人Pierre Cazeauが
オーナーとなり、サイゴンのランドマークとして1880年9月27日に完成
したベトナムで最古のホテルです。

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植民地時代のパンフレット

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開業当初は「コンチネンタルパレス」と呼ばれていました

開業当初はまだホテル前の市民劇場もホーチミン市人民委員会もなく、
サイゴン大聖堂が完成したばかりで、ドンコイ通りには馬車が走ってい
ました。

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当時の贅を尽くして建てられたホテルには、フランス人将校や高級官僚
をメインに、アンコールワットや香港、日本へ観光に行く途中でサイゴン
に立ち寄った贅沢な観光客が宿泊しました。

1911年にはフランスの有名プレイボーイ Duke De Montpensier が、
アンコールワットへ行くためにベトナムへやって来た時に、このホテルが気
に入り買い取ってしまいます。

20年後の1930年、ミトー(My Tho)にすむ地主、Le Van Mau
(Corsican family)がMontpensier からホテルを買受け、義理の息子
であるフランス人Mathieu Franchiniに経営させませた。
ホテルはリニューアルされ、テラスに座ってサイゴン川からの新鮮な空気を吸い、
ワインや紅茶を飲む豊かな人々で、ホテルは絶頂期を迎えます。

Mathieu Franchini の息子 Philipe は1964年にベトナムを離れるまで、
このホテルを経営ていました。

この時代に有名なフランス人作家で革命家でもあった Malreaux や著名
なインド詩人の Ranbindranath Tagore なども滞在しました。

1940年に第2次世界大戦が勃発するとTime社やNewsweek社などア
メリカの雑誌社がこのホテルにプレスセンターを設置します。

ベトナム戦争が始まると各国の記者がこのホテルの1階の
「Continental Shelf」を呼ばれたオープンテラスバーに集まりニュース
を世界中に流します。

記者たちが滞在先に、このホテルを選んだのは南ベトナムの国会(現在
の市民劇場はこの頃下院国会として使用されていました)に近いからで、
当時このホテルは“Radio Catinat”と呼ばれました。

ベトナム戦争の間、英国人作家、Graham Greene が、フランス統治の影が
アメリカの存在に弱められていく様子を描いた"The Quiet American"
の作品を214号室で執筆しています。この作品は2001年に映画化されて
います。

1975年4月30日のサイゴン陥落以降、新政府に接収され、1976年から
1988年まで閉鎖されていました。

その後1986年に国営サイゴンツーリスト社の所有となり、昔のデザイン
を再現して大改築が行われホテルの創業から100年経って昔の栄光を
取り戻しました。

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南北統一後には Giscard D'Estaiing元フランス首相やJacques Chirac
元パリ市長も宿泊しています。

正面入口内の左右には創業時のホテルの写真が飾られています。

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メリン広場の銅像

「メリン」とは北ベトナム北西に位置する地名です。ベトナム建国の伝説ではフンヴン王(雄王)が統治した場所と推定されています。

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西暦40年にハイバチュンが反乱を起こし、3年間ベトナムを統治した時も「メリン」に都をおきました。

そして、フランスがダナン攻略を諦めサイゴンを攻略した時も、現在サイゴンで「メリンポイント」と呼ばれている場所に上陸し、ヤーロン城を攻め落としました。

サイゴンの「メリン」広場はルネッサンス・リバーサイド・ホテルの前にあります。

<広場の整備>

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現在のメリン広場。 真っ直ぐ上に伸びているのがハイバチュン通りで、レズアン道路との交差点にヤーロン城がありました。


この広場には、時代の状況によって3人の英雄像が建てられました。

<第1代目>
リゴール・ドゥ・ジェヌイ(Rigault de Genouilly)の銅像

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リゴール・ドゥ・ジェヌイ提督
生没年 1807年4月12日―1873年5月4日

1958年8月31日、フランス、スペイン連合艦隊はダナンの保塁に向かって砲撃を開始します。この時の司令官がジェヌイ提督です。ベトナム侵略の第一歩です。

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1859年2月17日のサイゴン港(絵画)

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最初の銅像は市民劇場の前に建てられました。

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1907年メリンポイントに移されました。
左後方の建物は商工会議所です

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切手も発行されました

フランスにとっての英雄、ジェヌイ提督の銅像も1954年のディエン・ビエン・フーの戦いでフランスが大敗を帰してからは取り壊されます。


<第2代目>  
ハイバチュンの銅像 

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1966年1月の写真

西暦40年に起きた女性2人姉妹の中国漢支配からの独立戦争。中国支配からの最初の独立としてベトナム人は義務教育で教わります。


<第3代目> 
チャン・フン・ダオ像(Trân Hung Đạo)

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現在の銅像 チャン・フン・ダオ

チャン・フン・ダオ(1266年~1300年)将軍が仁王立ちになって指差しているのは、サイゴン川に名づけられたバクダン埠頭です。

元(モンゴル)は中国の宋を攻め落とすための通過路としてベトナムに3回も攻めてきました。(日本へも2回攻撃してきました)3回目の侵略の時はバクダン埠頭で元軍を撃退した作戦は今日にも語り継がれています。

本当のバクダン埠頭は北ベトナムのハロン湾の入り江にあります。

チャン・フン・ダオはベトナム人にとって国難を救った名武将として歴史上の英雄として尊敬されています。

ホーチミン主席も抗仏戦争中、国民を奮い立たせるために「チャン・フン・ダオ」の功績を国民に話しかけています。

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銅像の土台には当時の戦いの様子を描いたレリーフがはめ込まれています。

01-11 (12) )
切手も発行されています。

ホーチミン主席の足跡 1911年補足 カオタン技術学校
カオタン技術学校(Cao Thang Technical School 仏語 Ecole des Mecaniciens)はハムギ通りにあります。

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現在のカオダン技術学校

フランス植民地政府は植民地支配と地域の発展のために1906年2月20日、機械技術の専門学校を南ベトナムに設立しました。
南ベトナムの最初の技術専門学校で、卒業生は近くのバソン造船所で働く人が多かったそうです。

1906年の設立から1954年にフランスがディエン・ビエン・フーで大敗を期すまで695人の卒業生を送り出しています。

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1908年のカオダン技術学校

海外に行くことを夢見ていたバン・バ青年(ホーチミンの当時の名前)はフランスに旅立つ前、この学校で機械技術を3カ月間勉強しました。

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学校での技術研修

ホーチミン主席の副大統領に就任し、ホーチミン亡き後に大統領職を引き継いだトン・ドゥック・タン(Tôn Đức Thắng)も1915年から1917年の間、この学校で船の機械技術を勉強しました。

この学校の生徒には愛国者が多く、フランスの植民地支配に抵抗する学生がたくさんいました。

1932年には学生の中にインドシナ共産党の支部が設立され、1940年の南部一斉蜂起や1945年のベトナム8月革命にも多くの学生が参加しました。

ベトナム分断後も南ベトナムのジェム政権やチュウ政権に対して抵抗運動をしています。

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カオタン技術学校の卒業証書>

中秋の名月と月餅商戦
Tết Trung Thu 節中秋

中国文化の影響が色濃く残っているベトナムでは、旧暦によって中秋節を祝いますが、日本の「中秋の名月」を眺めるのとはちょっと習慣が違っていて、基本的には子供達のお祭りのようです。

2012年の中秋は新暦で9月30日になります。

伝説の多いベトナム。ベトナムでの中秋節の起源もクイ(Cuội)の伝説に基づいています。

<クイの伝説>
クイの妻はうっかり聖なるガジュマルの木に尿をして、木を冒涜してしまう。そしてその木の枝に座った時、木は成長を始め、とうとうクイの妻を載せたまま月まで伸びてしまった。毎年中秋節の間、子供たちは灯籠を灯して行列を作り、クイの妻に地上へ帰る道を教えているのだそうです。

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伝統的な五芒星の灯籠を持ち中秋節を祝うベトナムの子供たち


しかし商売熱心な華人は路上にデコレーションされた臨時の店舗で月餅をあちこちで売ります
月餅は丸いものより、四角いものが多く売られています。
種類も日本の比にならないほどたくさんありますが、値段はベトナムの物価水準からすれば高価です。

月餅を売っている大手の会社には「キンドー社」と「BIBCA社」があります。ホーチミン市の証券取引所にも上場していて、株価収益率が高いので有名です。

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ベトナムの月餅は高いので、「月見うどん」でも食べながら芭蕉の句を吟味しましょう。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」  


中秋節の前や最中には獅子舞が町に繰り出します。獅子舞のグループは通りで踊り、家を訪れては踊ってもいいか尋ねます。もし許可があれば獅子が家の中に入って踊り、家のために幸運を祈ってくれます。家主は感謝を込めて、ご祝儀の金銭を渡します。

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日本の獅子とは種類が違います



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