べトナム ホーチミン 情報 日常生活
ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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インドシナ銀行
ベンゲー運河がサイゴン川に流れ込む合流点に
灰色の重厚な建物が2つ並んで立っています。

10 (1)

2つの建物ともフランス植民地時代に建設された
銀行です。左側がインドシナ銀行で、右側が上
海銀行(Ngân hàng Thượng Hải)でした。

10 (2)
旧インドシナ銀行の正面

10 (3)
旧インドシナ銀行の裏側

インドシナ銀行は1875年にサイゴンに建設され
ましたが、その後フランス植民地がベトナム
中部、北部に拡大するのに伴い、ハイフォン、
ハノイにも建設されました。

フランスの国策銀行で発券銀行と商業銀行を兼ねていて、
スエズ運河から仏領ポリネシア領までのフランス植民地
の経済活動の中心でした。

フランスがインドシナで発行した最初の紙幣は、銀
との兌換紙幣100ピアストルでしたが、高額すぎて
庶民には流通しませんでした。

10 (4)
旧インドシナ銀行が発行した最初の紙幣

10 (5)
紙幣の裏側には漢字が使われています。この高額
紙幣を使えたのはフランス人と米の精米で財を成
した華人だったようです。
その後、1ピアストル紙幣や1ピアストル銀貨(銀25
g)が発行されましたが、これも庶民には高値の花
で流通しませんでした。

庶民はもっぱら銅貨の1サペク(1/500ピアストル)
を使用したようです。


10 (6)
旧上海銀行
現在もここで紙幣が印刷されているのか、前の道
路を通ると輪転機?の音がしています。

1975年のサイゴン陥落後は両銀行とも接収され
て、現在はベトナム国家銀行(Ngân hàng Nhà
nước Việt Nam)の施設になっています。


この一帯はバンド(Bund)と呼ばれる都市計
画法に倣った町並みです。

もともと「バンド」とは港に沿った海や川に
建物が並ぶ地域でその中心には金融機関が
あります。アジアで植民地が増えるにつれて、
外国人の港湾居留地(ウォーターフロント)
を指すようになりました。

バンドはサイゴンだけでなく、植民地だった
インドのボンベイ、シンガポール、香港、上
海、にもあり、植民地にはならなかったもの
の我が国の横浜や神戸にもバンドが築かれ
たそうです。

10 (7)
1930年の上海バンド

10 (8)

10 (9)
この通りがサイゴンの昔からの金融街です

10 (10)

10 (11)
ベンゲ運河の埋め立てが始まる前、この地域は
「中国人埠頭」と呼ばれていて、チョロンからの荷
物の集積場でした。

現在ではベンゲ運河とサイゴン川の交点が完全に
埋め立てられ、ベンゲ運河を埋め立てた道路が完
成してますので、写真のような「サンバン」〈小船〉の
風景を見ることは出来ません。

さらに2011年11月にはサイゴン川の川底に、日
本のODAでトンネルが完成し、1区から2区を通過
し、ハノイハイウェイに続く立派な道路が完成してい
ます。


インドシナ銀行はサイゴンからハイフォン、ハノイとそ
の拠点を移します。1930年に建築家ジョルジュ・ト
ローブ(George Trove)の設計で完成したハノイの
インドシナ銀行は、1954年にフランスがディエン・ビ
ン・フーの戦いで負けるまで続きました。

その後はベトコム銀行が1999年まで営業を引き継
ぎますが、現在は国家銀行として機能しています。

10 (12)
ハノイの旧インドシナ銀行

10 (13)
現在ハノイの旧インドシナ銀行の床に残るロゴ

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アドラン司教の家
Bishop of Adran’s House
ホーチミン市3区Nguyễn Đình Chiêu通り180番地


11
現在のサイゴン司教の住居。この敷地内にアド
ラン司教の住居が保存されています。

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アドラン司教の住居
この家は1790年にグエン・フック・アイン(グエン
王朝の初代皇帝 ヤーロン帝)の命により、アド
ラン司教(Bishop of Adran)のために建てられま
した。


建物の内部

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最初の邸宅はレロイ通りの突き当たり、現在の
動物園になっているところにありました。しかし、1
811-1864年の間、ベトナムではキリスト教が
禁止されたため、邸宅は閉鎖されました。

その後邸宅は旧南ベトナム大統領官邸の前、
Alexandre de Phodes 通りに移され、さらに19
00年には現在のカトリック司教達の居住兼事
務所内に移設されました。

数回に渡り、建物は改築されましたが、最後の
改築は1980年に行われました。しかし建設当
初の概観や形状は当初のまま保存されていま
す。

アドラン司教はフランスがベトナムを植民地にす
るまでは生きていませんでしたが、ヤーロン帝の
長男カインを抱いた彼の銅像は1945年までサ
イゴンの聖マリア教会(サイゴン大聖堂)の前に
立てられていました。


<アドラン司教>

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アドラン司教、本名はピエール・ジョゼフ・
ジョルジュ・ピニョー (Pierre Joseph Georges
Pigneau (1741年11月2日 - 1799年10月9日)は、
フランス人のカトリック宣教師で、ベトナ
ム最後の王朝、グエン王朝建国の立役者でも
あり、フランスがベトナムを植民地にする遠縁に
なった人でもあります。

アドラン司教はフランスで外国伝道の神学校を
卒業し、1765年司祭に任じられ、1767年布
教のためハティエン(ベトナムとカンボジアとの国
境の町)に到着しましたが、ハティエンでは騒乱
が続いていたため、インドのフランス植民地ポン
ディシェリに一時避難します。1771年コーチシ
ナの監督を命じられ、1775年3月再びハティエ
ンの町に到着します。

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ハティエンの場所

アドラン司教はハティエンの総督マック・ティエン・
ティから招待された時に、タイソン軍に追われて
シャム湾の島を逃げ回っていた広南グエン氏の
生き残りであるグエン・フック・アインと出会います。
アインの話を聞いた司教はアインの逃亡を助け、
軍事援助を約束します。

アデラン司教はアインの長男カイン(Prince
Cảnh)を軍事援助の人質として預かり、アインを
連れて1784年12月、コーチシナを出発して17
87年にフランスに戻ります。アデラン司教はフラ
ンス国王ルイ16世に会い、軍事援助を取り付
け、ベルサイユで「ベトナムーフランス攻守同盟
条約」にアインの代理として調印します。

攻守同盟協定の内容は
「フランス国王は歩兵1200人、砲兵200人、
アフリカ兵250人からなる帆走船4隻をフランス
の経費でコーチシナに派遣する代わりに、ダナン
とコンダオ島をフランスに割譲し、コーチシナ全域
での商業営業権をフランスにのみ与えること」と
いうものでした。

しかしインド駐在のフランス軍司令官コンウエイ
はインドシナへの遠征軍の派遣は難しいと考え、
アドラン司教の企ては実現しませんでした。

しかしアドラン司教は自分で武器弾薬を購入、
義勇兵士を募り、自身で遠征軍を組織します。
1788年に武器弾薬を積んだ船がコーチシナに
到着し、翌1789年アドラン司教もカインを連れ
て到着します。

コーチシナに戻ったアドラン司教は自ら先頭に立
って西山タイソン軍と戦っていましたが、1799年
タイソン軍の拠点クイニョンを攻撃中、捕らえら
れ暑さと疲労で衰弱し死亡してしまいます。58
歳でした。

遺体は軍令を持って迎えられ、現在のタンソンニ
ャット空港玄関口近くの公園に墓が造られ、グ
エン・フック・アインが弔辞を読みました。

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墓所の設計図

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アドラン司教の墓

その後、フランスはベトナムから撤退し、ベトナム
全土が共産党政権になったため、アドラン司教
の墓は1983年にベトナム政府により取り壊さ
れ、遺体は焼かれてフランスへ送られました。現
在はパリ外国宣教会に遺灰が安置されている
そうです。


サイゴンの聖マリア教会の前には1945年までア
ドラン司教の銅像が立てられていました。

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子供はザーロン帝の長男カイン。アドラン司教が
右手に持っているのはフランス国王ルイ16世と
締結した「ベトナムーフランス攻守同盟条約」

旧サイゴンマーケット(Cho Cu)近くの道路
HoTrung Mauはグエン王朝時代は「アドラン通
り」と名付けられていました。

当時の「アドラン通り」
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サイゴン最古の教会

1863年

サイゴン最初の教会は1863年にCharner通り
(現在のグエン・フエ通り)に建てられました。

フランスは前年6月5日に締結された第一次サ
イゴン条約によって、キリスト教の布教をベトナム
のグエン王朝に認めさせてから、すぐに建設にと
りかかったようです。

当時のグエン・フエ通りはまだ埋め立て工事が
始まっていませんでしたので教会に向かうため運
河に橋が架けられていました。

今では跡形もありませんので、まだ位置が正確
ではありませんが、想像するとサイゴン川に近い
グエンフエ通りですので、現在のマジェスティック
ホテルのあたりではないかと思っています。

79 ホーチミン主席の足跡 死後 その2 ホーチミンの記念モニュメント
1969年9月9日 ホーチミンの国葬の日、サイゴンの
高僧THÍCH PHÁP LANはCHÙA KHÂNH HƯMGで
ホーチミンのために法要を行いました。

11


戦争の真っ只中であるにも拘らず、各地で秘密裏にホ
ーチミンの祠が建てられました。


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1969年12月 カマウ(Ca Mau)で造られた
ホーチミン記念ハウス

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チャビンタウン(Tra Vinh Town)に造られた
ホーチミンの寺院

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森の中に造られたホーチミンの寺院


1975年4月30日午前11時30分 サイゴンが陥落
し、べトナム戦争の終結とともに7月18日にホーチミン
廟が完成します。


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ホーチミン廟


5月19日生まれのホーチミン主席は2010年5月19
日ベトナム国中で120歳を祝う式典が各地で行われ
ました。ベトナムではホーチミン大統領は眠り続けてい
るだけなのです。

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ゆかりの深かったパリ。Mongiro公園にもホーチミンの
胸像が立てられています。


<各地のホーチミン記念館>

ホーチミン主席の記念館はハノイの記念館を本部とし
て、各地に支部の記念館があります。

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ホーチミン記念館の本部 ハノイ


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サイゴン ニャロン埠頭

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ホーチミン記念館 ビントゥオン  ファンティット市
No.39 Trung Nhi, Phan Thiet City, Binh Thuon
Province

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ホーチミン記念館 メコンデルタ カントー市
No.6 Hoa Binh Avenue, Can Tho City


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ホーチミン記念館 フエ
No.7 Le Loi, Hue City

22
ホーチミンの父親グエン・シン・サック
(1863年`-1929年)の記念エリア
Cao Lanh City, Dong Thap Province

お歳暮

現在の日本では虚礼廃止の習慣が定着し、昔
に比べればお歳暮は少なくなってきていますが、
ベトナムでは「贈答文化」と言う言葉があるくらい
に、まだまだ色濃くお歳暮の習慣が残っていま
す。逆に「虚礼廃止」などと言う言葉は聴きませ
ん。

特に上司や先生にお歳暮を贈るのと、贈らない
のでは、あからさまに将来の出世や子供の成績
に響くようです。

以前はテト1週間ぐらい前から高級官僚の家の
前には公用車の青ナンバーがずらりと並んだそ
うですが、さすがに現在は郵送によるお歳暮に
変わっているそうです。

にわかには信じられなかったのですが、公務員の
給料は安いので、上司には「公金でお歳暮を買
うことが不文律となってしまった」という記事があ
りました。日本では立派な犯罪になってしまいま
す。

ベトナムの歴史を紐解けば、紀元前111年から
約1000年もの間、中国の王朝の支配下にあ
り、やっと西暦938年にゴ・クエンという人が中
国の南漢軍を破り、ベトナム人の王朝になったと
あります。

その後は1945年まで、短期間、中国に占領さ
れたことはありましたが、ベトナム人王朝が続くの
ですが、ほぼすべての王朝が中国の王朝に朝貢
したとあります。

ベトナム最後の王朝、グエン王朝の初めごろま
では、アジアとかヨーロッパなどと言う概念はベト
ナムには無く、中国が世界を支配しているように
感じていたのだろと思いますが、国家の名前も中
国の王朝にお伺いを立てて許可をもらい、毎年
ベトナムの皇帝に特産品を送り、「現在は私が
ベトナム国を治めていますので、よろしくお願いし
ます」と挨拶をしていたのですから、贈答品を送
る習慣はとても長い伝統があります。

そういえば日本も昔、中国から「倭の国の国王」
とかの印鑑を中国からいただいたとか。

ベトナムでは旧正月近くになるとスーパーや露天
の雑貨屋さんで庶民用の贈答用バスケットを売
出します。

11 (2)
スーパーの贈答品メニュー

12 (2)
安いのはこの位から

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高いのはこの位まで

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いつもの露天食堂も贈答品売り場に早代わり

【ベトナム サイゴンのテト(旧正月)】
ベトナムのお正月は旧暦の1月1日なので新暦
では毎年1月末頃から2月初旬頃の間で、毎
年お正月の日が変わります。新暦の1月1日は
「新年」で旧暦の1月1日は「お正月」、ベトナム
語では「Tết Nguyên Đan」(テトグエンダン、略し
て「テト」と呼ばれています。日本では旧正月と呼
びますが、この呼び方は日本でしか通用しませ
ん。 

国が定める祝日は大晦日から旧暦の1日から3
日までの4日間ですが、実態は旧暦7日が仕事
始めなので、1週間はほとんどのお店や会社はお
休みです。

中国が元祖の旧正月、旧正月が祝日になって
いるのは、中国の他に台湾・韓国・北朝鮮・ベト
ナム・シンガポール・マレーシア・インドネシア・ブル
ネイ・モンゴルがあるそうです。休日にはなってい
なくても、中華街のある国ではお祭りが行われて
います。


【旧正月の意味】
ベトナムでは「テト」は一年中で最も大切なj行事
です。それはベトナムの家族制度と祖先崇拝に
起因しているようです。
ベトナムの人々はどんなに成功して立派になって
も、「テト」には両親へもとに帰り、家族とともに過
ごすことが大切な習慣となっているのです。
宗教的にも「テト」の期間には祖先の魂が帰って
来て、現世の子孫と一緒に新年を迎えると考え
られており、祖先にご馳走するため仏壇に毎日
お正月料理を供え、祖先が食べた後、祖先から
の贈り物として家族が食べる習慣なのです。


【帰省】
故郷を離れ仕事をしている人の多くは「テト期間
中」は実家に帰ります。そのため交通機関は大
混雑しますが、列車が発達していないベトナムで
は、バスがもっぱらの帰省の主役です。長距離
バスの運賃はこの期間値上がりします。

ドイモイ政策(市場開放政策)以降は、海外に
いるベトナム人(「越僑」と呼ばれています)も本
国に帰ってくるようになりました。


【竈(かまど)の神様の日(吐君節 NGÀY TẠ́O
QUÂN LÊN TRỜI)】
ベトナムの台所には女神一、男神ニの三神の
「かまどの神様」がいて、各家庭の守り神になっ
ています。神様は旧暦12月23日に、各家庭の
1年間の善悪を鯉に乗って閻魔大王に報告に
行くとされています。各家庭では、神様が大王に
会いに行くのに必要なもの(紙で作られた神様の
冠、靴、お金など)を庭先で燃やし、河に鯉を放
流します。そして良い報告をしてもらうために門
前に供え物をします。   

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これはちょっと大掛かりな「かまど」の日ですが。

12 (2)
神様のいない間はピンク(北部)や黄色(南部)
の花を門前に飾り、厄除けにします。

この日以降、大掃除や壁の塗り替えなど、「テ
ト」を迎える準備に入ります。


【テトの花と花市】
テトの時期になると、町のあちこちで花市場が立
ちます。ベトナム北部ではピンク色のホアダオ
(Hoa Dao 桃の花)、南部では黄色のホアマイ
(Hoa Mai 梅の花(正確には梅の花ではありま
せん)がテトの象徴花として各家庭の軒先に飾
られます。テト中に満開になると吉兆とされていま
す。ホアダオやホアマイの木に吊るす正月飾りは
金と赤で彩られており、見た目も鮮やかでいかに
も正月気分満点なのですが、いかにも中国風と
いうかベトナム風というかほとんどは健康や幸運
よりも商売繁盛を願うものばかりです。

そのほか金柑もお金がたくさん入ってくるように軒
先に飾られます。

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商店には銅銭そのものも飾られます。レタントン
通りの「ピザハット」の入り口

テトの花については伝説があります。「引用」
昔の伝説によれば北部にあるソック山(NUI
SOC)の東に巨大な桃の木があった。その桃の
木の上にチャーとウァットルゥイLUY>という神様が住んでおり、付近一帯の住民
を悪魔から守っていた。悪魔達はその二人の神
を恐れていたため桃の木を見るのも嫌だった。し
かし毎年テトの終わりに二人の神様は会議に出
席するために天国に帰らなくてはならず、この期
間は悪魔達が人々を脅かす絶好の機会となっ
ていた。そこで人々は悪魔達と戦うために、桃の
枝を家に飾って悪魔を追い払うことを思いつき、
それ以来北部では桃の花をテトの期間に飾るの
が習慣となった。桃の枝を飾れない家はTRAと
UAT LUYを紙に描いて家の前に貼り厄を払う。

南部では黄色い梅の花(HOA MAI)がテトのシン
ボルで、テトの花が門前にたくさんあればあるほど
幸運おたくさん訪れると信じられています。


【序夕の礼】
旧暦12月29日~30日、正月に向け鶏肉入り
のオコワや豚肉の供物をする期間。


【大晦日】
大掃除、テト料理の準備、飾り付けはこの日迄
に終わらせなければいけません。

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ベトナムには各年の神様がいるようで、「年神」と
呼ばれています。大晦日jにこの「年神」の交代
が行われるので、各家庭では家の前にテーブル
を置き(この祭壇はハンキエン と呼ばれます)。
祭壇には年神を象徴しているオコワと鶏の丸焼
きが置かれ、ロウソクが灯されます。

「年神」は道教の最高神「玉皇上帝」の部下で
十二支にそって12柱あります。

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「年神」交代の供え物

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「年神」交代の供え物


【汽笛と花火】
大晦日の24時。サイゴンでは汽笛とともに花火
が15分間打ち上げられます。

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花火がよく見える大通りにはバイクが殺到
します。ティサック通り


【初詣/ハーイロック  レチュアダウナムCHUA DAU NAM>】
旧暦1月1日の夜明けからは初詣に行く人がい
ますが、現在ではバイクに乗っていくことになりま
す。参拝してから寺社に植えられた若木の枝を
折って家に持ちかえるのが風習でしたが。現在
はサトウキビを買って持ちかえるのが一般的で
す。
寺院では書道家が腕をふるっているそうです。


【元日/春節】
元旦は、祖先や祖父母のためのテトとされていま
す。これは目上から幸福を受け取る順序がある
からといいます

テト初日朝一番で各家庭の主婦は先祖へ普段
より豪華なお供え物をし、祭壇に線香をあげ、西
瓜などの果物5種類や、バインチュンなどのテト
料理を並べ、線香の煙と一緒に紙に印刷したお
金や生活必需品一式を燃やして先祖へ届けま
す。そして玄関は開けておきます。これをしないと
先祖はこの世に戻って来られません。

子供達は両親・祖父母・先祖に年始の挨拶し
ます。その際大人たちは子供達にお年玉を渡し
ます。


元日にはいくつかの決まりごとがあります
1.ベトナムでは新年最初の客がその年の運勢を
決めるといわれていいます。悪いことがおこると
年の最初の客人のせいにされることもあります。
最初の客にならないように、午前中は外出を
避けます。 
2.元日に怒ったり人の悪口を言ったりすることは
タブーとされています。
3.元日はゴミを外に出してはいけない。
4.元日には新しい服を着るようにする。

お昼近くになると子どもたちは洋服を着替えてパ
ーティーを開催します。
翌日はまた別の兄弟の家に行き、カラオケパー
ティーをしたりしながら、持ち回りで各家で楽しむ
のです。テト正月は、ベトナムの家族にとっては、
とても大切な、家族の絆を強めるイベントなので
す。


【お年玉】
ベトナムには年賀状を出す習慣はありませんが、
お年玉を渡す習慣はあります。
ムントゥオイ(Mung Tuoi(南部ではリーシー Li
Xi)は、お年玉で、これをもらうと、新しい年に幸
運が訪れるとされています。
入れるお金は新札で、赤色の種類の紙幣が喜
ばれるそうです。

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お正月用の飾りつけを売る露天商。お年玉袋も
売っています。


【お正月料理】
「テト」の食卓には「テト料理」と一緒に必ず果物
が添えられます。中でもスイカは伝説にもとづいて
欠かせない果物です。スイカは伝説により富と権
力の象徴とされています。

テトを代表する食物といえば、「バインチュン
Banh Chung」と呼ばれるちまきのほか、豚角煮、
漬物各種、高菜、子たまねぎ、ラッキョウ、
もやし、竹の子の煮物、肉詰めニガウリの
スープ、ベトナム風ハムなど、保存の効く料理が
たくさん用意されます。

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お正月料理の一部

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竹の子の煮物
ベトナムで竹の子料理で迎えられたら最高級の
客を意味します。


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苦瓜の肉詰めスープ
つばめのスープやフカひれのスープに匹敵します

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おしんこ各種


テト期間中の来客にふるまわれるお茶請けのお
菓子にはココナッツやハスの実、ショウガの砂糖
漬けなどが中国風の区切られた大皿にのって出
されます。

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バインチュンは北ベトナムでは四角形で緑豆と豚
肉が入っているのが一般的ですが、中南部では
「バンテトBanh Tet」と呼び、円筒形をしています。
具も小豆を使った赤飯風味やココナッツ、バナナ
風味のものなどいろいろなバリエーションがありま


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バインチュンは現在もお正月料理のメインです

「バイチュン」には有名な伝説があります。
紀元前のベトナム建国の王、雄王の16年の時
に、子供たちが22人いました。その中から跡継
ぎを選ぶために、一番美味しい料理を献上した
王子を跡継ぎにすることになりました。

上の兄弟たちは、沢山の召使に命じて国中の
珍味を集めて料理を作らせましたが、一番年下
の22番目の王子だけは、自分の水田で取れた
もち米を使って作った特別な料理を献上したそう
です。

その料理がバインチュンです。雄王は、自分の土
地で取れる米を使って美味しい料理を作った22
番目の王子を気に入り、跡継ぎにしたそうです。


スイカの伝説
ベトナムの伝説の皇帝、雄王の王子が王様の
怒りを受けて島流しになりました。王子は島で珍
しい果物を発見して、沢山育ててその果物を販
売してたいへんな富を築き、最後には雄王に許
されて、皇帝になったという物語だそうです。

28

ベトナムで普段売っているスイカは長細いのです
が、お正月は結構丸いスイカが出回ります。

スイカの他にはバナナは家を守り、柿やみかんな
ど赤みを帯びた果物は成功を表すといわれてい
ます。

料理の脇には春を意味する梅や桃の木などが
おかれて、木の枝にはテトの伝統的な短冊が飾
り付けられます。


【テト期間中の催事】
サイゴンのグエン・フェ通りは毎年フラワーロード
になります。

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フラワーロード

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フラワーロード


中国文化の影響を色濃くうけているベトナム
では、太鼓のリズムに合わせた中国風の獅子舞
や、龍の舞はお祭りに必須の演目です。

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日本の獅子とは随分違います

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マジェスティックホテルの玄関前


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龍の舞  ハイバチュン通り

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何というのか忘れました  ハイバチュン通り

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古典楽器の演奏  シェラトンホテル前

35
地方では餅つきも見られます


【開賀節】
旧暦 1月7日、正月明けの仕事始めの日。
法定休日は旧暦12月30日から1月3日の4日
間ですが、ほとんどの会社は1月6日まで7日間
お休みになります。


【元宵節(げんしょうせつ)/灯籠節】
春節(旧正月)から数えて15日目で、最初の満
月の日です。灯籠を飾り、「元宵団子」と呼ばれ
る餡の入った団子を食べながら、1年の幸運を
祈ります。

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36枚の銅銭を水を張った洗面器に投げ入れ、
吉凶を占います。18枚以上が表向きだと吉です
が、ベトナム人は凶の場合には吉が出るまで何
度でも繰返し行なってしまいますので、占いと言
うより、儀式です。この儀式はテレビでも放映され
たことがありますが、もう都会では行われていない
ようです。

正月気分はこの日を以って終了します。

ここで勉強したのは、ベトナムの伝統的な「テト」
の儀式で、現在はこの通りに行われているわけで
はありません。

現在のサイゴンは建設ラッシュで、旧正月の祭
事は年々、少しづつ伝統的な行事が希薄化して
きています。毎年実施されているグエンフェのフラ
ワーロードの人盛りも今年は急激に減ってしまっ
ています。



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