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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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南シナ海紛争まとめ
中華人民共和国の南シナ海への侵略の歴史


1.フィリピンが実効支配していたミスチーク島を占領。

1955年、ソ連崩壊後、アメリカ軍はフィリピンと共同
軍事演習を行ったのを最後にフィリピンから撤退をし
ました。

アメリカの撤退を確認した中国は、フィリピン海軍がモ
ンスーン期でパトロールをしていない時、ミスチーク島
に漁民を守る為として、小屋を建設し、現在ではヘリ
ポートまである軍事基地を建設してしまっています。



2.ベトナムが実行支配していた西沙諸島の西半分を
侵略、占領。

戦後の中国国民党と中国共産党の内戦で、西沙諸島
の西側に逃げ込んだ国民党員を追って共産党軍が駐
留していました。
一方、西沙諸島の東側は1955年10月に成立したベ
トナム共和国(南ベトナム)がアメリカの支援の下に占
拠していました。

その後、1973年までは軍事衝突もなく、この状態が
継続していましたが、1973年に締結された「パリ和平
協定」に従ってアメリカの南ベトナムから撤退に伴い、
南ベトナムの弱体化を見届けた中国は突如1974年
1月、軍事行動を起こして南ベトナム軍の護衛艦1隻
を撃沈し、西沙諸島の西半分に侵攻し、占領してしまいます。

その後、現在まで西沙諸島は中華人民共和国の実効
支配下にあります。


3.南沙諸島の赤瓜島でベトナム海軍と交戦。赤瓜島
他周辺さんご礁を占領

ベトナムはベトナム戦争後のカンボジア侵攻、中越戦
争、西側諸国の経済制裁で世界の最貧国に陥ってい
ました。
1986年、市場経済体制に切り替える「ドイモイ(刷新」
政策が発表された矢先、近代装備の中国海軍軍艦に
よる虐殺とも表現できるような発砲事件から海戦が開
始されました。

1988年3月14日 赤瓜礁海戦 
交戦の様子

http://www.youtube.com/watch?v=BsmheRCrNTk

ベトナム軍に勝利した中国は、この海戦で赤瓜礁の
ほか、永暑礁、華陽礁、東門礁、南薫礁、渚碧礁の岩
礁(珊瑚礁)を手に入れます。

これで南シナ海の紛争シリーズを一旦、終えます。
中国はどんな時期に侵攻作戦を強化してくるのか、歴
史が示しています。
尖閣諸島紛争では日本が毅然とした態度で臨むこと
が必要です。

考えさせられたことは、憲法改正と自衛隊の役割、核
兵器の保有、国境の廃止、共同統治などたくさんあり
ました。最終的にはそこに住んでいる人々の安定した
平和な生活に寄与するための政策であることが基本
であるべきです。

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南沙諸島 太平島

太平島

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南沙諸島最大の島、太平島

太平島(たいへいとう) は、南沙諸島の北部に位置する南沙諸
島最大の島で、中華民国(台湾)が実効支配しています。

太平島とは1945年、日本の敗戦に伴い中華民国海軍軍艦の
“太平艦”が現地に赴き接収事務を行ったことにより命名されまし
た。それ以前は「黄山馬峙」と称されていました。

台湾にとってこの島はシーレーン防衛の要衝にあたり、警備のた
め軍人と警察官が常駐させています。

台湾政府は2013年に国営の台湾中油と協力して本格的な石
油探査を行うと発表しています。

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(領有をめぐる歴史)

1907年
日本漁船が付近で操業します。

1929年4月
日本人による太平島での硫黄採掘事業が開始されましたが、世
界恐慌の影響を受け間もなく採掘は中止されます。

1933円4月10日
フランス軍が太平島を占拠、日本人を退去させます。

1935年4月
フランスが30名のベトナム人を太平島に移住させる。

1936年12月
平田末治と海軍省、台湾総督府が協力して設立した開洋興業株
式会社が硫黄採掘調査を実施。

1938年8月9日
日本海軍により日本人の島内開発を顕彰する石碑を建立。

1938年10月30日
日本海軍により守備隊及び台湾人労働者が太平島に派遣され
る。

1939年4月
日本軍による太平島占拠が行われ、海軍陸戦隊、気象情報部
隊、通信偵察部隊が駐屯します。

1944年
日本海軍が潜水艦基地が建設。

1945円12月12日
日本の敗戦に伴い、中華民国政府は「南沙管理処」を広東省政
府に設置。発電施設及び気象観測施設を修理

1946年10月5日
フランス軍による南威島及び太平島上陸が行われる。中華民国
の抗議により両国で帰属を巡る協議が行われる予定であったが、
インドシナ戦争の影響でフランスは会談を放棄。

1946年11月4日
中華民国政府は南沙諸島に「中業号」「永興号」「太平号」「中建
号」を派遣。

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中華民国軍艦「太平号」の寄航記念碑

1946年12月12日
中華民国政府、太平島を広東省政府の管轄とする。

1950年
フィリピン民間人が太平島に進出、硫黄の採掘を行う

1952年
日華平和条約で日本が南沙諸島の放棄を確認し、太平島が中
華民国に帰属することが明記されます。

1956年6月5日
中華民国海軍陸戦隊が駐屯を開始。

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1967年
中華民国が領有を示す石碑を建立

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1975年
中華民国政府がフィリピン、ベトナム、マレーシアに対し南沙諸
島の領有権は中華民国に帰属するとの声明を発表

1980年2月16日
中華民国が太平島を高雄市に帰属させることを発表

2006年
中華民国による滑走路の建設が開始されます。2008年1月26
日太平島空港が完成します。

2008年1月26日
全長1150メートル、幅300メートルの軍用空港が完成します。

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2008年2月2日
中華民国の陳水扁総統が軍用機で上陸、島を視察します。

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滑走路完成後、中華民国総統が訪れます。

南沙諸島 パグアーサ島(中業島)
パグアーサ島(中業島)

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中業島(タガログ語でパグアーサ島)は南沙諸島にある島で、
平均海抜は3.4m、面積0.33平方キロメートルの太平島に
次ぐ2番目に大きな島です。現在はフィリピンが実効支配し
ています。

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海中はとてもきれいです・・・・・・
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パグアサ島から中国が実行支配している渚碧礁までは約2
8キロメートルしかなく、晴れの日にはお互いによく見えるそ
うです。
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2008年時点でのパグアサ島には軍隊を除いて約300人
の住民が定住しています。島内には未舗装の1400m滑走路を
もつ、「ランクド飛行場」があります。

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島には軍隊だけでなく、漁民も定住しています

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定住者の町長さん


(領有の歴史)
1945年に中華民国が実効支配を開始しましたが、その後の
アメリカの支配からフィリピンが引継ぎ、1970年から実効支配
しています。

2012年4月 フィリピン政府は島に幼稚園を建設し、
2013年1月には空港滑走路など施設を整備することを発
表しています。

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幼稚園

フィリピンが南沙諸島で島とさんご礁を合わせて9つ実効支
配していますが、一般人の定住者がいるのはこの島だけで
す。
各基地への物資補給などは輸送艦「ラグナ」が月に一度巡
回しています。

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パグアーサ島以外の基地

南沙諸島 中国占拠の島
南沙諸島 中国占拠の島
赤瓜島の海戦に勝利した中国が占拠したさんご礁は
数箇所にのぼり、現在も着々と軍事基地として拡充し
ています。

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南薫礁(Gaven Reefs)

鄭和群礁の南西端の礁。2.5Km離れた2つの礁(長さ
1.8Kmの南薫礁と1.4Kmの小南薫)から形成されてい
ます。

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永暑礁

長さ22Km、幅約7Km、水深14.6~40mのさんご礁で、
永暑礁自体は、低潮時にはいくつかの岩がわずかに水面に
露出するものの、高潮時には水面下50cm~1mに没してし
まいます。

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渚碧礁(Subi Reef)

長さ6.5Km、幅3.7Kmの環礁。渚碧礁自体は、高潮時
には水没してしまいます。南側の一部に小型船が出入りで
きる埠頭があります。

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左側のドームはレーダー施設です

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小さな埠頭も造られています

渚碧礁は、フィリピンが実効支配するバグアサ島(中業島)
から北西に約28キロメートルしか離れていないので、「晴れ
の日にはよく見える」とバグアサ島カラヤン町のビトオノン町
長が話しています。



東門礁(Hugh Reef)

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九章群礁(Union Banks and Reef)の北縁にある礁。
東門礁は、南北2km、東西1.9kmの楕円形をしており、面
積は約2平方km。低潮時には大部分が海面から露出し、
高潮時にも露出する岩礁が一部あります。

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構造物上階に据え付けられている37mm連装機関砲。


華陽礁(Cuarteron Reef)

尹慶群礁(London Reefs)の中で最小の礁。
華陽礁自体は三日月の形をしており、長さは5.5km。低潮時
には海面に露出します。

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南沙諸島 赤瓜礁

赤瓜礁

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赤印が中国支配

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赤瓜礁(あかうりしょう、ジョンソン礁)は南沙諸島九章
群礁の西南端に位置する三角形の群礁で、長さ約5
km、幅約400mの暗礁で低潮時にだけ部分的に海面
に1.3mぐらい露出します。

一般人は住んでおらず、中国人民解放軍兵士が駐留
しています。地下水がないため、船舶による飲料水の
供給が行われています。


(領有の歷史)
1983年,中國がこの地域を赤瓜礁と名付け公表しま
す。この海域の島で赤瓜がもっと収穫できるようにと
の願いから名付けられたそうです。

1988年3月14日 赤瓜礁海戦 
(Hải chiến Trường Sa)
ベトナム海軍と中国海軍の交戦
時: 1988年3月14日
結果: 中国軍の勝利。
戦力:
ベトナム海軍  HQ-505(大破)、HQ-604(沈没)、
HQ-605(沈没)
中国海軍     502 南充、556 湘潭、531 鹰潭
被害者数:
ベトナム  死亡64名(内、3名の遺体を収容)、9人
が捕虜
中国側   負傷1名

3月14日朝の干潮を期してHO-604武装輸送船か
らベトナム海軍兵士43人が赤瓜礁に上陸し始めまし
た。これを見た中国海軍は艦艇502南充から33名、
531鹰潭から58名をタグボートに載せ、赤瓜礁に上
陸させました。中国兵士はベトナム国旗を引き下ろす
よう怒鳴り散らしますが、らちがあかず、艦船に引き揚
げます。

中国人民解放軍は赤瓜礁に上陸しているベトナム海
軍兵士に警告後、艦船から発砲し、交戦状態になりま
す。

交戦の様子

http://www.youtube.com/watch?v=BsmheRCrNTk

ベトナム軍に勝利した中国は、この海戦で赤瓜礁の
ほか、永暑礁、華陽礁、東門礁、南薫礁、渚碧礁の岩
礁(珊瑚礁)を手に入れます。

赤瓜礁周辺の海面すれすれの岩盤の上に「高脚屋」
と呼ばれる木造の小屋を建て人工建造物を造成し、
後にはさらにコンクリート等で建造物を建築し、「中国
 赤瓜」、「祖国万歳」の文字を掲げて、排他的経済水域
(EEZ)の存在を主張しています。

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高脚屋

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現在の基地

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現在の基地

2010年3月にアメリカのスタインバーグ国務副長官
とベイダー国家安保会議アジア上級部長が中国を訪
れた際、中国政府は南シナ海を『自国の主権および
領土保全と関連した「核心的利害」地域』と見なしてい
るとの立場を、公式に通知している。

ベトナム側の報道によると本来、赤瓜礁は満潮時には
海中に沈んでしまうとされているが、これが事実な
ら赤瓜礁は領土として認められないことになります。



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