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ホーチミン市を中心にベトナムの歴史や町の様子をお送りします。
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レズアン(Lê Duẩn)通り
景色


レズアン(1907年4月7日 - 1986年7月10日)はホーチミン
の死後、意志を引き継いでサイゴンを陥落させ、南北統一
を成し遂げたベトナム共産党書記長。

Le Duan

ホーチミン市のレズアン(南部発音はレユアン)通りは、
南ベトナム大統領官邸から伸びる大通りで、1975年
4月30日、北ベトナム正規軍がこの道を官邸に向かって
一直線に進み、官邸正面の鉄柵を破って進入、南ベトナム
共和国が消滅するという歴史的瞬間を迎えた道路です。

untitled_20100824175554.jpg


この道路は商店街ではなく、官庁、領事館、大手企業が集ま
る行政道路です。


01Le Duan (1)  02Le Duan (2)  03Le Duan (3)
01 ダイヤモンドプラザ
02 PG銀行。コロニアル建築です。
03 1区 区役所。コロニアル建築です。


04Le Duan (4)  05Le Duan (5)  06Le Duan (6)
04 インターコンチネンタル アシアナ。 今年完成しました。ホテル、サービスアパート、商業ビル
05 アメリカ領事館
06 イギリス領事館


07Le Duan (7)  08Le Duan (8)  09Le Duan (9)
07 サイゴンタワー。商業ビル
08 ソフィテルホテル
09 ペトロリメックス。コロニアル建築です。


10Le Duan (10)  11Le Duan (11)  12Le Duan (12)
10 作戦博物館
11 ペトロベトナム
12 外国語学校。コロニアル建築です。


13Le Duan (13)
13 海の皇宮 中国料理。最近出来た高級レストラン

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ドンコイ通り
ドンコイ  ドンコイ (1)




現在ホーチミン市で最も名が知られているドンコイ通りの
歴史を探ってみましょう。

ドンコイ通りの終点、聖マリア教会広場前にある文化教育
省の建物は、ドンコイ通りの歴史を語る建物で、1917年に
建築されました。

ドンコイ (2)
教育文化省


当時はフランス植民地政府に反抗する共産党員や愛国
者が捕まえられ、拷問を受けた場所で、付近の人々から
はカティーナ警察(Bót Catinat)と呼ばれていました。南
部ベトナムの8月革命の時(1945年8月29日から9月23
日まで)にはこの警察署の前で現在のベトナム国の国旗
である金星紅旗を振りながら人民が集まり、蜂起が起こり
ました。

しかし、その後のフランスの再侵略やベトナム戦争の時に
は、再び抵抗者が監禁、拷問された場所になってしまい
ましたが、人民の抵抗は続きます。

特に1959年から1960年にかけて、南ベトナム政府の
ゴ・ディン・ジェム大統領政権に対し、ベトナム南部の
農村地帯および中南部の山岳地帯の住民を中心に
一斉蜂起がおきましたが、旧大統領官邸前のナムキ
ーコイギア通り(政治犯を収容するサイゴン刑務所が
ありました。現在は総合科学図書館)とドンコイ通りも
呼応して人民の蜂起があったようです。

1975年4月30日のサイゴン陥落後は北ベトナム軍が接
収、引継ぎ、現在はホーチミン市の文化教育を担当する
役所として機能しています。

ホーチミン市のこの2つの通り、ナムキーコイギア
通りとドンコイ通りは実際に人民が蜂起した歴史
的な道路なんです。

ドンコイ通りのフルネームはDONG LONG KHOI NGHIA 
ドンロンは同心、コイギアは蜂起の意味です。略して
ドンコイです。

最初の名前は1865年フランス統治時代につけられた
カティーナ通り、ディンビンフーの戦いでフランスが
敗れて、ベトナムから引き上げた1954年からはトゥ
ユー通り(自由の意味)、1975年の南北統一後は南部
ベトナムには自由がなくなってしまったのかドンコ
イ通りに改称されました。

現在、昔の名前を留めているのは、マジェスティック
ホテル前の「カティーナクラブ」、シェラトンホテル
斜め前の「カティーナホテル」、カティーナホテル前
のレストラン「トゥユー」があります。

ドンコイ (3)
カティーナホテル

ドンコイ (4)
トゥユーレストラン

ドンコイ(5)
カティーナクラブ カフェです。
レロイ通り
市内の道路のほとんどは歴史上の出来事や人物の名が付けられています。

レロイ通りは市民劇場とベンタン市場をまっすぐ直線で結ぶホーチミン市の
目抜き通りです。

レロイ(黎利)は1428年黎朝を建てた初代の皇帝で皇帝名レ・タイ・トー
(黎太祖)としてもよく知られています。

1385年ベトナム中部、タインホア(清化)のラム・ソン(藍山)で貴族の3男
として生まれました。

1408年からベトナムは中国の明朝、永楽帝の支配下に置かれてしまい、
ベトナム語の使用禁止や重税に苦しんでいました。

1418年レロイは明軍に対して挙兵し、緒戦は苦戦したものの、各地の反
明軍勢力、を結集し10年にわたり抵抗し続け、1427年に明軍をベトナム
から撤退させ、中国からベトナムの独立を回復しました。

翌年1428年には黎朝を建て、自らレ・タイ・トー(黎太祖)と名乗り、初代皇
帝になります。首都をトン・キン(東京)とし、国号をダイ・ヴィエット(大越)と
しました。

皇帝になったレロイは属明期の戦乱での疲弊した社会の建て直しを始めま
す。全国を五道にわけ、科挙制度を充実し、戦争中に無主になった土地を
公田とする均田制を実施し、中央集権的国家の建設を目指しました。また
法律上は男女が家庭内で平等であることを定めるなど進歩的な政策を実行
しています。

レロイには有能なスタッフが2名ついていました。グエンチャイとレライ。両名
ともレロイと一緒に道路名として残っています。

レ・ロイの銅像は、レロイ通りにはなく、バータンハイ(3 Thang 2)やホンバン
(Hong Bang)通りが交差する、6区と11区の境界にあるロータリーに立って
います。

せっかく名の付いた道路があるのに、ベトナム政府はどうしてその道路上に銅像
を建ててあげないのでしょうね。


01レロイ (1)  02レロイ (2)  03レロイ (3)


04レロイ (4)






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